第4話

「えっ……」

 真夜中だった。自室で読書をしていたのだが、喉が渇いてリビングに行った。瑛美さんがいた。いつも通りに小さなテーブルに向かって座っていた。首元がよれよれになったTシャツを寝巻き代わりにしている瑛美さんの白い首に、明らかに手で絞めた跡があった。正直パニクった。瑛美さんは今日は家から出てない……たぶん。外から訪ねてくるのは岩角遼だけだ…………おそらく。ということは、彼女の首を絞めたのは。

 ほとんど詰問するみたいな勢いで何があったのかを問う私に、瑛美さんはにこりと笑って昔話をした。太郎くんという男の子の昔話を。

「それ……それが、岩角さん……」

「さあ? どうだろう。意外と私のことかもしれないよ?」

 何せ太郎くんなんて人間はいないんだからね、と瑛美さんは飄然と続ける。

 太郎くんが岩角遼だとしても、瑛美さんだとしても。ぶっ壊れてる。なんでそんなことになっちゃうんだ。

「他人の幸せが許せない人間がいるって分かる?」

 首に残る生々しい痕跡に一切気を払う様子もなく、瑛美さんは尋ねた。間接照明がぽつりと灯っただけのリビングで、私は黙って首を横に振る。

「分かんないか。分かんない方がいいよ。岩角はね、そういうタイプ」

「分かんないです……」

「私は、戸川に会えて幸せだった。すっごく年上だったけど優しかったし、やくざだったけど、死ぬまで私のこと大事にしてくれたから。そうそう、戸川には息子がいたの。でも、まあなんか事情があって認知できない子だったから、最後まで親子の名乗りはしなかったんじゃないかな。私はその子のこと知ってたけど、いい子だったよ。戸川に良く似てて、優しくて、可愛くて」

 瑛美さんの低くて優しい声が壊れたように流れてる。ああ私はこの話を聞くためにここに連れてこられたのだと、思う。

「でもね【太郎くん】にとってはその子は邪魔だよね……ほんとの親に人生めちゃくちゃにされた太郎くんにしてみれば、やくざになってから知り合った大人は全部自分の親みたいなものじゃない。それのに、ほんとの親子が、名乗り合わないにせよきちんと想い合ってるなんてさ、気に食わないじゃない」

「……私の父も、ほんとの父じゃないです!」

 どんどん壊れていく瑛美さんの声を聞き続けるのが怖くなって、思わず大声を出していた。瑛美さんはくちびるを半開きにしたままで、言葉を止める。

「母は、顔も分かんないけど母は、生まれたばかりの私を連れて現れて半年だけ父と結婚してすぐどこかに行ってしまったそうです。私と父は他人です。でも、父は、父です……」

 海が見たいと思った。父の海が見たい。私にはどうして何の力もないのだろう。

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