5話.グレース=キテラ
セビーヤの街の北、森の東側にグレースの家はあった。
「こんにちはグレースさん、アルルヤースです。お邪魔しますよ」
突然のアルル達の訪問にも驚いた様子も見せず、グレースは皆を迎え入れた。
まるでこの訪問を予知していたかのようにテーブルには人数分のお茶が用意してあったのだ。
「みなさん、ごきげんよう。今日はどんなご用事かしら?」
「まず私からよろしいですかねぇ? この方、スティープさんの“呪い”を解けないか、グレースさんの知見をお借りしたかったのです」
アーロンがそう言うと、グレースはジッとスティープを見つめた。
グレースには……彼がカタリーナであり、姿を変えてしまった経緯の記憶、そしてその身にまだ悪魔の意識を宿している事が視えていた。
無論、人間業では無い。
グレースは、アリス=キテラの禁術に拠る産物、悪魔の器に人の魂が支配した“人外”であったのだ。
◇
エウロペの大魔女アリス=キテラは教皇に拠る魔女狩りが行われていた時、異端審問所にその身を追われる立場の中、姿を晦ました。
そしてついぞ異端審問官達は彼女を見つける事が出来なかったのだ。
彼女は、とある魔術を用いて完全に姿を晦ます事に成功していた。
――禁術【
禁術には、悪魔と契約を結ぶ事で強大な力を得る秘術とされるものがある。
その歴史は割と浅い。
人類に魔術の存在が知れる様になると、多くの魔術の才ある者が、「自分は選ばれた人間である」との選民思想から、欲望の赴くまま更なる高み、誰よりも優れた魔術の力を求めようと研究と研鑽に励んだ。
その様な者達の中に、禁術を研究する者が現れるのはそれ程不思議では無い。なぜなら、かつて一度だけ人間界に悪魔の軍勢が襲った事があり、その強大な魔力を目の当たりにしたからだ。
禁術研究は人目を憚り行われ、その様な研究の集会を“サバト”と呼んだ。
狂気と言える欲望、刻々と迫る“死”の恐怖を克服せんと、あらゆるサバトの知見を策得し、それに迫る手段を研究した一族が居る――キテラ一族だ。
キテラ一族は、幻獣の調査とサバトの知見、その天才的な魔術の才と狂気の研究が相まって、イメージ欠落に拠り人間にはおよそ不可能と思われていた禁術にあと一歩の所まで来ていた。
彼らが禁術を成功出来なかったのは、膨大な魔力を必要とする為だった。
個の魔力を増強するには、『血の高純度化』、即ち近親婚を繰り返す方法と日々の魔術の修行、それ以外の方法は知られていなかった。
ただその二つの方法では限度があった。しかも近親婚は寿命を縮める原因でもあったのだ。もっと長生きしたいという思いが強まる程、近親婚を繰り返す彼らの寿命が縮まる事は、気付かなかったとはいえ皮肉な運命と言わざるを得ない。
アリスはそんなキテラ家の中でも特異な存在――9人兄姉妹の一番下の娘、彼女だけ母違いの子だった。
魔術の才はずば抜けており、兄姉妹の中でも抜きん出ていたのだ。
なぜその様な者が生まれたのか?
