37話.一方その頃

 ヴァルツの屋敷ではアル・サーメン商会総帥との戦闘を無事終えたスパルタクス達が、まだそこそこだった自己紹介を交えつつ談笑を楽しみながら、カイマンの手料理による昼食を済ませていた。


「しかし驚いた! カイマン殿にこの様な立派な料理の腕前があるとは!! ご馳走様でした、とても美味しかったです」


「私も大好きですよ、カイマンさんの手料理」


 因みにカイマンが用意した料理はSalmorejoトマトの冷製スープにsolomillo al aqua vitae豚ロース特製ソース


 Aqua vitae命の水とはエランツォ商会が、その技術力の高さを見込んでテミス修道院にイスマールの職人を招き製造を依頼し、量産が可能になった飲み物だ。

 ビールの製造工程に“蒸留”という工程を繰り返すことでアルコール度数を高め、それをオーク樽で熟成させる。


 ドン=エステバンはこのAqua vitae命の水をあくまで“薬用”として販売している。聖ラピス教会での製造という事もあり評判はかなり良い。

 しかしカイマンはこれを以前試飲した時に、その風味の素晴らしさに驚いたのだ。スモーキーでもあり甘みもある複雑な香りのconcierto協奏曲。カイマンはAqua vitae命の水を用いて独自に肉料理のソースを開発していた。


 スパルタクスとグレースはべた褒めだ。

 カイマンはグレースにニコリと微笑んだ。


「さてヴァルツよ。早速この商人を軍へ連行し聴取を進めて貰えるか。俺はアドミラル大将にこの件を報告する」


 スパルタクスは玄関の扉を開け、合図を送ると屋敷の周囲に待機していた兵たちが集まり、気絶している商人アノーニモを縄で縛り上げヴァルツも一緒に運び出す。


「ところでグレースさん、アル・サーメン商会総帥にも悪魔の粉の事情聴取をしたいところですが、それは無理ですかな?」


 スパルタクスはグレースが封印したと言って姿を消したアル・サーメン商会総帥の事が気になっていた。

 それは彼女達が戦闘中に呟いていた数字、そして「取り込む」という総帥の言葉が頭に引っかかっていたのである。


(どんな方法かは分からんが、あの総帥は取り込まれたのかもしれん……グレースさんの体の中に。しかしだとすればグレースさんは一体何者だ?)


 “人外”


 そんな予感がふと頭を過る。


 いやまさか……昼食時に交わした話によれば彼女はあのアリス=キテラの子孫なのだ。何かしらの魔術によるものに違いない。とはいえ、それはそれで尋常ならざる魔術だ。


 魔術の力は術士のイメージで具現、変化、操作を発現する。

 一人の人間がまるまる姿を消すとなると大きな物も丸め込める魔道具、或いは何か小さなものに変化させる、別の場所へ瞬間移動させる、など考えられそうだが並の術士にはとても発現出来そうにない。


 ましてや神秘に満ちた人体に対してはイメージの欠落で上手く発現しない事がほとんどだ。それをあの短時間で誰にも気づかれる事無く、いとも容易く成し遂げるとは……。


 スパルタクスはグレースの魔術士としての才を分析しながら黙り込んでいると、ようやくグレースはこんな事を言った。


「悪魔の粉については、もう彼女の手によって新たに製造される事はありません。エウロペに現存する物を国が厳しく取り締まれば、早いうちに収束する事でしょう」


「スパルタクス大佐、彼女は占星術も扱えるんです。彼女の言ってる事はかなり信憑性が高いと思いますよ」


 グレースの言葉に続けるようにアルルヤースが明るい顔をしてそう言うと、スパルタクスは「ふむ」と顎に手をやり思案する。


「総帥については……魔術の戦闘により身柄が消失、これにより悪魔の粉の製造は止められたと報告しよう」


 色々と突っ込みたい点は多かった。

 しかしそれよりも、この偉大なる魔術士をどうにか我が軍に引き入れる事は出来ぬだろうか、この力はきっとどの国にとっても“脅威”となり得る、そう考えていた。

 

 スパルタクスは敢えてグレースに余計な詮索をせず、相手にこちらが訝しむ様子を見せない様努め、逆に笑顔を繕い伺った。


「いやぁそれにしてもグレースさんの魔術は素晴らしい! 是非一度、我が軍の魔術斑にも師範としてご指導願いたいが如何かな?」


「いずれ」

 

