【四】仙境の花宴 その二
――雨が降らなくて良かった。
雨でもできる代案は整えていたが、晴れの方が似つかわしい。
彩琳は少し濃いめの化粧をしていた。表に出ることはほとんどないが、もしも呼び出された時に、無礼があってはいけない。濃くしたかったわけではないが、隈を隠そうとしたら、そうなってしまった。不安から肩の
ろくに寝ていない。何もかも、新しく作り直した。宮殿から外に、揃いの衣装からバラバラの衣装に、何もかも、当初の予定から変えてしまった。槇槇には迷惑をかけた。令霞は緊張していないだろうか。踊るわけではないから、きっとやってくれるはずだ。
不安がないわけではないどころか、もはや不安しかない。今からでももし怒られないのなら、今まで通りの無難な宴に戻してしまいたい。
――でも、わたしはこれが見たい。
◆
央蓮は苛立っていた。
――なぜ、わざわざあんな狭い庭園を選んで、野外の宴を開くのだ。
彩琳の文での説明は要領を得ず、詳しい内容はわからなかった。しかし、衣装は揃えず、塀に仕切られた小さな庭園で行うこと、踊りのための舞台は立てないことなどが書かれていた。
予算が足りないのならば出すと言っても彩琳は聞かなかった。
その結果が、狭い庭園で、楽宮の衣装一つ揃いに出来ない宴だというのか。
――買い被ってしまったのか。
宮中の庭園へと
――王女の立場を軽んじていると思われても仕方がないぞ。
宴が終わり次第春雲の両親に央蓮から謝罪を入れ、彩琳とは距離を置かねばならないかもしれない。楽宮としてだけでなく役に立つ娘だったが、足手まといになるようなら論外だ。失敗した後も彩琳を側に抱えておけるほど、央蓮は余裕のある立場ではない。
見誤ったかもしれない。その後悔ばかりが胸を衝く。
そんな風に感じる自分がわからなくもあった。元より険しい道を往こうとしている。駄目ならばそれまでと、そう思って来たではないか。
叔父である義宵に、この宴席の失敗を知られたくないせいだろうか。正体のわからない苦しい思いを噛みしめながら、央蓮は輿を降りる。
庭園の入り口を見つめ、ぎり、と歯を噛む。白い塀にぽっかりと開いた、円形の入り口を、重い足取りで潜り抜けた。
潜り抜けた瞬間、央蓮は一度目を瞠り、そして振り返った。思わず、今通ったばかりの入り口を確かめた。当たり前だが、まだそこにある。そして、ゆっくりと庭の中に視線を戻す。
別天地。浮かんだ言葉に、大げさすぎると首を振ろうとしたが、目が離せない。
塀の中の小さな庭園は、
中央には一段高くし、
――なるほど。
同じ庭で、全ての花を満開にするのは不可能だ。元より庭は、一つの季節に見ごろを作るものではなく、いつの季節も楽しめるように作るものだ。牡丹や芍薬は、鉢植えだった。下草で鉢を見せないように飾っている。
この小さな庭の中で、散り始めるはずの花も、これから蕾を綻ばせるはずの花も、きれいに咲き切っている。
春の美しさを全て集めて、時を止めたようだった。
「央蓮さま!」
利発そうな少女の声に、央蓮はわずかに表情を緩める。幼子には怖がられることの多い央蓮だが、春雲は央蓮に怖じることなくものを言うので、央蓮も気に入っていた。
春雲はこの庭が気に入ったらしい。興奮した様子で主賓の席から駆けてきた。頬は庭の花と同じように薄赤く染まっている。
祝いの席ということで、いつもより
慌てて春雲の後を追いかけてきた侍女が、央蓮に礼をする。見れば庭の中では、春雲の弟の他に、彼女と年の近い、親交のある貴族の娘たちが花を眺めたりしている。
「春雲殿、祝いに来ました。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
春雲は一度きっちりと礼の姿勢をとると、こらえきれなさそうにまた顔を上げた。
「央蓮さまの大切な方が、お庭をこうしてくれたのでしょう⁉ お話を聞かせてください!」
「春雲殿、主賓であれば、席につかねば」
促しても春雲は央蓮の側を去らない。
「でも、まだ座らなくてもいいと思います」
どういうことかと眉を寄せると、春雲は輝くばかりの笑顔を見せた。
「宴の前に、
百闘草、
――宮城の花を摘むだと?
