13話.レイネとカイマン

 お嬢様が屋敷を飛び出し、旦那様は「おぉ……」と手を額に空を仰いでいらっしゃる。これまでに幾度となく見た光景です。


 昔は他愛無いと思えたのですが……幼きお嬢様の駄々は可愛らしくもあり旦那様も「仕方ないなー」と微笑んでらした。しかしここ数年、年を重ねる毎にお嬢様のじゃじゃ馬ぶりには心配になってきます。


 お嬢様だけではない、旦那様にも、なのです。


 このままいくと旦那様はお嬢様の事で心労がたたるのではと心配です。

 かくいう私めも、お嬢様の素質に惹かれつい、謹慎していたお嬢様への剣術稽古を解き、思いっきり指導してしまいました。

 その結果は予想を上回るもので、私も少し後ろめたいのです。


 旦那様は、「少し疲れた」と居間の椅子で休まれました。私はお茶をお注ぎしようとテーブルにある国王様より預かりし大切なご本を片付けようと致しました。


「だ、旦那様!」

「どうした、カイマン」

「ご本が……」

「!!」


 それは表紙に付いている留め具でありました。その一部が綺麗に凹み、また貧曲がった部分もありました。どうしたら一体この様になるのやら……。


 ところが旦那様は、ふむと手を顎にやりながらその傷みをじっと見て考え込んでいらっしゃった。お嬢様の事にはあれ程嘆いてらしたのに、こちらの事にはあまり狼狽されずにいらっしゃる。


「カイマン、済まないが街の道具屋の職人<レイネ>に頼んで、これを直して貰いに行ってくれまいか。恐らくこの程度なら新品同様に直して貰えるはずだ」


 なるほど、手段があるという事でしたか。


「御意にございます」


 国王様のご本を丁重に布に包み皮袋に入れて出かける準備を済ませますと、旦那様も丁度お出かけになる様でした。造船所の知り合いに打ち合わせに行くとか。


「恐らく私よりカタリーナの方が早く帰るかもしれん。望遠鏡や羅針盤の話はもう店に伝えてあったのでな、準備が出来ているはずだ。そうしたらカイマン、お前が品のチェックをしておいておくれ。まぁ大丈夫とは思うが……」


 流石旦那様、抜かりが無いですな。大変な航海になる事は間違いないでしょう。それでも旦那様ならきっとやり遂げるに違いありません。


 空はどんよりとした曇り、この時期としては珍しい。こういう時は何か意外な事が起こりえるものです。私は念の為、ガローテを1本持って行く事に致しました。



 商店街はいつもより人通りも少なめで、私は道行く人に阻まれる事無くスムーズに道具屋まで行き着く事が出来ました。道中お嬢様とはすれ違いませんでした。今頃、どこで何をしている事でしょう。雲行きもだいぶ怪しいので心配です。


「お! エランツォ様のお屋敷の、たしかカイマンさんだったよな? カタリーナお嬢ならもうとっくに寄ってったぜ。ちゃーんと品は渡してある」


「そうでしたか、それは良かった。実は別件で参ったのです。レイネ殿はいらっしゃるか?」


「あぁ、奥に居る。中で要件を言ってやってくれ」

「失礼致します」


 店の奥は工房になっていました。木材と金属と油の匂いが入り混じるそこは綺麗に整頓されておりました。様々な工具が壁に掛けられ、部屋の中央の作業場では一人の女性が作業をしております。


「お忙しい所、失礼つかまつる。頼みがあって参り申した」

「あら、エランツォさんとこの……カイマンさん、だったよね?」


 作業場の雰囲気にとても合った色、オレンジブラウンの肩まで長いその髪は、ところどころ外側へ跳ねる様にカールしています。作業場で扱う火の熱の影響もあるのでしょう。


 割と華奢な体つきですが、店の主人が彼女を雇い、旦那様も認める程の腕前。しかも訛りが少しある。モノクル越しに見る彼女には魔力が見て取れました。

 すると彼女は人差し指で宙にくるっと丸にS字、即ち“判定の印”を描き、両の掌を前に差し出し頭を下げて礼をします。私も同様の仕草をして礼を交わしました。


「そのモノクル、魔道具だろ? お仲間を見るとついやっちゃうんだ」


 それは魔術士が交わす挨拶の儀礼。昔はどの国でも気兼ねなく交わされたものですが、今ではすっかり見かけなくなりました。魔道具国家オルレアンならまだしも、一歩この街から離れそんな事すれば、一夜にして噂は広まり、その街や村には居られなくなる、寂しい事です。


「ところで用件は?」


 私は皮袋から本を取り出します。


「へえ……これ噂のレコーデレストだろ? なかなか良い作りね。ちょっと待ってて」


 彼女は油で汚れた手を洗いに行ったようです。戻ってくると綺麗な手で本を持ち、じっくりとそれを眺めます。


「ふーん、なるほどね。しっかし、不思議だな。どうやったらこんな風になるんだい? これはどこかにぶつけて出来る傷じゃあない。そうだなーまるで、熊か何か、とてつもなく強い力で握らなきゃこうならないわ?」


