9話.カラボスの復活

 私は部屋にグレースさんを呼びに行った。


「グレースさーん、朝食の準備が出来たわよー!」


 この時ほど、ちゃんとマナーを身に付けとけばと感じた事は無かった。

 ノックも無しに部屋の扉を開け、中のグレースさんに呼びかけたのだ。


「あ! 失礼……。まさか着替え中とは思ってなくて……ごめんなさい」


 慌てて扉を閉めた。


 あー驚いた!あの人、人間よね?! 顔が無かった? いや、違う。全身に巻かれてたのは包帯……? それにあの色は……闘気ではないみたいだけど……。

 

 扉を開けた瞬間、振り向いたその顔は口元以外包帯で巻かれていた。

 いや顔だけではない。彼女はローブを身に付けておらずその全身を包帯で巻いていたのだ。しかもその体は仄かに薄桃色のぼんやりとした光に包まれていた。


 こ、この事はとりあえずみんなには黙っておこう……。

 

 何か見てはいけないものを見てしまった気になって、私は“何かの見間違いだったんだわ”と言い聞かせる様にして、この事を忘れてしまおう――そう思った。

 

 みんなが揃ったところで朝食となった、但し母カーラを除いて。


 母は今朝、急に熱が出てベッドに寝込んだきりになっていた。

 幸い、カイマンが母への水枕やみんなの朝食の準備を首尾よくこなしたので母が居ない以外は普段と何も変わらぬ朝となった。


 珍しい、母が熱だなんて……こんな事は初めてだわ。

 なんか嫌な予感がする。


 父は国王との謁見に出かけ、ヴァルツ兄も軍の任務とやらでしばらく家に戻れないと出かけて行った。

 アルル兄はグレースさんから占星術を教わると言って二人で二階の部屋に行き、私はカイマンと母の看病を交代でする事にした。


「お母様、大丈夫?」


 ……すごい熱。それになんだか苦しそう。


 母の様子は少し異常だった。拭いても拭いても額から汗が出てきて苦しそうにもがいている。熱も一向に下がる気配が無い。


 だが、これまで病気や怪我が無かった方が不思議だったのかもしれない。

 それまで無病息災だったのが、漸く普通に病気になっただけとか。


 ただ心配なのは、カイマンから聞いていた母が抱えている持病。

 今まで魔力で抑えていたものが遂に抑えきれなくなった可能性……。

 恐らくカイマンにも同じ不安がよぎっているに違いない。


 結局母の熱は夕方になっても冷める事無く、相変わらず苦しそうだった。

 私とカイマンは一生懸命冷たい水で絞った布で何度も汗を拭ってあげた。

 すると、母は苦しみを我慢し絞り出すような声で私に言った。


「グ、グレース……グレースさんをここに……。私を見てもらって欲しい……」


 私は急いでアルル兄の部屋に行き、グレースさんに母を見て欲しいと懇願した。

 グレースさんは急いで母の部屋に出向いてくれた。

 私とアルル兄、そしてカイマンも後に続いた。


 グレースさんは母の額に手を当て、何か魔術を唱えていた。

 恐らく熱を冷ますために冷やそうとしていたのだろう、彼女の手先から雪の様な物がチラホラと降り始めた。


 その時、母の手が素早くグレースさんの手首を掴み、いきなりその腕に咬みついたのである!


「ぐっ……!」


 カイマンが素早く母の手を払い、グレースさんは噛まれた腕を振りほどく。


 グレースさんのローブには噛まれた箇所に2つの穴が空いていた。

 それはまるで狼の牙で噛まれた様な跡だったのだ。


 すると母は片手でカイマンを押しのけた。


 ドゴォォーーン


 ええっ!? ど、どうして??


 カイマンが壁まで吹っ飛ばされたのだ! 


 その時、母の体から邪悪な気配がした。

 それは闘気と似てる様で違う。

 妖しげで、禍々しくて、畏怖の念に満ち、とても嫌な気分だ。


 美しく輝いていた母の銀髪はどこか邪悪な黒みを帯びて、その両目には爛々とした赤い輝きが灯り、ニヤリと開けた口からは鋭く伸びた牙が覗かせていた。


 母の面影は残っているがそれはまるで全くの別人の様だった。


「ふははは! ようやく封印を解く事が出来た、感謝するよグレース。なかなか強力な封印だったのでより強い魔力を頂く必要があった。お前からたっぷり吸わせて貰ったよ」


「私はまんまと利用されたというわけね。さてこの始末どうつけてくれましょう!」


 グレースさんの指先には、ブンという音と共に赤い光の玉が生じた。


 やがてそれはバチバチッと火花が散る様な音を立て、握りこぶし程の大きさまで膨らむと、今度はキーンという甲高い音を響かせながら輝きを増し、遂には眩しくて直視出来ぬ程になった。