彩琳が用意した牡丹や芍薬であればいくら摘んでも構わないが、庭園の木や花を勝手に毟られては困る。一つ不安が去れば、また一つ不安になる。これで宴が始まったらどうなるのか、そう思った時、春雲の両親が到着した。
春雲の父は、異国から妻を迎えた。国内の貴族を妻とした王族と違い、央蓮の
名は
互いに
この場にいるべき者が全て揃った。央蓮の胸に不安がよぎる。
――失敗すれば、私はお前を切り捨てなければならなくなるのだぞ、彩琳。
それを何故自分が恐れるのかは言葉にならないまま、央蓮は、この宴の成功を願った。
◆
駆けまわりたくてうずうずしていた。そこら中に咲く花に目を奪われて、視線が定まらない。たくさんつけた髪飾りが耳元で音を立てる。きれいな髪飾りは嬉しいけれど、可愛いと邪魔がせめぎ合う。いつもなら動きやすさが勝ってしまうけれど、今日は誕生日だから、素敵な髪飾りをしてきれいにしたい気持ちが、ほんの少し勝った。
「春雲」
母に窘められて落ち着こうとするが、それもうまくいかない。元々きれいな庭だが、こんなに花で埋め尽くされているのは見たことがない。薔薇の甘い香りがした。
――あの薔薇を摘もう。お母さまに差し上げよう。よい香りのするものがお好きだから。淡い芍薬は、きっとお母さまにお似合いになる。お父さまには、なんだろう。あんまり差し上げては点数が低くなってしまうから、我慢していただこう。
そんな風に考えているとまた視線が彷徨って、母は目だけで春雲を叱った。庭の中には春が充ち、青空には柔らかそうな雲が浮かんでいる。それを見るだけでも、顔中笑顔になってしまう。
――私のための日だ。
給仕や手伝いの仕事をする人だろう、平凡な見た目の楽宮が礼をした。きれいな声で春雲の誕生を言祝ぐと、後は形式ばった挨拶をした。済ました顔を作って頷いて見せたりしたが、よく聞いていなかった。今日は聞きたいことだけ聞いていたい。したいことだけをしたい。早く百闘草を始めてほしい。
「では、これより百闘草を楽しんでいただきたく思います」
パッと顔を上げる。
「ですが、摘み取るのはこの庭の草花ではありません。これから花が参ります」
――花が、参る?
どん、と
花そのものが出てきたのではない。一人一人、別々の衣装をまとい、髪に花を挿している。黄色は
春雲はこらえきれずに少し笑った。
宮城の中の、狭い庭だ。白い壁の向こう側からは、こんなことが起きてるなんてわからないだろう。それがなんだか可笑しかった。
座って歌舞を見て、食事をとるのがいつもの祝いだ。それも楽しい。
でも、今日は舞台の上の歌舞を見るのと違い、春雲の周りが丸ごと、別の世界のようだった。
――
春雲は木香薔薇に扮した楽宮を追いかけた。母と似た肌の色をしたその人は、顔立ちはもっとはっきりして、青い瞳のとてもきれいな人だった。はにかんだような笑みを浮かべて、甘やかな香りのする黄色い花を手のひらに授けてくれた。
百闘草は、春雲は二番だった。普段はどちらかといえば負けず嫌いなのだけれど、今日は構わないと思った。一位だった侍女は春雲に勝ちを譲ろうとしたが、笑顔で首を横に振った。
「こういうのはきっと、勝ったり負けたりするから面白いの。またしましょう」
「よく言いました、春雲。……こちらへ来なさい」
母に呼ばれて、傍らに座る。母に渡した木香薔薇は、膝の上にそっと乗せられていた。
「健やかに育ってくれたこと、嬉しく思います。母からの贈り物です」
春雲は母に礼をしてから、布にくるまれたものを受け取る、問うように母の目を見つめると、柔らかい視線を返されたので、そっと薄布を広げた。
「わぁ……」
それは、桃色と白が混じった玉で出来た美しい
「お母さま、ありがとうございます」
母は信心深い。母の名は煌の字をあてているが、斗幡では
「あなたがこれからも健やかであるよう願いを込めました」
嬉しくて、何度も礼を言った。
幸せな気持ちのまま食事が始まった。庭の周りで、先程とは違う楽宮たちが、遊ぶように踊るのが目に入ってくる。並んだ料理は春雲の好物に縁起物、桃の形の饅頭が可愛らしい。
どれを食べようか迷っていると、ふわりと、春雲の苦手な香りがした。
母が、持っていた杯を置く、高い音がした。
「
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