第八十話 足跡
「綺麗で、結構長いし……。ウチでは作ってる様子なかったけど……。すい、詩織の家に通って、ずっと作ってたの?」
僕の問いに、詩織は「ううん」と首を振った。
「通ってなんかないよ。すいちゃん、今日来て、三十分くらいで作って帰ってったんだから」
「これを三十分で……。早くないですか?」
ソフィーがマフラーの片方の端を取って広げる。
それをパッと見ただけでも、長さは僕の身長くらいはありそう。
「すっごい早かったよ。しかも、三十分って編んでた時間じゃないからね? トータルだからね」
なぜか、ちょっと興奮しだしてきた詩織。
「最初はすいちゃん、連絡もなくウチにいきなり来て、『誕生日プレゼントって何がいいかな?』ってすっごい焦りながら訊いてきて……。アタシ、『手作りなら喜ぶんじゃない?』って言ったの。まあ、種明かしすると、アタシ……。明日の強の誕生日のために、クッキー作ったんだよね」
「えぇ! アレ、父さんのために作ったんじゃなかったの!! すっごい嬉しかったのに! すっごい昇天したのに!」
運転席のおじさんが今日イチのものスゴい形相をルームミラーに映している。「黙っとけ」とおばさんにヒザを叩かれても、彼から感じる僕への殺気は止まない。
詩織はいったいどんな感情なのか、顔を前に向けて口をとがらせると、横目で僕の方をチラリと見る。
「とにかく……それ聞いてすいちゃん、玄関先から急にいなくなったの。で、また二、三分したら毛糸やら編み棒やら買い込んで来てて『マフラーの編み方教えて!』って。少しレクチャーしたらすぐコツ掴んだらしくて、すごい勢いでソレ作ったんだよ」
「へえ……。センスがいいのは、さすがだよね……」
「センスだけじゃなくて、なんだろ……。スゴい、真剣に作ってた。ちょっと話しかけられないくらい、集中してた」
「すいが……真剣になって……」
「編み終わったら、アタシにお礼言ってくれて、その……『強のこと、よろしくね』って……帰ってっちゃったんだよね……」
少し声のトーンが落ちてきた詩織を助けるように、ソフィーが「でも」と言った。
「なんでマフラーなんでしょうね? 本当に季節外れもいいところよね」
「それはたぶん……アニメの影響かな?」
恋愛ものアニメを放映しているテレビを、かじりつくようにして観るすいの姿を僕は思い出した。女の子の主人公と意中の相手が、ふたりでひとつのマフラーを巻いているシーンを見て、すいは大騒ぎしたのだ。
『こ、こんな使用方法が、たかが防寒具にあっただなんて! ヨッシー! マフラーこうて! マフラーこうて!』
『……もうすぐ夏だっていうのに、マフラーなんてしないよ?』
『そ、そげな! 殺生な~!』
そのエピソードを話すと、「はぁ」とソフィーは
「だからこの長さなのね……。相方がいなくなったら無駄に長いだけのマフラーでしょうに……バカね」
「ソフィーのところでは……すいは、なんて?」
僕はソフィーの方を向いて、訊いてみた。
「同じよ。いきなり来て、さっきも言ったように、『強くんを守って』って」
「あと」と少し言い
「『キスはほどほどにして、詩織さんに負けないように』なんて、彼女らしくないことも言って帰っていったわ」
僕と詩織は、同時に背筋を伸ばした。
ソフィー、その発言はきっと、前の座席の
「なに?! どういう意味だ! それ!!」
ほうら。ヒゲのおっさんが聞き捨てせんぞ!
