第七十話 Over the Floating

「まったく……私たちって、どこに行っても何かあるわね」


 伏し目がちに笑うソフィー。そんな彼女の様子に、僕は気が付いた。

 上着を脱ぎ、彼女の肩に掛ける。


「……強くん?」

「さっきの戦闘でソフィー、濡れてるから……。僕が……目のやり場に困るし……」


 彼女は「ふふ」と笑う。


「そういうところだったのよね」

「……そういうところ?」

「私、兄さんの束縛そくばくもあって、同年代の子との付き合い、あまりなくて……」


 「すいさんほどじゃないかもだけど」と、彼女は僕がかけた上着を引きあげながら、付け加えた。


「男の子に優しい言葉を掛けられるのって慣れてなくて、それであっさり、強くんにポーっとなったわけ」

「……うん」

「……どう? コレ」


 彼女はそう言って、自分の浴衣ゆかたの足元――スソをピン、ピンと引っ張った。一輪の向日葵ひまわりが、夕日にえて輝き誇っている。


「どうって……浴衣?」

「そう」

「……すごい似合ってると思うよ」

「ふふ。そう? そうかしら。ぜんっぜん、私の趣味じゃなかったのよ。この浴衣」

「……どストレートだな」

「でも……、緑の、緑の、ってお店で探してたら、これが目にまったの。なぜだか見惚みとれちゃったわ」


 やっぱり、ソフィーは今日のため、僕に好きな色をいて、それでこの浴衣を……。

 彼女は浴衣から手を離し、空をあおぐ。


「……今は好きよ。この浴衣を着た私を、強くんに見てもらえたのが嬉しかった。思い出が重なって、これはきっと……私の一番になる。そんな変化も起きるのが――起きてしまうのが、この気持ちなのよね。こんなに嬉しいなら、私はいくらでも変わっていける」


 ソフィーは顔を落とすとそのまま、すくうようにして僕に向けてきた。とても流麗りゅうれい所作しょさだった。


「信じてもらえないかもしれないけど、強くんと会うとき、強くんが視界に入ったとき、私の胸はいつもドキドキしてるの。ずっと見ていたいと……、そう思うの。これは、吸唇きゅうしんのキスのせいなんかにはさせない、私自身の……ホントの気持ち」


 彼女は僕の顔を覗き込むように首をかしげると、「大好きよ」とつぶやいた。


「……」


 僕は顔を上げ、彼女を見据えた。今はもう、彼女は笑顔を浮かべていない。灰色がかった、丸々としたその瞳に僕を映して、口を結んで待っている。その瞳からは今にも――。

 僕は決めていた。ソフィーと「ふたりきり」で話すと約束したときには、もうすでに決めていた。

 彼女にとってはとても残酷で、非道ひどいことと判っていながら、今初めて、人に……「僕の気持ち」を伝える。


「……何を言っても、どうしても、ソフィーを傷つけてしまう」

「……うん……。知ってる……」

「だから、単刀直入に……伝えるね」

「……うん」

「謝らないよ」

「……うん」


 僕は、そうしなければいけないと自分に言い聞かせて、彼女の目を見続けた。ソフィーも僕を、その瞳に映し続ける。


「僕には……大事な人ができたんだ。ソフィーのことはとても大好きだけれど……、それとは違って……大事な人ができた」


 ソフィーは震える声で「うん」とつぶやく。

 言葉にしてしまった以上、もう立ち戻ることはできない――撤回するつもりも……ない。


「その人を想うと、僕は身体を後ろに一歩引いてしまいたくなる……。『違うんじゃない?』って逃げ出しそうにもなる……」

「……」

「でも、それはめようと思う。ソフィーみたいに……、真っ直ぐに向き合って、変えたいと思う」

「……ふふ。私みたいにって……それは……ズルい……言い方ね……」


 彼女は目をパチ、パチと瞬かせる。その度に一粒二粒、涙が流れ落ちていく。気付けば僕も……泣いているようだった。


「だから……だから、僕は……ソフィーには……こたえられない……」

「……ふふ……ふふっ……」


 ソフィーは笑った。震えながら、彼女は笑った。


「ふふっ。ふぅ、ふ、うぅ……」


 震えがそうさせたように、頬には幾筋いくすじもの涙が流れ、やがて、彼女は下唇を噛む。


「く……うぐぅ……ぅううっ!」

 

 倒れ込むようにして僕にしがみつくと、ソフィーは僕の胸に頭をうずめ、嗚咽おえつをあふれさせた。せきる直前の彼女の表情は、僕を呪うような、優しくさとすような、美しくゆがんだ顔だった。


