第八十一話 曙光の決死行

 顔を上げ、僕はソフィーが立ち止まったところより先を見据みすえた。


「ちょっと……強くん?」

「強?」


 ソフィーの身体からだをかわし、歩を進める。


「強くんってば! その先はもう……」

「……ウッ?!」


 来た。呪術の効果――頭痛と、とんでもない気持ち悪さ……。


「うぅ、ウッ!」

「戻ってこい! 強!」


 僕は片手で口を、片手で頭を抑えながら、少しずつ歩を進める。足が地を踏むたびに、頭をトンカチで殴られたみたいな衝撃が来る。


「ニェプ! 強くん! 戻ってきて!」

「すいが……」


 あまりの痛さと気持ち悪さに目まいがする。だけど――。


「この先に……すいがいるッ! ぐぅぅ……。さ、山頂に今ぁ! すいが間違いなくいるってことだろッ!」

「すいさんは帰れって言ってるのよ! 今まで来た道は『隠しルート』のままよ……。それ以上はダメ! 戻れって言ってるの!」

「帰るもんかぁッ! いつも……好き勝手ばっかりして……、ふぅ……、ふぅ、こ、今度は……タダでは……済まさないッ!」


 呼吸が荒い。酸っぱいものが喉の奥で何度も上下している。頭の痛さで前を向けない。

 けれど、僕は止まる気なんかない。引きずるようにして、足を運ぶ。


 「詩織しおりちゃん! やめろ!」とおじさんが叫ぶ声が聞こえたので、僕は後ろにゆっくりと振り向いた。


「詩織……?」


 詩織が僕のあとについてきている。彼女にも呪術効果が現れているのだろう、両手で頭を抱え込むようにしてうなりながら、一歩一歩、そこに地面があることを確かめるように道を登ってくる。


「アタシも……すいちゃん、張っ倒すんだもんね……へへ……」

「詩織さん!」

「強になんか……うぅ。……負けない。アタシが一番乗りよ……」


 さすがの負けず嫌い……。


「うぉぉッ! 父さんも行くぞぉッ! ――。 いたあアあぁいいッ! 痛すぎるッ! こんなんアリ?! アリか!」

「ほら、ムリですって。おじさんはここにいてください!」


 なんか後ろでわちゃわちゃやってるけど……知らん。僕はもう……、前しか見ないぞ。


「ぐぅぅ……クソぉ、クッソぉ……ふざけんな……ふざけんなぁ……」


 痛さへか、前を行く僕へなのか、それともすいに向かってなのか、後ろで詩織が、およそ詩織らしくないことを言っている。一方の僕は、もう何も喋ることなんかできない。今、口を開けたら……大変なことになる自信がある。


「ふぐぅ……ふぐっ!」


 痛さも気持ち悪さも慣れてくるものかと思っていたけど、とんでもない。頭痛はより鋭く、吐き気はより重く僕の身体を襲ってくる。


「詩織ッ! ……ぉエぇ!」


 叫んだ途端僕は、高速のサービスエリアで無理して詰め込んだものを戻してしまった。自分の足先に降りかかるのを避けることも、ままならない……。そして、吐き気も全然収まらない。


「はぁ……詩織は戻れッ! ぅぅ……戻ってくれ!」

「うっさい! はぁ、は……はやく進んで! あとがつかえるわ!」

「強くん、詩織さん! こっちを見て!」


 ソフィーが叫んでいるが、僕は前へ進む。


「こっちを見なさい!」

「イヤだッ! 僕は……あァッ! 進むぞ!」

「お願いだから……それだけの辛い思いをして、いったいどれだけ進めたのか、見てみなさい!」


 その言葉に、僕は思わず後ろを振り返ってしまった。

 ソフィーが、そして、詩織のおじさんが、思っていたよりはるかにまだ近くにいた。彼女たちのいるところ――「隠しルート」の終端から僕は十メートルほどしか進んでいないようだった。


「強くん、詩織さん! お願いだから戻って! 出直しましょう?! これ以上行ったら……あなたたち、おかしくなってしまうわ!」

「強ッ……進みなさいよ!」


 僕のすぐ後ろで、詩織が足をガクつかせながらせっつく。彼女はきつく歯を噛みしめ、プルプルと小刻みに震えながら、涙を滝のように流していた。


「進めったら!」


 詩織に励まされるように僕は前に向き直ったが、次の一歩を地面につけた瞬間、これまでよりさらに強大な痛みを頭に感じた。それきり僕の視界は、朝日差す山中だったはずなのに、真夜中の部屋で電灯を消したときのように暗転してしまった。


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「あら……。気分はどう? 強くん」


 木目の模様を背景に、金色の髪をした女の子が、心配そうな眼差しで僕に訊いてきた。


「まだ……少し気持ち悪い……」


 ソフィーがふぅ、と困ったようにため息を吐いた。嗚咽おえつが聞こえるので横に頭を倒すと、詩織が敷かれた布団の上、枕に顔をうずめて漏らしていたものだった。気付けば、僕も同じように布団の上で身を横たえているようだった。


