第5章.鳴鐘
竜の渓谷編
1話.竜の渓谷
なだらかな砂丘が映す地平線は、まだ暗い。
やがてそれは、熱気揺らめく灼熱へと姿を変える。
砂漠――そこは世界が地獄と化す場所でもある。
ミスティ達は、陽もまだそこそこ昇る以前に出発した。
そして地獄を見る前に無事、“大地の裂け目”へと到達したのである。
何がどうなるか分かっていれば、やり様はあるものだ。
“大地の裂け目”
――どうして砂漠の真ん中にその様な地形が出来たのか。
明らかに自然物ではない。
それは暴威の傷跡、神秘の地形――
異質の地形をジークフリート一行は進む。
谷底を亀裂に沿って進み、その突き当りに現れるは洞窟であった。
ジーク以外の誰もが、なぜこんな所に洞窟が、と訝しんだ事であろう。
しかしジークだけは、これが答えだと言わんばかり、さっさとランタンを灯し一人先に歩むものだから、皆慌てて彼の後をついて行くのであった。
目指す先があの伝説の竜が住むと言われる異世界だという――まだ疑いの捨てきれぬその認識が、砂漠のど真ん中にあったこのあり得ぬ地形、あり得ぬ洞窟、そしてジークの迷い無き歩みによって、段々とその真実に迫っているのだという実感に塗りつぶされていくのであった。
何がどうなるか分からない、それはやり様が無いと同義。
だがその危険を承知で彼らを推し進めるものは何か。
経験のある案内人、ジークフリートが共にあるという事もあっただろう。
しかし何より彼らには、果たさねばならぬ使命があった。
真っ暗な洞窟を響くのは、そんな彼らの覚悟の足音だったろう。
◇
遥か向こうに明るい陽の光が射し込むのが見えた。
「お! 明かりだーっ!! もうすぐ、もうすぐだぜ。遂に竜の渓谷だっ!気合入れるぜ野郎どもーっ!!」
漸く見えた竜の渓谷への入り口に、キースは興奮して言い放つ。
それは高まる緊張感、そして覚悟を鞭に皆に発破を入れる行為の筈だった。
これがミスティやジークの掛け声であったなら、皆、「応っ!」とでも気合を入れて、また静かに歩を進めた事だろう。
しかしそれがキースだったから、言葉は違う色を帯びる。
「バーカ! なにおめぇが仕切ってんだよ! 言われるまでもねぇ、みんな気合入れてるっつーの! おめぇこそビビってまた小便漏らすんじゃねーぞ!」
仲間の一人が即座にキースにそう返した。するとオジキがポロッと呟いた。
「また? ……なのか」
(あ……)
(気にはなったが……聞いてしまったか……)
事情を知らないジークフリートやルイにも、オジキの一言は頭の中に浮かんではいた。敢えて突っ込むのを堪えていたのだが……。
暗闇の中、あちこちからうっすらと嘲笑が漏れる。
「ば、馬ー鹿言えよ~、それじゃあまるで俺がとんだ腰抜けの臆病者みてぇじゃねぇか!! んなわけ……あ! スティープ!! てめえまで俺を笑いやがったな?! 暗闇ん中でも判るんだぜ!?」
すっかり緊張の糸が切れたその時を、キトゥンが大きな声で制した。
「お前達、そこまでにしとけーっ!! ……キース、例え不意打ちだったとはいえ小便漏らしてぶっ倒れてたのは事実なんだから、包み隠さず前向きに生きろよ? みんな、余計な肩の力は取れただろう、 けど緊張感は保っとくんだぞ!」
キース(ガーン……)
オジキ・ジーク・ルイ(……)
UP一味(フォローになってねぇ……)
「さぁみんな! 洞窟を抜けるよ、気ィ引き締めなっ!!」
ミスティの掛け声と共に洞窟を抜ける。
その掛け声に皆、気を入れ直したはずだった。
しかし目の前に現れたその光景は、皆の想像を超えていた。
どうなるか判らぬ先に、覚悟の“上”を見定めた時、それが崩れるのは容易い。
◇
そこはまだ、岩に囲まれた広い空洞であった。
光が薄く差し込む向こうには大量の水が流れ落ちるのが見えていた。
だがその水の手前、今、彼らの眼前に待ち構えていたのは、圧倒的な存在。
岩をも裂く様な鋭い爪、骨など軽く嚙み砕いてしまうだろう鋭い牙をぎらつかせ、時折地面を叩く長い尻尾はまさに凶器の鞭。
空気を震わすその吐息、体を震わすその眼光、そのどれもが
それも5匹、圧巻だった。
一歩前に立ちはだかるは漆黒のドラゴン。
体が他のより一回り大きく、面構えも如何にも凶暴で、何より強い雰囲気を纏っていた。
そのドラゴンの背に跨っていた女は、一行を見下ろし叫んだ。
「我が名は<アルスレイ>、【
見た目は人間そのもの。
一つ違和感を感じさせるとすれば、一見飾りの様にも見える頭の黒き角のみ。
漆黒の鎧に身を包み、きらきらと艶めく美しい黒髪をたなびかせる。
特に目を引くのは女が手に持つ武器、それは巨大な矛槍。
ドラゴンの首すら一撃で斬り落とす、そう感じさせる黒槍であった。
「フフ……どんな輩がぞろぞろ来るかと思っていたらお前か、ジークよ」
「久しぶりだな」
「さて、ここに来た目的を聞かせてもらおうか」
「今回の目的は3つだ。竜の爪を手に入れる事、そして……」
「“龍の首の珠”を探している」
「我々の世界に来てヴァラキア公国を滅ぼしたドラゴンの討伐だ」
オジキとルイも目的を述べるとアルスレイは顎に手をやった。
以前にジークが来た時は、邪竜退治の得があった。
今回は、少し事情が込み入りそうだ、そう考えていた。
「ふむ……分かった。とりあえず腕試しだ。さぁ誰から来る? まずは私が相手をするぞ、かかって来い!」
決めた筈の覚悟が、にわかに怖気へと変わる中、スッと腰の鞘から剣を抜き、誰よりも先に前に歩み出る一人の剣士。
(ほぅ迷いがない、良い覚悟だ!)
相手を見据え、矛槍を構えるアルスレイ。
「お前、名は?」
「スティープ」
「良いだろう。さぁスティープ、来いっ!」
スティープはジークがこの洗礼の話をしていた時から心に決めていた。
自分がまず先陣を切ってこの洗礼を切り開こう。
それがキトゥン達への恩返しにもなる筈だと。
皆の覚悟が早くも脆く崩れそうになったのを再び支えたのは、スティープのこの決心の行動だった。
自分達は何をしにここまで来たのか。
目の前の相手くらいどうにか出来ず、この先、もっと前に進めようか。
否――ならばやるしかない!
皆の心にそう再び火を付けるのに、スティープの姿は十分であった。
(続く)
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