「うぅっ! う……んぐぅ……うぅうっ!」


 僕の涙が彼女の金色に輝く髪にしたたっていく。これ以上彼女にかからないように、と僕は天を仰いだ。

 頭上ではオレンジ色の空に夜がやって来ている。もうすぐ、花火が上がる。


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「……すん……ふぅ……。いやぁ……。まさか、こんなに泣くとは……」


 ひとしきり泣いて落ち着いてくると、ソフィーは鼻をすすりながらゆっくりと顔を上げ、そうつぶやいた。彼女の声音がいつもの調子に戻ってることは、僕にとっては救いだった。


「自分でもびっくりよ」

「ごめ……「ニェプ、謝るのは……ナシよ」


 彼女はその透き通るように白い手の甲で目を、ほおをこすりながら、笑ってくれた。僕も合わせて、目元をぬぐう。


「強くんの……『大事な人』が誰なのか、今日は野暮なことが多すぎるから、かないでおくわね」

「……うん。僕もそれは、この世界で一番最初に、本人に伝えるって決めてるから……」


 ソフィーは意地悪そうな目つきを取り戻して、「へえ」と言った。


「丸わかりですけどね。『知らぬが仏』かしら」

「うぅ……」


 それを言われると、ツラいものがあります……。

 ソフィーは「あ~あ」とつぶやいて、空を見上げた。


「どうしたものかしらね。私は他の人を、強くん以外の誰かを、好きになれたりするものなのかしら……」

「吸唇鬼のその、『一生でひとりだけのパートナー』ってヤツ……」

「……うん?」

「僕も……、解除する手がないものか、手伝うよ……」

「……バカじゃないですか?」


 ソフィーは呆れた顔を僕に向ける。

 え? 僕……バカ……でしょうか……?


「好きな人と、その人のことを好きじゃなくなるために一緒に行動するとか、そんな地獄みたいな状況、私はイヤよ」

 

 あ、ああ……。確かに、とぼしい想像力を働かせてみても……。地獄だな。


「そういうところですよ? 強くんのダメなところは……」

「はい……。肝に銘じます……」

「まあ、強くんのいいところでもあるんだけどね……」


 彼女は「これ見て」と言って、自らの足元に手を添える。彼女の浴衣で華やぐ、大輪の向日葵――。


「今は散ってしまったけど、私の花はきっとまた、こんなふうに綺麗に咲くわ。咲かせてみせる」


 「そのときに後悔しても遅いわよ」と、彼女は微笑ほほえんだ。僕はその横顔をじっと見つめる。


 ……ソフィー。

 僕の「日常」を「非日常」に変えた、最初の女の子。

 皮肉屋で、時々おちゃらけて、僕をいっつもセクシャルな発言で惑わせる、困った女の子。

 でも僕は、教室に入ってきた君の姿を初めて見たとき、りんとしていて、輝くようで、とても綺麗だと思ったんだ。僕たちと一緒に過ごしていきたいと泣く君が、とても美しいと思ったんだ――。


「ちょっと、強くん? 今……、なんでそんなに泣いてるの?」

「ふぐぅ……うぅ……」


 誇り高くて、いつも毅然きぜんとしていて、芯の強い女の子、ソフィー。

 こんな僕を「大好き」と言ってくれた、ソフィー。

 どうしてなんだろう? どうして僕は、目の前のこの女の子を泣かせてしまったんだろう? どうして僕は、今、こんなにも涙が止まらないんだろう?


「うぅっ! ふぅう……うぐぅ……」

「……私なんかのために……辛い思いをしてくれたのね……」


 彼女は僕の震える両手を取って、その甲にキスをした。


「気にすることなんてないのよ。私たちは、なにも変わらないわ。強くんは……あなたの想いを遂げればいいの。そうしないと私、本当に死ぬまで、あなたのこと好きでいつづけるわよ?」

 

 優しく撫でるような彼女の言葉に、僕は泣きじゃくりながら、何度も何度もうなずいた。


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 「さてと」と言って、彼女は立ち上がった。出店が並んで人がにぎわっている、土手道の方を見上げながら。

 僕も彼女の視線の先に目を向けると、そこには、すい、詩織しおり拳一けんいち、アルファの四人が並んでいて、こちらに向かって手を振っていた。


号泣ごうきゅうで両成敗ね。みんなも心配しているようだし、いつもの場所ポジションに戻って花火を楽しみましょうか」


 彼女はそう言って僕の方をチラリと見下ろしたけれど、当の僕が「あぁ」、「うぅ」とうなって、座り込んだままの様子に察したのか、「はぁ」とため息を吐いた。


「彼女には最初から聴かれていないわ。私もさすがに、自分がフラれるところとか聴かれたくないですし、近くにいないかは注意してたのよ。そこは安心してくれていいわ」

「……そ、そっか」


 僕とソフィーはロボットから飛び降りると、土手の上で待ってくれているみんなの元へと駆けていく。

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