第六十六話 「高校生が早すぎる?昔は元服っていってな~」(定型句)

「あ、あは。マジか~? マジか~……」


 すいは表情を輝かせたけれど、それは一瞬だけで、僕の直視から逃げるようにして花火のポスターへとふたたび顔を向ける。


 ……あれ? 自分で言うのもなんだけど、すいなら文字通り、跳び上がって喜ぶものかと……思ったんだけどな……。

 彼女はポスターに目を張り付かせながら、「あ」と何かに気付いたように声を上げる。


「これアレか。すっごい人が混むヤツ?」

「うん。そうだけど……」

「ふ~ん……。ヨッシー、デートなんて言っといて、ここでひーみんを探すつもりだったんでしょ?」


 あ、なるほど。正直……全然考えてなかった……。

 みぽりんによると、「ひーみん」――永盛さんは「『にぎやかな場所』に好んで姿を現す」とのこと。だったら、大混雑が予想されるこの「牟尼むにどう川花火大会」は永盛さんとしては絶好の「賑やかな場所」になるだろう……。でも、僕の頭にはそんな考えは一切なく――。


「いや、純粋に――すいと……行きたいな、って……」

「……」


 すいはポスターのほうに顔を向けたまま、押し黙ってしまった。

 僕はいたたまれなくなって、「いや」とつくろう。


「すいがイヤなら、ムリにとは……」

「……イヤなわけ……」


 すいはつぶやいたが、またも黙ってしまう。僕は今度こそ、繕う言葉さえもくしてしまった。

 少しして、彼女はポスターから僕に顔を向け直す。ニッコリと、楽しそうな笑みを浮かべて。


「よーし! 季節の風物詩を堪能たんのう洒落しゃれこもうでないかい、あんさん! もちろん、しおりんも金ぱっつぁんも一緒にね! ひーみん探しも、みんなでやろうって話になったし!」


 彼女のその勢いに、僕は思わず「うん」とうなずいてしまっていた。

 僕の返答に「だよね」と笑うと、すいはゆっくりと、輪を描くように歩きだした。


「花火かぁ~。間近まぢかで見たことないなぁ~。初めてづくしでワタシ、記念日ばっかになるなぁ……」


 笑顔のままうつむきがちに歩く彼女のその顔は、なんだか泣いているようにも見えた。


 やっぱり何か――すいがおかしい。

 いや、これまでも彼女の言動はある意味、おかしかったのはおかしかったんだけど……。それとはまた違って……おかしい。


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「たっだいま~」

「すいちー、つよぽん、おか~」


 母さんが気だるげに僕たちの帰宅を出迎えてくれる。もうすぐ夕方だけど、どうやら寝起き直後らしい。


「も~。あいちん、髪ボッサボサやで~。どれ……おいでませ~」


 そう言ってすいは、母さんの手を引いていく。化粧台の前に母さんを座らせると、すいはくしを手に取った。彼女が母さんの髪をかしてあげている光景は、僕にとってはもう大分だいぶ見慣れたものになってしまった。

 僕は今日の夕食を作ることにして、ひとり台所に向かう。


「あいちん、今日も早番はやばん?」

「うん。そうだよ~」


 狭いアパートだから、ふたりのやりとりはすりガラス一枚へだてた僕の耳にも届いてくる。


「ね。お仕事って大変?」

「大変じゃないよ~。楽しいことばっかりだよ~。あ、でも~……」

「でも?」

「お酒を飲みすぎるのは、あいちんそろそろキツいかな~……なんて」

「あいちん、おうちでは全然飲まないもんね」


 そうなんだよね。話を聞く分には、母さんは結構「うわばみ」のようなんだけど、僕も母さんがお酒を家で飲んでいるところ、見たことないな……。


「うふふ。それはね、つよぽんが小さい頃にね~。お仕事終わって帰ってきて、つよぽんをぎゅ~ってしたら、『ママクサい』って寝言で言われたことがあってね。もうあいちん、超ショックで~」