「おっさんは黙っとけ! 今いいところなんだから!」
おばさんに、先ほどよりも強くヒザを叩かれたおじさんだったけど、僕に向けられた殺気量、今日イチを更新しました。
ソフィーは僕と詩織、おじさんたちをもおかしそうに眺めて、「ふふ」と笑う。
「今思えば、『去りゆく者のカッコいいセリフ』みたいなつもりだったんでしょうけど、ちょっとズレてるところがまたすいさんらしいのよね……」
詩織は「ズレてる?」と首を傾げたが、ソフィーの言わんとしているところは、当事者である僕にはすぐに判った。
すいも詩織も、僕がソフィーにした「返答」、そして「僕の気持ち」をまだ知らない。実をいうと明日、僕は誕生日パーティーの後、「彼女」に伝えるつもりだった。「僕の気持ち」。
でも……それどころじゃ……なくなっちゃったな。
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『……はい。まだ……戻ってきてません……』
「そうですか……。遅くまですみませんでした。おやすみなさい」
電話を切ると、詩織が「
「いや、今のはオメガさん。みぽりん、まだ事務所に戻ってないみたいだ……」
すいの手紙からすると、みぽりんのところにも行ったみたいだから彼女の様子を訊いておきたかったんだけど、オメガさんによるとそのすいの来訪のあとすぐに出て行ったきり、みぽりんは事務所に帰ってきていないのだという。
「携帯にも出ないし……。ま、みぽりんが携帯に出たためしはないけど」
「奇想天外武術の会合でもあって、すいさんとふたりで出席してるんじゃないの?」
「え? アタシも先生も、そんなの聞いてないけど……」
「詩織……」
「ん?」
「冗談ですよ。真面目にとらないでくださいな」
「たはは」と詩織が力無く笑う。
「すいちゃんいないと、なんだかテンポが悪いね。アタシたちも……」
「そうだな……」
「ふふ。明日は強くんの誕生日パーティーですしね。お嬢様を連れ戻して、それには間に合わせないと……」
詩織とソフィーはそれからしばらくして、静かに寝息をたて始めた。ついでに言うと、立ち寄ったサービスエリアでおばさんと席を変わったおじさんも、助手席で盛大にいびきをかいていた。
「……三人とも、本当にすいちゃんが大好きなのね」
おばさんが運転席で、しみじみと言う。
「……そうですね」
「じゃあ、早く迎えにいってあげないとね」
「……はい」
僕は、ナップサックの中からすいの手紙を取り出す。
またはじめから読んでみて、ある言葉で目が留まった。
「『弱い』……。すいが、弱いか……」
まさか、プレゼントを買いに出かけていた間、すいが襲撃者に遭遇して負けたということではないだろう。そうだとしたら、こんなふうに手紙を書くことなんかできやしない。詩織が言っていた通り、きっと身体的な「弱さ」でなく、すいの心を折ってしまうような「何か」が彼女に起きたんだ。
それは一体、なんだ?
それがなんだか判らないと結局、すいに会えたとしても、彼女と水無に戻ったとしても、また僕たちの前からいなくなるんじゃないのか?
そんな焦燥を頭の中で何度も繰り返し、気付けば夜空の端が朝の光を帯び始めていた。僕たちを乗せた車はつい最近見たばかりの景色――僕たちが泊まった温泉宿の前を通過する。
「『鳴らし山』……、もうすぐだ」
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「この山が
登山道の入り口、例の登山案内地図を見上げて詩織のおじさんが
おじさんはそもそも屁吸術などには(一般の人にしては)相当に事情通だったようで、車中にてすいが屁吸術の使い手であると話したところ、おおいに興味を持ったのだ。それでおじさんは、これ以上は歩きじゃないと無理となったところで自分も車を降り、「俺も行く」と言ったのだ。
「アンタ、邪魔だけはしないでよ」
詩織のおばさんはハァ、と呆れたようにため息をついて、僕たちを見送ってくれた。
「じゃあ、早速行くぞ!」
たっぷり充電して勢いづいたのか、おじさんは先立って登山道を歩きはじめた。
「あ、おじさん……、そっちは……」
声をかけたが遅かった。おじさんは「立ち入り禁止」の縄を越えてしまったのだ。
「いてッ?! いて、いてぇぇええッ! イタいたい? いたイタイ!」
頭を抑え、山道をゴロゴロと転がり下りてくるおじさん。ヒゲづらの筋肉おじさんが土まみれになりながら、看板前の僕たちのところに戻ってきた。
「……ハァ、ハァ……オェエ……。なんだ……? 今の……」
「この山に張られている結界呪法です。立ち入る人間に頭痛と吐き気を起こして、山を守ってるんです」
「詩織さんのお父さん、ちょいちょい面白いわね」
ソフィー……。笑ってますけど、前回の君も同じような醜態さらしてましたよ?
「父さん、こっちだよ。呪術の効果が弱いルートがあるの」
僕たちは前回山を下りたときに通った隠しルートに入るため、
とりあえず、まずは「
一行が草がボウボウ、地面はデコボコの道なき道を進んで二、三十分ほど経った頃、「前回通ったときのニオイ」を嗅ぎ分けるという離れ業で僕たちを先導していたソフィーが、ふいに立ち止まった。
「……ぐっ! ニェプッ!」
彼女は三、四歩、
「どうした?」
「……ふぅ……。どうやら……、タッチの差だったようね……」
「タッチの差?」
荒い息遣いをしながら、ソフィーはうなずいた。
「前通った道が『隠しルート』じゃなくなってる……。ここから数歩先はもう、呪法の効果が出てるわ」
「それって……どういう意味……?」
「私たちが登り出す前にすいさんが山頂の『祭壇』にたどり着いていたなら、ここまでの道のりも『隠しルート』じゃなくなってたはずよ。そうじゃなくて、道の途中から急に『隠しルート』じゃなくなった。今、この瞬間、すいさんが術式で変更したということよ……」
すいは今、山頂にいる……。でも……。
僕は、少しショックを受けていた。
手紙にあった通りにただ「山に戻る」ってだけなら、「隠しルート」を変更する必要なんてない。まるで、僕らの登山を
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