36話.祈りが齎すもの

「な、なんなのだっ! あの化け物は……っ!」


 冥界の者からの畏怖の邪気と焦燥を齎す灼熱が、捕らわれた異端審問官たちにも伝わってくる。

 あの場に居合わせた者なら誰もがこう感じたであろう。 


 あれを喰らったら……“死”あるのみ。

 

 しかしヘイゼル達は至って平静であった。

 彼らは今にもその獄炎を放たんとする冥界の者を前にして、ただ祈りを捧げたのである。

 しかしその表情には諦めや絶望、どうか助けてくれなどといった陳腐な命乞いの色など微塵も無い。


 今、自分達に出来る事それは……、


『――うつしよの聖騎士たちよ、汝らは憂いなく生きる事能わず、

    汝らの守護すべきと、信仰の中の死の務めを心に懸くなれば』


 彼らの心にあったのは、聖騎士の戒律。

 それは“神を信じる”という崇高な行為であったのだ。


「なんと……気高く美しい……」


 異端審問官ダニエーラは冥界の者に対し静かに祈るヘイゼル達のその姿の中に、真の“信仰の光”を見出した。それはもう一人の審問官も同じであった。


 異端審問とは、始祖マグナ=カリクティスの教えが歪曲され、人々が誤った道に踏み外さぬ様、“異端”を取り締まる為のものだ。

 それは限りなく正しい信仰を遂行する為の気高き行為。


 ところが段々と彼女達審問官の心には、己の為す正義に不信を感じ始めていた。

 私利私欲に塗れた教皇の意のままに、果てはあの様な恐ろしい者を生み出す“異端”そのもの、賛美一体教会の連中の言う事を真に受けている事、にだ。


 そんな賛美の連中に立ち向かう彼らを疑い、攻撃を仕向けた自分達の行いを恥じた。そして二人は静かに彼らに祈りを捧げたのである――彼らに救いあれ、と。

 

 すると不思議な事が起きた。

 祈りを捧げていたヘイゼル達の身を、白く眩い光が包みだしたのである。



「うおおぉぉぉっっ!!」


 一方、冥界の者に劣らぬ形相で賛美一体教会の使い共に迫るグレゴリオ。

 その様はまさに“鬼神”。

 相手を掴んでは投げ、鉄拳制裁でぶっ飛ばし、嵐の如く一直線に駆け抜ける。

 目指すは、赤い角飾りの修道女シスター、あの“魔神”を召喚せし者。

 しかし彼女を守る様にして賛美の二人が前に立ちはだかる。


「どおりゃあぁぁぁーーっ!!」


 グレゴリオは常人ならざる瞬足で彼我の間合いを一気に詰めて、回し蹴りで3人まとめて一蹴した。


グシャッ!


「ぐへぇ~っ! でも、ざ~んねん……」


 【絶望召喚メルヒェンワールド】を唱えた赤い角飾りの修道女シスターは、強烈な蹴りを喰らいながらも、不気味な笑みを浮かべ呟いた。


 その赤い角飾りの修道女シスターには、グレゴリオが狂った様に我武者羅に自分に向かって突進し、攻撃を仕掛けてきた様に見えた。

 それは焦っている様にも見えたのだ。


 その様子に彼女はこう直感する。

 彼は……私を倒せば、召喚されしあの者を消せるとのではと。

 

 【絶望召喚メルヒェンワールド】は、人間界と冥界を繋ぐ『ゲート』を築く。

 そこから誰が召喚されるかは、祈りに呼応し相応しき者が現れる――赤い角飾りの修道女シスターはこの術をそう解釈していた。


 この術は冥界の者を操作したり、具現化する類では無い。

 その者は“本物”なのだ。

 だから、自分がやられても消えるのは『ゲート』のみ。

 

 赤い角飾りの修道女シスターはその笑みを湛えたまま失神した。

 振り向くグレゴリオはその光景に愕然とする。

 

(魔神が……消えていない!)


 祈る姿のヘイゼル達に、冥界の者が右手をかざし、地獄の炎を彷彿とさせる邪気暴虐を今まさに放とうとしているところだった。


 今からではもうあちらまで間に合わない。

 グレゴリオは地面に両膝をつき、ヘイゼル達に向かい固く手を組み、祈った。


 その時、“奇蹟”が起きた。


 とても静かに、ただ一瞬、世の中が真白な光に包まれる程の輝きが冥界の者に向け落とされた。

 目を閉じ静かに祈りに没頭する彼らに、それに気付く者は居ない。


 冥界の者は、その邪気を放つ事なく塵と化し風に霧散していた。


 上空には真白く輝く円が浮かんでいた。

 そこから解き放たれたのは白き雷――聖書にも記載がある神の雷霆<ラミエル>による“裁きの雷”であった。


 ヘイゼル達や異端尋問官ら、そしてグレゴリオの祈りが発揮したもの、それは人間界と天界を繋ぐ『ゲート』を築いた事だった。

 賛美にしろグレゴリオ達にしろ、彼等聖職者達が用いたその力こそは、始祖マグナが人間に教え広めた力、恩寵カリシュの賜物だったのだ。


 静かに目を開け漸く助かった事に気付いた皆からは安堵の息が漏れ、改めて己の信じる神に向け、感謝の祈りを込めたのだった。



「みんな、よく頑張った!!」


 グレゴリオは、皆の元へ駆け寄り、聖水を与えて回った。


「ハハ、しかし結局賛美の連中は一人でのしちまったなー! まるで現役当時と変わらぬ強さでないか?」


「日々の鍛錬は欠かさぬでな。むしろ強くなった気すらするぞ!」


 ヘイゼルの冗談に平然と答えるグレゴリオ。

 その時、皆の笑顔が少し引きつった事にグレゴリオは気付いていない。

 異端審問官の二人に話しかけるグレゴリオ。


「賛美一体教会の者達が召喚したあの魔神をご覧になったでしょう? 奴等はとんでもない事を企んでいるのです。どうかこのまま我々と行動を共にし、曇りなき眼で彼らの本性をご覧頂きたい」


「あぁ、分かった。どうやら私はお前達を誤解していた様だ。これまでの無礼、どうか許してくれ」


 異端審問官の二人はペコリと頭を下げ、グレゴリオは彼女達と硬く握手した。


「どうだ、一旦最寄りの村で休息を取らないか? 皆も今の戦いで疲れたろう。 それに腹も減った」


「あぁ、aquae vitae命の水を持って来れば良かったな。ではそうするとしよう」


 ヘイゼルが提案し、グレゴリオが同意する。

 こうして、グレゴリオ達一行は一旦最寄りの村を目指し、歩を進めた。



(続く)

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