「ここは……?」

「私たちがこのあいだ泊まった温泉旅館よ。あなたたち、揃って気を失ったの。私とおじさんとで抱えて山を下りて、車で運んだわ……」

「そうか……。ごめん……」

「ニェプ、謝らないで……」


 僕はすさまじい脱力感を一気に覚える。

 ダメだった……。僕は本気だった。どうなってもいいからすいのところに行くと、本気だった。でも僕の身体は、あっけなく倒れたのか。

 脱力のまま、何の気なしに時計を見上げて驚く。時刻は正午を過ぎていた。


「僕……、こんなに寝てたの?」

「ああ……そうね。強くん、ずっと起きてたでしょ? その疲れもあったのね……」

「あ、あれって……」


 僕が言い淀んだことを察したのか、彼女は「安心して」とささやいた。


「みんなには、『誕生日パーティー』は延期って……伝えてあるわ」

「……ありがと」


 「延期」か。クラスのみんなには……悪いことをしてしまった……。

 その時、部屋の入り口が開かれて、詩織のおじさんが姿を見せる。


「おぉ、強も起きたか」


 おじさんは静かに言うと、僕の枕元にまでやってきて腰を下ろした。


「す、すみません、おじさん……」

「いい。まだ寝てろ」


 上体を起こそうとした僕を、おじさんは手で制する。


「あの、おばさんは?」

「先に水無みずなしに帰らせた。いつまでも拳一けんいちひとりにさせておけないからな」

「すみません……」


 おじさんはひとつため息をく。


「強、お前の男気は充分見せてもらったが、あれはキツいぞ? もうやめておけ……」

「おじさん……」

「詩織ちゃんも……。判ったね?」


 僕の隣で詩織は、枕に顔をうずめたまま、イヤイヤと首を振った。


「詩織ちゃんはもう! その頑固さ、大好きッ!」


 ソフィーは詩織の頭を撫でながら、「作戦変更よ」と言った。


「別の方法を考えましょう。あなたたちが休んでいる間、私、考えてたわ」


 彼女は詩織を撫でる手とは別の手で、指を三本たてた。


「ひとつ、新しい『隠しルート』を地道にさがす。ひとつ、彼女に……すいさんに直接連絡をとる。ひとつ、呪術を破る。ひとつ、鬼ババアこと針田先生に鎮痛薬を作ってもらう。この、どれかね」

「なんで指三本なのに四つなの……。しかもここで鬼ババアって……」

「……途中で思いついちゃったから、口をいて出てきたの。でも、意外とイケるかもしれないわよ?」

「とりあえず、その案は……置いといて……」


 僕は詩織の方をチラリと見やったが、彼女はまだ枕に顔をうずめたままだったので、ソフィーに目を戻した。


「新しく設定されたであろう『隠しルート』……。これは……」


 僕の言い淀む言葉に、ソフィーは小さく何度もうなずいた。


「ええ。まさに、山の中で小石を見つけるようなもの。現実的じゃないわね」

「すいに連絡ってのは、なにか……手段があるの?」


 彼女は力無く首を振った。


「彼女、電話を置いてったでしょう? 庵にも電話はなかったし……。手紙を届けられないかと、おじさんの伝手つてでドローンを手配してもらってはいるわ。明日になったら使えるそうよ」

「そっか……。でもすいがこんなに僕たちを避けてるってことは……」

「手紙なんて届けても読まないか、より意固地いこじにさせるだけでしょうね……」


 僕は思わず、ため息を漏らしていた。

 「隠しルート」は、途中までは前回までと同じだった。不意に変わったのだ。ソフィーの言った通り、「タッチの差」ですいが変更したのだろう。

 彼女は僕たちを嫌いになって、それで「鳴らし山」に帰って来たのだとは……僕は思えない。

 もしそうなら、来た分までの「隠しルート」をそのままにせず、全く変えてしまえばよかったのだ。それで僕たち全員は一気にリタイアしたはずだ。だけど、彼女はそうしなかった。引き返す用に、来たところまでの「隠しルート」はそのままにしていたのだ。まだすいの心は、僕たちを想ってくれてはいるんだ。

 だけど逆に、そんな状態だからこそ、手紙で何を伝えたらよいものか、妙案はおりてこない。


「残る手段は……呪術を破る、か?」

「そう思って、手は打ったわ」


 「手?」と問い返す僕に、ソフィーは意味ありげに笑った。


「兄を呼んだわ」

「ソフィーあに……。レオニードさん……だっけ?」


 「ええ」と彼女はうなずく。


「兄に山頂の『祭壇さいだん』を壊しに行ってもらうわ」


 山に張られている呪術のしろ、「祭壇」は山頂のやしろにある。それを壊せば呪術が解けるとは、前回の「鳴らし山」のとき、あの赤毛が言っていたけど……。


「ソフィー兄って、その……危険じゃないの?」


 僕は学校での騒ぎを思い出しながら、ソフィーに訊いた。彼女は「安心して」と、寒気を感じるような微笑を浮かべる。


「もうすでに調教済みよ。私の言うことには絶対服従するの」


 調教済み、て……。あの兄がどうなったのか、ある意味、安心できないよ……。


「でも……お兄さんでも、呪術の効果は免れないんじゃ……?」

「学校でのときみたいに、バーサーカー状態になればある程度は無視できると思うわ」


 「それに」と彼女は目を落とした。


「さらに、兄さんには強化キスもかけるから、なんとか行けると思うの」

「キスを……かける?」

「そうよ。私が……兄さんにとっての『一生にひとりのパートナー』に……、なるわ」

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