4話.思い出の味1

 目の前には小さい頃に語学の勉強で使っていた壁掛けの黒板。

 

 父の授業は面白かったなー。


 そんな事を思い出していると、カイマンが板書を始めた。


「ここエウロペ大陸は北に北海、南に地中海、西に大西洋を臨みまして……」


 私は椅子に座り、部屋の真ん中の丸テーブルに肘を突きながら話を聞いていた。

 

 なんだか難しそうな話ね……。

 ふぁ~それにしても昨日は飲み過ぎたかしら……ちとだるい。

 

 昨夜は家族が私の誕生日パーティーを開いてくれて、ご馳走だった。

 なんといっても飛び切りだったのはあの赤ワインで作った飲み物“サングリーア”!

 そう、昨日のお使いで買ったあの赤ワインは私へのお祝いの一つだったのだ。


 それは母が作ってくれた。

 赤ワインにオレンジの果汁と蜂蜜、それに母が作った“不思議な水”を混ぜたもの。

 シュワシュワとさっぱりしつつ甘くて飲み易い。


 あの水はどうやって作ったのかしら?

 けれどワインの渋さとアルコールの味感はいかにも大人の飲み物っていう感じ。

 私も大人の仲間入りって気がしたわ。


 あんまり美味しく飲めるので思わずお代わりもした。

 なんだか今もあの味に夢見心地でこのままじゃカイマンの話はちっとも頭に入りそうにない。

 

 そうだ! どうせ地理をやるならワインの話を聞きたいわね。

 もっとワインの事を知りたいわ。

 ちょっと聞いてみるか。


「ねぇカイマン。エスパニルのワイン産地ってどこなの? 他の国のワインの名産ってどうなのかしら? 昨日のサングリーアがとーっても美味しかったから興味があるのよね。地理の勉強にもなるでしょ?」


「ふーむ……確かに美味しゅうございましたな。良いでしょう、ワインをテーマに少し進めましょうか」


 やったー!

 これなら退屈せずに済みそうね。



 エスパニル王国のワイン産地は大きく3か所。

 北部を流れるイベル川上流域の『リオッハ』、下流域『パナデス』、そして半島南部の『マラッガ』が有名だそうだ。


 リオッハと言えば赤ワイン。

 これは北に接するオルレアン王国の達が移り住みその技術を受け継いだと言われている。

 因みにオルレアン王国と言えばエウロペで最も旨いワイン産地として有名らしい。


「あぁ思い出します。リオッハで食した Cordero asado子羊の炙り焼きと赤ワインを。想像して見て下さい。石窯にはラードがたっぷりと敷かれ骨付きの塊肉がじっくりと焼かれます。味付けは塩のみ。とても柔らかくて臭みも無い。草を食べ始める前の乳飲み子の子羊肉は臭みが無いのです。それをリオッハワインと食します。エレガントでまろやかなコクと香り、なめらかかつ奥深いタンニンが奏でる最高のハーモニー……」


 むむ……! 思わずよだれが出そうな講義ね!


「当時、オルレアン王国と我が国を繋ぐ街道は二つありまして、その一つ山道ルートに山賊が出ると交易商人たちから苦情が出ておりました。私達はその討伐に向かったのです。ところがその討伐は一筋縄ではいかぬものでした。山賊の持つ武器は“魔道具”だったのです」


 オルレアン王国には、たくさんの魔術士が住んで居る。

 その魔術士が作る魔力が込められた道具、それが魔道具。

 魔道具国家オルレアンとも呼ばれる所以だ。


「私達の仲間も大分やられました。しかし一旦引き返すわけにはいきません。指揮官はここで完全制圧を命じたのです。魔道具を持つ山賊如きに我が国王軍が一時でも退散したなどと噂が広まる事を恐れたからです」


 山賊が放つ弓矢はどれもとても勢いがあり、しかも盾で防いだりしなければ必ず誰かに命中するという。

 その剣で傷を受ければ痺れて動きが鈍り、こちらの剣がその盾で防がれるとやはり痺れてしまうらしい。

 カイマン達は、何人かの犠牲のうちにそれら魔道具の特性を把握し、やっとの事で一人の逃亡者も許さず山賊の全滅に成功したそうだ。 

 命からがらの戦いが終わり、漸く休息出来た最寄りの町、それがリオッハだったのだ。


「あの日、リオッハで食した御馳走は単に美味しかっただけではございません。殉職した仲間に捧げる弔いの馳走でもあったのです。ありがとう、お陰で倒す事が出来た。仇はきっちり取ったぞ!と」


 その時のカイマンの表情は、どこかもの哀し気だった。


「さて……因みにワイン醸造に修道士達が携わるのは割とポピュラーでして。ここセビーヤの教会、聖ラピス教会の隣にテミス修道院がありますな。そこで修道士達は赤ワインの醸造を行っています。昨日の赤ワインはテミス修道院で作られたものでしょう。なかなか良い物を作っています。実は私もちょくちょく調理用に購入しておるほどでして……」


 へぇ~。そんな事もしてるんだあそこ。

 教会には家族でお祈りに訪れているけど、その隣でワイン造りしていたとは……知らなかったわ、ちょっと意外。


 講義は続く。


 北東部の街パナデスは“カヴァ”と呼ばれる白のスパークリングワインが有名。

 赤のリオッハに対し、白のパナデスとも言われているそうだ。

 その風味はオルレアンの名高き白スパークリングワイン“シャンペーニュ”にも劣らないと言われるそうだ。


「パナデスのカヴァ! 真夏の陽差しが突き刺す季節にさっぱりとしたその爽やかな酸味に喉も心も潤います。特にBoquerones en vinagre背黒イワシの酢漬けなどつまみにすれば暑さなんて吹き飛びますぞ!」


 じゅ、じゅるり……。


「それと……パナデスのバルには、ちとほろ苦い思い出もございましてな」

「え、なになに?」

「そのバルで、私は、とある一人の女性に声を掛けたのです」

「おぉ! それで!?」

「結果……し私はとなってしまいました」

「えっ……? ど、どうしてっ!?」

「それはですなぁ……」


 カイマンは、頭をカリカリと搔きながらmelancólico少し物憂げな顔つきで窓の方を向いていた。



(続く)

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