11話.ヴァルツ兄
「さぁ! みなさん、席予約しときましたぜーっと! さぁさぁムイピカン亭へどうぞご直行下さい!」
帰路についていた私達に、バルの前で待ち構えていたキースが大声で叫びこちらに手を振っている。
「あとキャサリン! お前には話がある。ちと残れっ!」
シュンとするキャサリン、何かあったのかな?
私達は先にバルへ入ろうとしていたその時、
「スティープ!」
後ろから走って来た何者かがそう声をかけてきた。
この声は……!
ヴァルツ兄だった。
相当急いで走ったのだろう、腰を屈め膝に手をつきゼエゼエと息をついている。
「これから皆で打上げか。済まないが、少し二人だけで話がしたい」
「あ! お前は以前バルで会った
え?! キトゥンは兄とバルで会った事があるの? それに“坊や”って……。
キトゥンが兄に喰ってかかった所を、後ろからその口を手で押えたのは団長。
「きっと何か大事な話があるのでござるよ。ここは二人に任せよう」
◇
綺麗な夕焼けは段々と夜の闇を帯び、星が瞬き出している。
街の明かりが灯り、ところどころでこれから始まる夜の喧騒を見せ始めていた。
鼓動が早まる。
喧騒が頭に鳴り響く。
何を聞かれ、どう答えよう。
それが齎す明と暗、心は不安と、ある期待で瞬いていた。
「これは俺のただの独り言だ、聞いていて欲しい。スティープ……お前カタリーナなんだろ! 今日の手合わせ、昨日俺やアルルと手を合わせた時の雰囲気、カイマンもお茶を飲む仕草でそう気付いていた」
私は震えていた。
「呪いとかいうやつでとんでもない体になった――そう、例えば……“悪魔”だとか……俺はそう思っている。そう考えると色々な点で辻褄が合う。当然それを皆には知られたくない、きっとアイツはそう思ってる」
あぁ……!
「だが、俺やアルルはアイツを信じている。見た目や能力、例えそれが悪魔だとしてもそれがなんだ、アイツはアイツだ! 俺達の大事な家族だ!」
ヴァルツ兄!
これこそ私が胸に期待を瞬かせていた言葉だった。
私の心は泣いていた――嬉しい、ありがとうと。
「何か……俺達に出来る事は無いのか?」
「今回の旅は……とても危険なものになる――私は、暗黒大陸にある大地の裂け目のその先で邪竜と遭遇し、二匹倒している。今回も相応の力が必要になるだろう」
「そうか……」
ヴァルツ兄は拳を強く握りしめていた。
その横顔はとても寂しげだった。
「うちの大佐は……悪魔の如き強さのスティープを我が戦力に出来ぬかと考えているようだ。だがそんなのはどうだっていい、もし元に戻れる可能性がヴァラキアにあるというのなら……」
そっと私の頭に手をやり、優しく撫でた。
「気を付けて行ってこい! 俺達はその気があってもその力が及ばぬのだろう。だがお前には俺やアルルが教えた剣術、それにカイマン直伝の闘気もある! 俺達は一緒だ! 何よりお前を想う強い気持ちがここにある事を決して忘れるな!!」
兄の拳が私の胸板をゴンとこづく。
私は夜空を見上げていた。
綺麗な輝きを放つ満月は段々とぼやけ滲んでくる。
思わず声を上げそうだ。
しかしその眩い月光がフッと、私の頭の記憶をフラッシュバックさせた。
(や、止めろぉぉぉぉーーーっっ!!!)
(―――あぁ、この罪は、必ずや同胞の手により……)
そう……私はもう、ただ“悪魔化しただけ”の存在じゃない。
『天使殺し』
その言葉がズシリと頭にのしかかる。
私は兄に背を向けた。
「これは私の独り言……私はこの力を完全には御しきれていない。それが理由で……本物の天使様を殺めてしまったのだ。きっとその報いを受ける事だろう。だから私に関わると碌な事にならぬのだ。この旅は、私にとって贖罪の旅でもある」
兄は、どんな顔をしているだろう。
きっと驚き、ショックを受けたに違いない。
ただ私は、誰にも話さぬ秘密を一番知っておいて欲しい家族に話すことが出来、ちょっぴりだけスッキリしていた。
「カタリーナ、剣で語れ! 今日の俺との手合わせを思い出せ。力が御せず悲しみの剣を振るえばきっとその思いは神にだって通じよう。力を正しく正義の為に振るったならば誰も悪魔の所業とは思わんさ。大丈夫だ、俺を信じろっ!!」
私は――泣いた。
隠しようがなかった。
体も心もガクガクと震えていた。
兄はどこまでも私に優しく、私の事を想ってくれていた。
そんな私のすぐ背後に兄の気配がした。
兄は優しく肩に手を置いた。
「うわぁぁぁぁ……!」
私はバッと振り向き、兄の体にしがみつき、思いっきり抱き締めた。
バキッボキッ!