 流石です、ご明察。しかし熊ですか……まさかお嬢様の仕業とも言えません。無意識に闘気でも使ったのでしょう。私は「直せそうか」とだけ尋ねました。


「あぁそれなら問題ない、綺麗に直るさ。それと……もし良ければちょいと試させてくれないか? いや、なーに、この本を模写してみたいんだ」


 ほぅ、魔術の応用技ですな。実物があるからイメージは十分ですし、本の作りも職人なら深く理解している点も多い。これはかなりの期待が持てます。


「この原本に影響が出ぬなら構いませぬ。それとあまり遅くならなければ助かります、用事がございますので」


「よしきた! それじゃあ早速修理と模写と進めさせてもらうよ!」



「ふー、カイマンさん。ありがとう」


 いやはや、天晴な腕前。本は綺麗に直りました。彼女、かなりの使い手です。


 変形した留め具を丁寧に表紙から外し、術を掛けます。恐らく熱したのでしょう。あの小さな部位にピンポイントに必要な熱を当てるその技術と精度は見事、器用に道具を用いて曲げや凹みを直し、また術を掛ける。それで形も色も新品同様です。


 写本も上手くいきました。手持ちの羊皮紙に全て写し終えます。魔術の制御、精度共に言う事なしです。まだ若く見えますが大したものだ。


 本来ならばもっと、この様に魔術士が人々の生活の中で活躍し、変革を齎しても良いはずなのです。そうすればもっと魔術士を見る人々の目は変わるはず。

 ところがそれを台無しにしてしまった、私と同じ毛色の魔術士が……。


 魔術が戦争に使われた。その使われ方はあまりに深く、多くの人々を傷つけた。

 結果、彼女達の様な罪の無い魔術士の立場までおとしめてしまった。


 こんな若い魔術士がもっと世で人々の為に活躍して欲しい。そんな願いを思いながら私は羊皮紙に移された写本を一枚摘まみ上げじっくりと眺めました。


「本当に良く出来てますな、素晴らしい出来だ」


 しかしこの辺りで羊皮紙とは珍しい。ヴィネツィから取り寄せたのでしょうか。


「ありがとう! その写本したやつは2、3日貸してくれない? 表紙も作って綺麗に仕上げて持って行くよ。お代はその時、請求するね。貸してくれた分はサービスしとくわ」


「了解です」


 私は受領のサインを書きますと、本を布で丁重に包み皮袋にしまいました。遠くの方で雷の鳴る音が聞こえてきます。少し急いだ方が良さそうです。


「あら、お客が来たようね」


 ガローテを握る手に力が入る、私は身構えていました。その客から只ならぬ気配を感じ取ったのです。そっと店先に目をやるとコンスタンティンの商人でしょうか。服装からはそんな感じが致します。頭にターバンを巻き雌雄眼で口ひげがピンと外に跳ねている怪しげな雰囲気の男。店の主人と話をしています、何かの交渉でしょうか。


「ヴィネツィの商人よ、あんな格好してるけどね。この羊皮紙も彼から買ったの。名前は……そういえば聞いてなかったわね。ちょっと挨拶してくるわ」


 レイネ殿も店頭に行ってしまわれました。しかし、ほんの二言三言交わす程度でその怪しげな商人は帰っていきます。


「や、お帰りですか、カイマンさん」

「随分と早かったですな。てっきり交渉されてるのかと思いました」


「いやいや、なんでもこれから大事な取引があるので丁度通り道に寄ってみたというだけでしてな。以前、あの方から羊皮紙を買い込んでいたんですよ」


「今回は持ち合わせていなかったみたいね、うーん残念」

「まだストックはあるのだろう?」

「まあね。でももうちょっと欲しいなぁ」

「いけそうなのか?」

「ばっちりね」


 私も主人に向かい頷きます。主人の顔がこれ以上ないくらいの笑顔に変わります。


「よし来た! 羊皮紙は難しいが他の知り合いを通して仕入れておくぞ。いやあ楽しみだなぁ。あぁそうだ、こんな物を貰った。サンプル品だそうだ」


 主人が取り出したのは小さな皮袋に入った“黒い粉”でした。私は、何に使うのかと尋ねたのですが、主人も良く分からんと。ただ「試しに使ってみろ」と言われたそうです。私はあの商人になんとなく嫌な予感がしてたので「気を付けた方が良い、毒かもしれませぬぞ」と注意しておきました。


 主人は笑っていましたがレイネ殿は心配そうにしていました。

 今にも降り出しそうな空模様です。私は急いで屋敷へと戻りました。



(エピソード. 悪魔の粉 終わり)

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