8話.占い師グレース

「ハァハァハァ……」

「姫様、大丈夫ですか? これをどうぞ」

「ありがとう……ングング」


 エスパニル王国の北、オルレアン王国との国境をわざわざ山脈を乗り越えエスパニル側に入って来た者達が居た。


 山脈を迂回して越境するルートもあるがエスパニル国王軍の監視を潜らねばならない。彼女達が通ってきたルートは通常、人間が通る道ではなかったのだ。そこを通り、監視の目もすり抜け、エスパニル王国内を南下し続けていたのである。


「美味しい……でも何だかとても体がフワフワする。これは何という飲み物?」

「フェアリーによると、『リオッハ』という街の“赤ワイン” と言うらしいです」

「そう。でもゴブリン達も流石にここまではまだ追ってこないでしょうね」

「油断禁物です。何せバックにはオルレアンの魔術士達がいるのですから」

「それに彼らの味方になっている幻獣たちもね」


「ですがこちらの世界ならば、ゴブリン共も大勢で攻め入る事は出来ません。それならば私が一人ずつ成敗致す事も出来ましょう」


 翡翠色の長い髪を束ね、銀色の鎧に身を包んだその女戦士は答えた。


「それにゴブリンを倒せば私の魔力も高められる。なんなら!」

「頼りにしてるわシンディ。でもこの世界の者達とはあまり関わりたくない」

「御意」


「先を急ぎましょう! 焔火ネズミが居る都市まで。そこを私達の拠点にしてこれからの事を考えましょう」


 姫様と呼ばれたその少女は、翡翠色の髪の戦士と数名の仲間を引き連れて、この旅路を急ぐのであった。



「お嬢様は、彼のアリス=キテラがどうして魔術封印を敷いたと思いますか?」

「え、それは魔術大戦の悲劇をもう起こさせぬ為じゃない?」


「如何にも。実は魔術大戦がエウロペ中に広まったのには、魔力を高める方法が一つ原因にありました。それを抑止する目的もあるのです」


「それって、つまりどういう意味?」

「それは……」


 するとカイマンはカタリーナから目を逸らし、振り返って明後日の方を見ていた。

 後に続く暫くの静寂が、何か聞いてはいけない事を聞いてしまったとカタリーナは感じていた。

 しかし、カイマンは意を決した様にカタリーナに向き直り、その目をジッと見つめながら、言った。


「魔術士は……人を殺めて魔力を高められるのです」

「えっ?!」


 その時のカイマンの目の色を、カタリーナは忘れられない。

 寂しさと冷たさを綯い交ぜにした色。

 その目の奥に秘められた彼の強さの源は、戦争で殺めた人の魂が糧なのだとカタリーナは悟った。

 だとしても、カイマンは魔力を高めたくて人を殺めたのでは決してない。


「カイマン、貴方は違うわ!」


 椅子からガバッと立ち上がり、必死の形相で声を荒げるカタリーナ。

 するとカイマンの顔がふわっと柔和になるのであった。


「お嬢様はお優しい。ご安心下され。魔術士の今はもう、生まれつき魔力が高い、或いは地道な修練で高めるのみ。私の様な者は老いさらばえるのみです」


 するとカイマンも、よっこらせと椅子を立ち上がった。


「随分と後味の悪い話をしてしまいましたな。これは少し腕を奮ってプチ豪華な夕飯で気持ちを挽回致しましょう」


 そう言ってカタリーナにウィンクしてみせた。

 それに漸く、はにかむ様な笑顔を見せたカタリーナであった。



 今日は何の日だったかと話題になるくらいの華やかな夕食を済ませ、食後のお茶を飲もうかという頃だった。カイマンは皆のカップを並べ、それにカモミール茶を注いでいく。


 その時、玄関の扉が開いた。アルルヤースが帰ってきたのだ。


「ただいま! 今日は特別なお客様をお連れしていてね。紹介しよう、占い師の<グレース=キテラ>さんだ」


「こんばんは、初めまして。どうぞ、よろしく」


 口元以外、全身を覆うその服装に、皆は一瞬ギョッとした。

 ただ一人、皆とは違う眼差しで見つめる者が居た。それはカイマンだ。


 グレースは軽く会釈し、そんな皆の顔を気にした風も無く見回すと、エステバンの妻カーラを見るやしばらくじーっと見つめていた。


(この女性……封印術が施されているわね。しかも随分と強力な……)