「が、がはぁっ?!」
鈍い音が響き、続いてヴァルツ兄の呻きが聞こえた。
私は慌てて力を緩めた。
「す、凄まじい力だな……やはり今の俺じゃあ弱過ぎて手助け出来そうにない」
苦笑いするヴァルツ兄。
私は大丈夫かと慌てふためいたが、なあにこれくらい大丈夫だ、と平気な様子を見せると、闘気で身を包み出した。すると何事も無かったかの様にスタスタと歩き出したのだ。
「お前の帰りを、お前の無事を、皆で祈り待っているからな」
ヴァルツ兄は一人訓練所の方へ歩き、やがて街の暗がりへと消えていった。
「それでは、乾杯を行いますので皆様ご唱和お願いします!……」
ムイピカン亭からは、キースの声が聞こえてきた。
見ると、入り口にキトゥンが立って手招きしている。
私はキトゥンにすぐに行くと返事して、宿に確認を取った。
どうやらアーロンさんはまだ戻ってきていないらしい。
ジークとルイは外に出ている様だ。
ひょっとするとバルに居るのかも。
私はキトゥンと共にバル、ムイピカン亭の中へと足を運んだ。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
すっかり暗くなった軍の施設に戻ったヴァルツの帰りを、待ち迎えたのはスパルタクスだった。
大佐の姿を確認し、ふと集中が切れたのかヴァルツの体を纏っていた闘気がスッと消えた。途端にヴァルツはその場に蹲ってしまったのだ。
「ど、どうしたヴァルツ?! 大丈夫か!?」
駆け寄るスパルタクスにヴァルツは肋骨が何本か折れた様だと告げた。
急いで魔術軍の医療エキスパートを連れてくる。
早急に痛み止めと骨折が回復するまでの圧迫固定の処置が施され、絶対安静を言い渡されたのだった。
ベッドに横たわるヴァルツにスパルタクスが問いかける。
「よもや、あのスティープに決闘を挑んだのではあるまいな?」
彼は、ヴァルツの正義感からスティープの正体を突き止めんとし、返り討ちを浴びたのかもと察したのだ。
「いえ……その……全力で抱き締められてこうなりました」
意外な返答。
「クッ……アーハッハッハーーッ!! そうか、あの馬鹿力で抱き締められてそうなったと。そりゃー難儀だったなー、ハッハッハ!」
スパルタクスは自分の愚かな推察が間違いだったことに安堵し、だがどんな経緯でその様な行為に至ったのかには興味があったのだが、そのせいで憐れな犠牲を伴ったヴァルツを見て、それを聞くのも野暮かと思ったのだった。
「今日はもうゆっくり休め! 俺も明日は大事な用があるんでな」
そう言葉を残し部屋をあとにした。
(さて、どうやらこれでスティープはヴァラキア行き決定か。戻って来れるか、戻って来た時どうなっているか、だな。まぁ俺は俺で明日の準備を進めるか……)
スパルタクスの入った別の部屋には、小瓶が机に置かれてあった。
それは彼の故郷、アランダルキア地方で夏の時期、盛大に咲き誇る花ヒマワリから抽出した精油である。
その地方では古くから、このヒマワリの精油が男性から女性へ送るプレゼントとしてポピュラーで、女性はそれを肌に塗り美肌効果として用いる。
つまりそれは贈られた男性へ、もっと美しくなった自分を魅せたいという意志表示を聞く手段にもなっている。
因みにセビーヤからアランダルキアまでは決して近くない。
馬でも早くて片道3日、往復ならば普通1週間程度はかかる。
それをこの男は、明日のアーデルハイトとの“デート”に向けて知恵と策を練り、しっかりこれを準備したのであった。
ヒマワリが香る部屋の中、スパルタクスは一人、明日のプランを静かに練るのであった。
(続く)
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