【四】仙境の花宴 その三
彩琳は、ドキッとしながら進み出た。
この時、初めてしっかりと
多紫妃は、どこか幼さを感じる愛らしい顔立ちだが、少女というより少年めいた造りをしている。意思の強そうな眉にしっかりとした口元が、春雲王女とよく似ていた。
「わたしです」
「
強く、重さのある話し方だった。視線の強さと、周囲の静まり返った空気に、体が震えた。
「答えよ!」
彩琳の体が反射的に竦む。体が震えて、まずはとにかく謝らねばと思うが、耳の中に自分の
――酪を使った理由はある。でもこんなに怒ってるんだから、まずは謝らなきゃ。
相手は王族なのだ。楽宮が口答えを出来る相手ではない。
ふっと、花の香りを含んだ柔らかい風が、彩琳の
――あ。
恐怖に竦んでいた彩琳を勇気づけたのは、自分の作ったこの景色だった。
父母と共に春の野で花を摘んだ思い出がよみがえる。花でいっぱいの籠を抱えた幼い彩琳を、父が抱き上げ、遠く連なる山を見ながら、静かな声で彩琳に教えてくれた。
『ねえ、彩琳。忘れてはいけないよ。着る物や住む家や肩書、見た目がどれだけ違っても、同じ人と人でしかないんだ。だから彩琳は、いつも彩琳のままでいなさい。偉ぶることも、卑屈になることもない、彩琳のままで、人に敬意を持って生きていけばいい』
そうだった。だから父は、彩琳に貴族の家格の上下を敢えて教えなかった。
成長した彩琳が、うるさい親類たちと何故付き合いを続けるのかと訊いた時、父は
『人と人は分かり合えないこともある。それでもね、最初からそれを諦めたくはないんだよ』
目の奥が熱くなって、深く息を吸って、吐いた。
――ありがとう、父上。
手だけは礼の姿勢をとったまま、多紫妃の顔をまっすぐに見つめる。
少し、安心した。
――多紫妃はきっと、よい、お母上だわ。
娘の嫌いな酪を出したことに、怒り狂っている表情ではない。なぜあえて使ったのかを、確かめようとしているだけだ。そこに娘を傷つける意図がないかを、見定めようとしている。
視界の端で、央蓮が不安げな顔をしている。心の中で、大丈夫よと呟いた。
彩琳はお腹に力を込めてから、声を出した。
「このような趣向としたのは、春雲さまに知っていただきたかったからです」
彩琳に厳しい視線を向けたままではあったが、多紫は一度口を噤む。聞いてくれるようだ。
「斗幡では、酪をよく食されると聞きました」
「娘の祝いの席で、
「違います。この庭園は、道士の庭と同じ造りだと聞き、宴の場といたしました。道士の庭は小さい中に別の天地を造ることを目指すと聞きます。わたしは、煌国の春を、ここに作りたいと思いました」
多紫は鋭い視線を彩琳に向け続けている。
「酪を使った理由を聞いている」
「……同じことです。桃はすでに盛りを過ぎ、芍薬はこれから盛りを迎えます。全てが咲きそろっているのは、各地の花をここに集めたからです。庭で煌の広さを、料理でその先に広がる異なる文化を、知っていただきたいと思いました。様々な土地のものを受け入れ、混じり合った文化を作りながら煌があること。そして、多紫妃が生まれた国のことを、その間に生まれたご自身のことを、知っていただきたかったのです」
央蓮が、
「使ったのは、酪だけではありません。斗幡は生薬の産地と聞き、汁物にも用いていますし、羊肉を使ったのも、同じ理由です。多紫妃を喜ばせようと思うならば、そのまま斗幡の料理をお出ししました。ですが、今日は春雲王女のご誕生のお祝いです。ですから、料理人に斗幡の食材を使った、煌国の料理をと頼みました」
押しつけがましかったかもしれない。だが、彩琳は、春雲王女に自分を重ねていた。違う世界に生きてきた両親の間に生まれたことに、近さを感じていた。彩琳の母は異国人ではないが、父とは棲む世界が違った。それを乗り越え、睦まじく暮らす難しさを知っている。少女が生まれたこの日に、両親のことを深く知ってほしかった。
不満げな多紫と、穏やかな顔の揚安は、しばし黙っていた。
「出過ぎたことをして、申し訳ありません。……その皿はお下げします」
これ以上我を通せば、春雲にとって嫌な思い出となるかもしれない。彩琳は頭を下げた。
「待って!」
遮ったのは、春雲の声だった。酪を使った焼き物を箸で取ると目をつむって口に入れる。眉間にしわを寄せてしばらく噛むと、やっとのことで飲み込んだ。
「……おいしくは、ない」
そう言ってから、母親に笑いかけた。
「でも、お母さまの国では、酪をよく食べるのですか? どんな料理に使うのです?」
多紫はちらと彩琳を見てから、春雲と目を合わせる。
「遊牧をする者が多い国です。山羊や羊の乳は、常に共にあります」
揚安は安心したように笑い、春雲を見つめた。
「これからは、斗幡のことも少しずつ学びなさい。煌とは、色々と違うことも多い国だ」
「そうなのですか? なぜ煌のようにしないのでしょうか」
幼い言葉に、父親はうん、と一度頷いた。
「土地や気候、風土に合わせて、文化や決まりも変わっていく。無理に同じことをする必要はないんだ。それに、僕が、僕とは何もかも違う多紫を好きになったように、それでも僕たちは幸せに暮らしていける。春雲たちを授かったことが、その証拠だ」
多紫は、彩琳に目だけで下がるよう促した。もう一度礼をして、彩琳は下がった。
和やかな食事が再開し、ゆったりとした音楽が、楽し気な春雲の周囲を包んでいる。
春の色をした花びらが、甘い風の中に舞っていた。
~続きは書籍でお楽しみください~
【大量試し読み】喜花坊の寵姫 恋と縁は宴より始めよ 和知杏佳/角川ビーンズ文庫 @beans
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