 ときおりバチンッという大きな音を立てながら、その赤き光の玉はビリビリとしたオーラを放つ。思わず背筋がゾクリとする感じがした。


「こ、この術は! やはり貴方はパナデスの! しかし、この威力は……」


 壁際に蹲りながらカイマンが叫ぶ。

 アルル兄もその圧倒的なオーラを目の当たりに、信じられないという表情だ。

 それは魔術に疎い私でも明らかに“ヤバい”と感じる程のものだった。


『魔術封印』の結界は一体どうなってるのよ?!


「や、やめてーっ!」


 私はその強大なオーラの玉から母を庇おうと、腕を広げ母の前に立った。

 その時……、


 カプッ!


 私は母に、その首筋を咬まれていた。


 鋭い牙が深々と首元に刺さり、ング、ングと吸われる感触。

 咬まれた箇所がズシッと熱く重く、そしてあの禍々しさを感じる。


「ぐわぁぁぁー!」


 私は薄れゆく意識の中で、母が先程より強大な、只ならぬ気配を発しているのを感じた。それは、体が震えてしまいそうな、心が悲鳴を上げそうな、禍々しく極めて支配的な“恐怖”の気配……。


「ははは、久々の目覚めでまだ体が馴染んでないのでな。お前と今本気で戦うのは得策ではないのだよ。しばらく故郷に戻り完全なる復活を遂げるとしよう」


 カイマンの体が旋風に包まれて、母に向かった。

 しかし母はひらりと躱し目にも留まらぬスピードで部屋を飛び出していく。

 私は立っていられなくなりフラリと倒れ、それをアルル兄が抱えてくれて、

 

 ――私はそこで気を失ってしまった。


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・


「逃すものか!」


 グレースは指先に溜めた赤き光の玉を放つ。

 それはまるで赤い稲妻の如く、部屋を出たカーラを追尾する。


 空気を切り裂く音はやがて、バリバリバリッと激しく耳を劈く音をたて、ズズーンと大きな衝撃が屋敷内に轟くと、その後には高らかな笑声が響き渡った。


 グレースは廊下に出た。

 だがその目に映ったのは、激しい衝突の痕跡と開きっぱなしの玄関の扉のみ。


「逃げられたわね。あれを防ぐだなんて……」


 グレースはまるで焼け焦げた跡の様な廊下をジッと見つめていた。

 一方、アルルヤースはカタリーナに声を掛け続けていた。 


「おい、大丈夫かっ?! ま、まさか死んでしまったのでは……」


 しかしカタリーナは一向に目を覚ます気配が無い。

 アルルヤースは気がすっかり動転していた。

 あまりに激しく揺さぶるものだから、カイマンが引き離す程だった。


 そこへグレースが近寄り、二人に語りかける。


「あれは……あの化け物の正体は、生と死を司る妖精<カラボス>。カタリーナは恐らく……“永遠の眠り”についた」


「え、“永遠の眠り”!! じゃあ治すには口付けかい?! 僕のでも大丈夫かい!?」

「落ち着きなされっ!! 次兄殿!!」



 邪悪なる妖精カラボス、それはヴァラキアのおとぎ話で知られる存在。

 アルルヤースも幼い頃、母カーラから聞かされていた。


 その昔、この世界に冥府の者達がやって来て、人々は祈り、神は裁きを下された。

 そして平和が取り戻されたが、姫は呪いを受けていた。

 永遠に眠り続ける姫は百年後、白馬の王子の口付けに拠り無事、目を覚ます。


 そんな話だ。

 そして話にはこんな一節もあった。


『神の怒りを逃れたカラボスは、今もどこかにひっそり身を潜めているんだとさ』


 

「な、なんとか……ならないのか……?」


 アルルヤースは絞り出す様な悲痛な声で問うた。


「残念ながら私の魔術ではこれを解く事は……。けれど、ひょっとすると教会なら、解く事が出来るかも知れないわ」


「い、今すぐ行こう! カイマン、運ぶのを手伝ってくれ!」

「御意」


 アルルヤースにはもう、それを信じるという選択肢しか残されていなかった。

 大事な妹を救う為、今自分が出来る事を為す。


 一方カイマンはグレース同様、ひょっとすると或いは……と感じていた。

 カタリーナの首筋に邪気の残滓を感じとれるからである。

 邪には聖、だから教会を勧めたのだ、と。


 僅かな光明を頼り、アルルヤース達は聖ラピス教会へと急いだ。



(第3章へ続く)

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