 一家の主エステバンはアルルヤースの招いた大事なお客様を迎えようとテーブルの席を勧めながら挨拶をした。


「ようこそエランツォ家へ。さぁさぁこちらへどうぞ。……ところでつかぬ事を伺いますが、あの“キテラ一族”と所縁がおありかな?」


 彼女はこくりと頷いた。


「これはこれは、大層なお客様がいらっしゃった。さあ、お茶でもご一緒に、我々と話でも致しましょう!」


 “キテラ一族”は代々、強力な魔術を扱う一族である。


 アリス=キテラはその一族の庶子であったが、後にエウロペの大魔女と呼ばれる程の魔術の才があった。彼女の功績は何と言っても、この世界に『魔術封印』の結界を施し、魔術大戦を終結に導いた事だろう。


 彼女はエウロペに平和を齎した救世主、どの国にもその栄誉を称える銅像が建てられる程だ。その子孫が来たとあればこれほど名誉な事は無い。


 この日は夜遅くまで話が盛り上がった。

 最初に話しかけたのはカイマンだった。お茶を注ぎながらふと尋ねたのである。


「昔、パナデスであなたそっくりな方に出会った事がございます。しかしあれからもう20年程経つ。なのにあなたは変わらない。きっと人違いなのでしょう」


 グレースは椅子に座ったまま暫しの間、果たして見えているのかどうか、カイマンの顔をフード越しにじっと見つめている様だった。


「……そうね、きっと人違いなのかもしれません」

「その人って、カイマンの“初恋”の人なのよ!」

「これ! お嬢様!」

「本当かい? カイマン」

「本当よ、アルル兄。私、カイマンから聞いたもの。バルで声を掛けたって」

「おっとバルでか。そりゃー暗黙の了解バックルールに引っかかるな」

「それを承知で声掛けしたのよ!」

「え? カタリーナ、暗黙の了解バックルールを知っているのかい?」

「えぇ知ってるわ」

((もう知っていたか……))


「ふふ、パナデスですか。良い所ですよね。夏の日差し、カヴァ、背黒イワシの酢漬けボケロネス エン ビナグレ……」


「!」


「おぉ、パナデスのバルなら以前、私が投資で再建した記憶があるな。今度みんなで行くか? 私の商船で」


「だ、旦那様がパナデスのバルをご再建されたのですか?!」


「あぁ、私が訪れた時、そのバルはやけにこじんまりとした変な作りでな。なんでも昔、バルで凄腕の剣士と高位魔術士がやらかしたらしい。良い酒とつまみを出すバルだったんでな、ちょっと奮発してやったんだ。今じゃそのバルが評判で商船の間ではちょっとした寄港地になっているぞ」 


 カイマンは少し涙ぐんでいた。

 エステバンは大層驚いていた、まさかカイマンがその張本人だったとは。

 その時、皆の視線がカイマンに集まっていたので誰一人気付く者は居なかった。

 そう、グレースの頬を伝う一筋の光るものを。



 もう夜もかなり更けた。

 最後にアルルヤースは、父エステバンの航海について占ってもらっていた。


「行きは洋々、帰りは一難。旅も終わり間近、もうすぐエスパニルという時に災難に見舞われるから用心なさい」


 父エステバンはその占いに大層喜び、今回の航海が無事成功を収めたなら必ずお礼差し上げたいと約束した。


 そして「もう夜も遅い、占って貰った礼もあるし是非」と言うエステバンの申し出に、グレースは「喜んで」と、この屋敷に一泊する事になったのだ。



(続く)

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