11話.無我の境地
(集中、集中……)
私は大きく深呼吸し、眼を閉じた。
閉じた目線の先には、邪竜が毒の吐息を吐き散らし、こちらに向かって来ている。
キースはキャサリンに跨り、森の上へと既に飛んだ。
オジキとジークは私の後方で邪竜の様子を確認、私への報告をお願いしてあった。
「だいぶ毒の吐息が迫って来たな。あと20歩くらいで到達だ。邪竜を中心に半径30歩程は吐息で満たされているぞ。スティープ、邪竜は丁度お前の真正面、距離約50歩前方だ! ゆっくりこちらに向かって来ているぞ!」
ジークが叫ぶ。
「判った! 私も“本気”に入る!」
心を落ち着かせる。
大きく息を吸う。
何度もそうして来た“型”。カイマンに教わりこれまで磨き上げてきた。
“気”とは、厳しい稽古の果てにそれまで積み上げてきた経験、無意識で積み上げられてきたもの、潜在的なもの、それらがまるでスープの様に混ざり溶け込んだポテンシャルエネルギー。
気合や強い思念がそれを形作り、或いはそれらが乗じて“闘気”となって引き出される。私はそんな風に理解していた。
今回は更により深い所に精神を潜らせ集中した。
それは頭の中のあらゆる思考、感情、行動を引き起こす思念すら、全てが白く一色と化す程までに。
「私は・剣で・戦う」という区切られた意識はスープの様に混ざり合い、これまで稽古で修得した型、呼吸、戦闘におけるノウハウ、私の一部を為していたそれら
「破ァァーーーッ!!」
気付くと気合を発していた。
膨大な量の“気”が私の体から溢れ出し、それは“闘気”となって放たれた。
同時に聖杯から禍々しくも夥しい邪気が私の闘気に流れ込み、それに同化し、まるで別物、異質の“殺気”へと昇華させる。
GUUUUGYAAAAAAHH!!
予想外の事が起きた。
こちらに向かって来ていた邪竜の歩みが止まった。
毒の吐息を吐くのも止めている。
「フハハハハハハハーーーーッ! なんと素晴らしい!! これが穢れた聖杯の力か。欲しい、欲しいぞーっ! だが普通の人間があんな邪気に呑まれたらどうなる? 面白いものが見れそうじゃ。えぇーい! そんなとこで躊躇しとらんと毒の吐息を吐き散らし、とっととそいつらを片付けんかーっ!」
神父が大声を発しているのが聞こえた。
「そろそろ毒が到達しそうだ!俺達は一旦退避する。後は任せたぞ!」
ジークの声がフワフワと届く。
毒の吐息が近づいてきた。目を瞑っていても今なら判る。邪竜の邪気も感じられ距離も縮まっているのが判る。
聖杯からの邪気は相変わらず私の体へと流れ込み、私の気と同化しながら体を纏い、より大きく禍々しいものに仕上がっていく。
(まだだ……)
毒の吐息に入れば私の中に負の感情が芽生えるだろう。
それこそ聖杯から更に膨大な邪気を私に送るトリガーになる!
それに耐え、更に溜め込み、その邪気を一気に解放。
相手が避けられぬ一撃必死をお見舞いするのが私の狙い。
チャンスは2つ。
1つは上空からのキースの奇襲。
上手くいけば邪竜は一瞬そちらに気が向く。その隙を一気に詰めて叩き込む。
もう1つはチャンスと言うより一か八か。
私が邪気に耐える限界を感じた時、突撃をかける。
以上が私の思いついた“覚悟”の作戦だったのだ。
いよいよ毒の吐息が私の体を覆い始めた。
(ぐううぅぅぅぅぅぅぅーーーーッ!!!)
毒の空気に触れた部分が熱く焼けただれ、激痛が走る。
それは想像を絶する苦しさだった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ………!
地の奥底から鳴動している様な音を響かせ、聖杯が激しく震えていた。
きっと私の中に辛苦、憎悪、憤怒といった負の感情を見出したのだ。
溢れ出る邪気はこれまで以上に私の中に流れ続けた。
もう私を纏うオーラはどれ程迄膨れただろうか。
本来なら歯ぎしりして必死で意識を保たねば失神してもおかしくない筈なのに、なぜかもう苦しくない。つい先程まで感じていた毒の吐息に拠る痛みすら不思議といつの間にか消えていた。
この時、私は私で無い様な不思議な意識の
相変わらず流れ込む邪気を感じながら、しかし不思議とこの溜め込んだ邪気を今なら自在に扱える、そんな気すらしていたのだ。
ジークからの声が頭に響く。
「スティープ! もう限界だぁーー! キースの奇襲は待たなくて良い! 作戦を決行しろぉーーっ!!」
その声に体が僅かにピクッと反応した。
意図したわけではない。
体が勝手に、剣を構えた。
目をスッと開ける。
邪竜が映った。
シュタッ!!
気付くと体は、
跳んで――斬った。
着地して振り返り跳び――斬る。
自然と動く。
しかも巻き藁斬りをしている様だった。
とても静かで……音がしない。
ドドドドドドドドドゴォォォーーン!!
ドガガガーーーンッ!!
二撃を放ち着地した後、大きな衝撃波と連続した轟音が、私の通過した後を追いかける。
あれ? これって……音を置いてきた?
ビュオオオッと凄まじい風が巻き起こり、辺り一帯を吹き
土埃と共に毒の吐息が霧散する。
振り返るとそこには、3つに分か断れた巨大な邪竜の体躯が転がっていた。
もうこの邪竜が反撃してくる気配はない。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
カタリーナが見せた動き、それは、幾ら膨大な量の邪気を聖杯より受け取ったとはいえ、それだけで辿り着けるものでは到底ない。
それは永い年月を厳しい鍛錬で埋め尽くし、悟りの域に到達した者が漸く手にする『無我の境地』に近い。
だがそれは経験の浅いカタリーナの手に到底届くものではない。
しかし彼女が触れたのは、確かに『無我の境地』の一端であった。
実戦経験の少ない彼女にとって、備える技はそう多くない。
仲間との絆で引き受けた役割、その一点だけに集中していた彼女には、逆に多くの修行者がそれに到達出来ず陥り易い、技の“取捨選択”やその“迷い”、“緊張”から解放され、更にはカイマンの教え「からだの自然な流れのままのわざ」を意識していた事が大きい。
彼女は所謂『ビギナーズラック』が果たす“自然体の振舞”が出来ていた。
それが彼女に『無我の境地』の為せる
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
こっちは終わったかな……? あとは……。
まだ私の体には邪気のオーラが薄く纏わりついていた。
辛うじて意識を保つ。
気付くと目の前に闇が迫り、私はあっという間にその闇に飲まれた。
――夜より暗いと感じるその深い闇の中、怪しげに浮かぶ2つの赤光。
集中して目を凝らす。
そして気が付いた。
それが神父の放つ眼光だという事に。
(続く)
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