この世には時々、あり得ない頭脳や才の持ち主がポンと生まれる事がある。
彼女もそんな運命のいたずらに因ったのかもしれない。
アリスは魔術大戦を終わらせるにあたり、そもそもなぜこの様な悲劇に至ったのか調べる中で気付いた事があった。
それは、己が体に備わった魔術士の悲しい運命だった。
魔力を増強させる術がもう一つあったのだ。
“魂を糧にし魔力は増強出来る”
魔術士は、人を殺せば魔力を高める事が出来たのである。
だからアリスは、魔術大戦を終わらせるのに封印という手段を選んだ。
それは今後、魔術士が同じ過ちに陥らぬ様、戒めの為でもあったのだ。
そんなアリスには結界構築後、もう一仕事が残っていた。
聖職者達のくだらぬ魔女狩りから逃げるのは容易い。
むしろ返り討ちにするほどの力はあった。
なぜなら彼女は結界の対象外だったから。
だが、自分が新たな争いの引き金を引くわけにはいかない。
それに彼女はあまりに顔が知れ、魔力も膨大だと知られている。
結局自分の存在が、新たな戦争の引き金になりかねない。
そこで魔力の分散と姿を晦ます目的で彼女は遂に決意する。
それが禁術、【
それは悪魔の器に魂を移す術。
しかし器は一人では足りず、複数の魂を必要とした。
そこでアリスは、自分の魂を犠牲にし、器の分割に成功する。
そしてそれぞれに姉たち7人の魂を用意した。
こうして7人の魔女が誕生した。
彼女達は最早、人間とは言い難い。
だが引き換えに長寿命を手に入れた。
またアリスの細工によって、魂の取り込みには制限が付いた――器の魂しか取り込めぬ様に。
上位悪魔には、記憶、意識、近い将来をも視通す力を備える者が居る。
ほぼ完全体のグレースはその域に達していたのだ。
◇
カタリーナの将来を覗き視て、グレースは遂にその時が来たと悟った。
そこには、カタリーナと共にヴァラキアを旅する自分が視えていた。
(そろそろ潮時だ、“牙”はもう手に入れてある!)
グレースの心にめらめらと燃え上がるもの――それはカラボスへのリベンジ。
「可能性があるとしたらそれはヴァラキアね」
(ヴァラキアですって!)
グレースの言葉にスティープは震え上がった。
やはりヴァラキアだ。
まるで運命がそう仕向けているかの様にヴァラキアに向かう理由が重なっていく。
いよいよスティープは覚悟を決めた。
「アーロンさん、ヴァラキアへ向かいましょう!」
スティープの決意の表情にアーロンはコクリと頷いた。
するとアルルヤースが思い出した様にグレースに尋ねた。
「そう言えば……僕の母上もヴァラキアに居るんですよね?」
「えぇ、恐らく。カラボスはヴァラキアのおとぎ話でよく知られた存在」
「じゃあ、グレースさんもスティープさん達とご一緒したらどうです?」
「あぁその事なんだが……」
アルルヤースの提案を遮る様にヴァルツが話に割って入る。
「グレースさん、以前スパルタクス大佐と交わした約束をお覚えですか? 実は明日、軍の訓練施設で大規模演習が行われる予定でして。突然で大変申し訳ないのですが、そこに是非魔術師範としてご教授願えないかとお申し出です」
「兄さん! 仕事と母上の救出とどっちが大事なんだい?!」
声を荒げるアルルヤース。
それは、母や妹の救出に全くの無力でしかあり得ない自分の不甲斐なさを、せめてその救出に可能性をいち早く推し進めんとする、心の叫びだったのだ。
「アルル、俺だって母上は大事さ。しかし魔術封印が解けたとされる今、あの悲劇が繰り返されるかもしれないんだぞ!」
魔術封印が解けたという噂は高位魔術士達の間でもっぱら囁かれていた。
だが現在、魔術士が住んでいる国は限られており、多くの国の市井には知られていない。
デイビスの告白でそれをいち早く事実と知ったエスパニル国王軍。
その事は国王、そしてデイビスの尋問に立ち会った関係者のみが知る重大機密事項とされていた。
そしてエスパニル国王軍上層部は魔術封印は解けたものとし、各国の魔術戦力がエウロペの
ヴァルツの一言に皆が沈黙する中、グレースは返事した。
「えぇ確かに約束してましたわね。良いですよ、伺います。アーロンさん達は明日出発されますか?」
「そうですね。これから旅の準備をしても十分、明日には出発出来そうです。何事も起こらなければね」
「では私は、後を追いかける様にして向かいましょう。待ってて下さらなくて結構よ。私にも準備がある」
アーロンはグレースを見つめ、頷いた。
(続く)
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