6話.兄との稽古1

 講義は続く。 


 南部の港街マラッガは“シェリー”と呼ばれるワインが有名。それは醸造過程でブランデーなどのアルコールを加えるので少し度数が高い。製法によって辛口や甘口があり、食前・食後酒としてよく飲まれているとの事。


「目を閉じれば今でも鮮明にその景色が浮かび上がります。陽の光が黄金色に煌めく美しい海岸、そう、それはまさに“Costa del Sol太陽の海岸”! 私は陽の沈む頃、その美しい海岸の風景を眺めながらMejillones al vino blancoとれたてムール貝の白ワイン蒸しを食すのです。口に広がる磯の香り、濃厚でクリーミーな味わい、それを辛口シェリーで流し込めばもう天にも昇る心地間違いなし! あぁ生まれてきて良かった……!」


 ゴクリ……!


「ちょっと! なんだかとっても食欲がそそるんだけど? 今日の晩御飯はいつもより腕を奮って頂戴よ!」


 カイマンはふふっと微笑み「御意」と答えた。


「あとはそうですね、国外に目を向けますとやはり第一は北の隣国『オルレアン王国』です。赤、白、ロゼ、いずれも一級品の産地がございます。特筆すべきはその製法や保存に魔術や魔術の込められた魔道具が使用されている点。ゆえに品質が均一で鮮度が落ちず、常に栓を開けたばかりの状態を楽しむことが出来まする」


「へぇ~。魔術ってそんな便利な事にも使えるのねー」


「えぇ、本当は魔術は人を幸せに出来るものなのです。どうしても戦争の道具として捉われがちですが、それも使い方次第なのです。そうですね、魔術については別に時間を取ってしっかり授業致します」


 それにしても、良く知っている。


 “アルマンガルド”と呼ばれる地域――ここでは今でも何人もの領主や新興貴族が自分の領地の拡大を巡り紛争が絶えない地域だという――では不安定な情勢とは対照的に美しいブドウ畑の牧歌的な風景が印象的で、白ワインやワインになる手前の発酵途中のぶどう発泡酒“Strumシュトルム”がとても美味しいらしい。


 他にも飲んだ事は無いが聞いた事がある有名な酒として『ヴァラキア公国』の極甘口の貴腐ワイン。それにこのエウロペ大陸と地中海を挟み向こうに広がる大陸、“暗黒大陸”側の港町『カーサネグロ』の“竜涎香ワイン”などがあるという。

 

 ん~私も飲んでみたい!


「それにしてもカイマンは良いなー、そんなに色んな美味しいワインを楽しめてて。きっと思い出すだけでもその美味しさが蘇るのよね、私もそうだし」


 すると今まで明るい笑顔で講義していたその顔はスッと暗い影が差した様になり、さっきまでとは打って変わって重々しい口調で語り始めた。

 

「しかしながら……私がお嬢様くらいの頃は本当に戦争が多かったのです。ここイベレス半島でさえ統一には時間がかかりました。それには私も幾度と戦争に赴いたのです。そんな疲れた心と体に癒しを齎したのがこのワイン……。その思い出の味は決して旨いだけじゃない、私には苦みを伴う味なのですよ」


 少し、虚ろな表情で窓の外を眺めながら、カイマンは呟いた。


 戦争……恐ろしい響きだ。正直私には想像がつかない。

 今エウロペ大陸は例のアルマンガルドと異民族が多数住み今なお紛争が続く北東地域を除いては至って平和だ。


 我がエスパニル王国は隣国ポルトゥール共和国、北のオルレアン王国、そして地中海側の隣の半島、ヴィネツィ共和国とも和平を結んでいる。父エステバンがエウロペを股にかけ交易出来ているのもこの平和ゆえと言えるだろう。


「カイマンは戦争で何度も戦っているのね……」


「えぇ。こうして生き延びている事も奇跡としか思えません。たくさんの仲間達が亡くなりました。現在の平和は、彼らの犠牲失くしてあり得ません」

 

「でも……カイマンが生き延びたのは決して運が良かっただけとは言えないんじゃないかしら? だって昨日の勝負で見せたあの素晴らしい技、その実力があったからだと私は思うわ」


「……そうですね。あの“闘気”は、誰から教わったでなく自分で極めました。いや戦争によってと言うべきか。度重なる生死をかけた極度の緊張状態、その戦いの渦中に、勝つ為、自分が生き抜く為、相手に反撃を許さぬ一撃必殺が生み出され、死闘の内に洗練し到達した忌まわしき暗殺術なのです」


 その時のカイマンの、悲哀に満ち、まるで教会で贖罪を乞うかの様な闇を帯びた目に、まだ現役でやれそうな彼が軍を早く退役した理由が垣間見えた気がした。


「でも……私は素晴らしい技だと思うわ。カイマンはもっとそれを誇って良いと思う。お陰で今の平和が築けているわけだし。それに覚えている? 昔、私とヴァルツ兄に見せてくれたカイマン本気のお手本の技。今でもはっきり覚えているわ。あれに私達は憧れた、私達が闘気を覚えるきっかけだった」


 するとカイマンは少しだけ穏やかな表情になった。


「あぁ、そんな事もありましたかな……」


 私はヴァルツ兄と稽古をしてて一緒に見たカイマンの神業、あの日の記憶を思い出していた。


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・


 あれは私が11才の頃……。


 この時にはもうカイマンは、うちの執事として任されていて、兄達の剣術指導も終えていた。この頃、兄達は街の自警団に入団する事を目指してて、日々、自主鍛錬に励んでいたの。私は単純に剣術の稽古が好きだったし、兄達との稽古が楽しかったから一緒になってやってたわ。


 その日はヴァルツ兄が私に多段攻撃の稽古をしてくれていた。


「カタリーナ、よーく見てろ。これが唐竹斬りラヨマタールからの逆風斬りヘイゼルコルンピオだ!」


 ビュオッ!

 

 ヴァルツ兄は上段の構えから後屈立ちに移りながら剣をまっすぐ上から下へ振り落とした。鋭い刃鳴りを響かせ剣を振り切りビシッと決めつつ残心をとる。と瞬時に左足を引き前屈立ちの姿勢で今度は剣を真上に振り上げる。


 ヒュオン!


 空を割く様な鋭い振りがピタッと止まり残心をスゥと引くと、自信と陶酔が頬と口角に暗示した。


「おぉーっ! カッコ良いーヴァルツ兄ー!」


「へへー、だろう? この多段攻撃、【唐竹逆風エンツィメラコルミーヨ】のコツはだなー、正しいステップ! カイマンがそう教えてくれた。見ろこの跡を。この位置から右足をこう……次に左足をここまで持ってくる! この時右足から体重移動しないのがポイントだな、お前もやってみろよ!」


 私は兄の足跡を上から何度か踏み直しステップを確かめる。

 上段に構え、呼吸を整えた。目を閉じさっき兄がやった動きをイメージする。


「(スゥ)むんっ!はっ!!」


 ビュオッ!

 ビュオッ!


「うおぉーっ!? カタリーナ!凄いぞ、出来てる! 一発で修得したなーおい!」


 ヴァルツ兄は褒める時必ず私の頭を優しく撫でてくれる。私はこれがたまらなく嬉しかった。この時もいっぱい撫でて貰ってとっても喜んでたっけ。


 するとその様子をたまたま庭の手入れをしていたカイマンが見ていて、私達に近づき言ったの。


「若様、お嬢様、一度お二人で並んでもう一度このカイマンめに【唐竹逆風エンツィメラコルミーヨ】を“同時に”見させて頂けますか?」



(続く)

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