 グレースはそう一言、その顔はほぼ隠れていて表情は読み取りづらい。

 しかしどこか彼女の口元はにこやかに口角が上がっている様にも見える。

 笑顔を絶やさず「約束ですぞ!」と伝えると、皆に礼をし屋敷を後にした。


「そうだ! グレースさん。カタリーナの事も占ってみてはくれませんか? 無事元気でやってるかどうか」


 アルルヤースは少し気持ちを逸らせながらグレースに頼むと彼女は静かにテーブルに準備を始め、何やら呟き始めた。

 手をかざした水晶玉は青白く光り、下に敷いてある濃紺のシルクビロードのクロスを照らし、妖しげな光影を煌めかせる。


「こ、これは……???」


 驚きの声を上げるグレース。

 アルルヤースとカイマンが彼女の顔を覗き込む。


「私の占星術では何も見えません……」

「そ、それはどういう意味なんですか?!」


「普通に考えるならば――これまでの経験上、私の占星術で見る事が出来ない――それはつまり“この世に存在しない”事を意味します」


「な、なんだって!?」


「或いは、“この魔術が及ばない場所に居る”という可能性。つまり魔術の有効範囲外とか。確かめた事はありませんが少なくともアリス=キテラの結界が及ぶ範囲、エウロペ全土とその周辺域くらいまでは有効とみています。ただ、それより遠い東方の地域だとか、まだ見ぬ海の向こうの世界まではどうか……」


「し、しかし、大陸伝手に移動したとしてもコンスタンティンまで数日は要する。そのまた東までカタリーナが、姿を消したこの数日間で移動するのは不可能だ! 航海だってそれ程の遠洋向けには何らかの情報が入るものさ。でも、そんなものは耳にしていない……」


 そう言い放つと、アルルヤースはぐったりした様子で椅子にもたれかかった。


「し、しかし、次兄殿。“あの”お嬢様がそう簡単に死なれるとはこのカイマン、どうあっても想像出来ませぬ!」


 それは多少なり自分もカタリーナを鍛え上げたという【鬼のカイマン】の自負からの言葉だった。


「或いは……何かしらの魔術で彼女自身の体に特殊な結界が張られていたり、またはアリスの結界が及ばぬ様な特殊な結界空間に潜んでいるとか……むしろ、私にはそんな気がします。それより……」


「……それより何だって言うんだいっ!?」


 アルルヤースは声を荒げた。


「私達に今出来る事を進めましょう。私は約束をしました。それは貴方の母、カーラさんを助け出す事」


「母の救出だって?! そんな事出来るもんかっ!! あのカラボスとやらはもう完全復帰してるかもしれないのに!」


「私に考えがあります。アルルヤースさん、落ち着いて私を信じて下さい。私がきっとあなたのお母様を救ってみせます」


「でも僕は……(はぁ)少し、外に出かけてくるよ」


 そう言ってアルルヤースはさっさと屋敷を後にした。

 大広間にはカイマンとグレースの二人きりになった。


「グレース殿、どうか次兄殿の気持ちもお察し下さい。大事な母や妹を助けたいのに何も出来ず歯がゆい思いで、自分の非力さにやるせないのです、この私めと同様に……!」


 カイマンは歯を喰いしばり拳をガツッとテーブルに突き立てた。


「分かっているわ、カイマンさん。それにね……ここだけの話よ。私は、頑張りたいの」


 意外なグレースの言葉にカイマンは彼女の顔をじっと見る。


(それにしても似ている……美しい……)


 濃紺色のローブ、顔はフードに隠され口元しか見えぬ、その口は白い肌とは対照的に真っ赤な紅が差してある。

 パナデスの淡い思い出が脳裏に再び蘇る。


 思えば、アルルヤースが彼女を連れて来た時から心にビビッと来ていたのだ。

 ただパナデスの本人とは流石に違うだろう、あまりに若くあり過ぎる。

 それに本人も別人だろうと言っていた。

 ひょっとして親子の繋がりがあるのかもしれない。


 カイマンは、次に会った時にはきっと言おうと心に決めていたあの“想い”を彼女に伝えようか迷っていたのだ。


「それは……どういう意味ですかな?」


「ふふ、色々な魔術を会得していると特に意識せずとも自然に使っているものもある。私ね、貴方の心が視えてしまったの」


「えっ!!」


「嬉しかった。単なる酔っぱらいの戯言だって思っていたし……カーラさんを無事救い出したら、また貴方の美味しい手料理をご馳走になりたいわ。さて、あまり時間も無いので私も出ます。やらねばならぬ事がある。それではまた、ご機嫌よう」


 そう言うとグレースも急ぎばやに屋敷を後にした。


 へなへなと椅子に座り込むカイマン。


(やはりグレース殿はあの時の! し、しかし、私の心が読まれていた? えーーっ!)


 手をおでこに当て上を見上げながら、赤面するカイマン。

 グレースが去り開かれたままの扉からは、夏の日照りと共に色風が吹き込んだ。


 

(続く)

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