「ああ……、だからおうちで飲まないんだね」


 僕も初耳……。そういえば、仕事から帰ってきた直後の母さんから、お酒のニオイってあんまりしないよな……。まさか気遣ってくれてたのかな……。


「ね、あいちん。子育てって大変?」


 僕は、聞こえてきたすいの言葉に、ネギをきざむ手を止めた。

 すいは……なんでもないように振舞いながら、自分が「ダイチ」の子だということを気にしている――僕はそう直感した。


「大変だよ~」


 母さんは先ほどの質問とは逆の答えを返したけれど、先ほどの答えよりもその声色は楽しそうだった。


「つよぽんは少ないほうだったみたいだけど、夜泣きもするし、なににグズッてるのかわからないし、片時かたときも目を離せらんない。大きくなってきてもまだまだ台所や水場は危ないし、あいちんがいないと泣いちゃって、お留守番もさせられない」


 なんだか……恥ずかしいです。申し訳ない。


「でも~。あいちんは全部楽しかったな~。あいちんひとりでつよぽんが成長するところを見るのが、すごく贅沢ぜいたくに思えるくらい」


 「詩織ちゃんちや大家さんにもいっぱいお世話になったけどね」と母さんは笑って付け足した。


「すごく立派に育ってくれて、あいちんは大満足」


 押し黙ったままの様子のすいに、母さんは「もしかして」と言葉をかけたようだった。


「すいちー、そんなこと気になるなんて、つよぽんとの……「なにもないからね!」


 ガラス戸越しに、僕は叫んだ。


「な~んだ。あとはつよぽんにカワイイお嫁さんが来てくれて、カワイイ孫ちゃんとカワイイひ孫ちゃんが見られれば、さらにあいちん大満足なんだけどなぁ」

「……僕まだ、高校生だから。早すぎるから」

「あらら。そんなことないわよ~。あいちんは十代で子ども産んだわけだし~」


 僕と母さんのやりとりに、「花火って」とすいが言葉を挟んできた。


「花火って、人がいっぱい来るんだよね? テレビとかも来るのかな?」


 突然のすいの話題の変化に、僕がついていけないでいると、母さんが「そうね」とすぐに返した。


「そろそろやる『花火』っていったら、牟尼むにどう川のヤツでしょ~? 人いっぱいらしいね~。お店でも毎年、生中継とか見たりするから、テレビも来ると思うよ」


 母さんは結びに「ありがと」と礼を言った。髪のセットが済んだようだ。


「つよぽんと花火行くの? すいちー」

「うん!」


 このすいの返答の声は、とても嬉しそうなのが僕にも判って、なんとなく……安心した。


「じゃあ浴衣ゆかた、新調しないとね~」

「浴衣! あの伝説の、ずっきゅんトキめかせ三種の神器がひとつ……浴衣ですかい?」

「そう。うんとカワイイの買っちゃお~」


 また始まった母さんの「甘やかし」にため息をくと、僕はした出汁だしが入った鍋に火をかけた。


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強『というわけだから、牟尼堂川花火、どうかな?』


 夕食を済ませ、すいがお風呂に入っている間、僕は、すい、詩織、ソフィーとのグループトークに、花火に行こうかという話題を投げた。


ソフィー『行からいでか』

詩織『上に同じ』


 彼女たちの、変に飾らない返答メッセージ。

 僕のメッセージに既読がついてから、速攻のソフィーの返答に僕が苦笑していると、まさにそのソフィーからのコールで僕のスマホが震えた。


「……はい。……ソフィー?」

『はい。ソフィーでございます』


 とぼけた言葉の割には、どことなく真剣な声音の彼女……。


「……どうしたの?」

『花火のときなんですが……かねてよりのお約束を果たしたく……』


 さらに続く彼女の深刻な声に、彼女が何を伝えたいのかを察せた僕は、「待って」と言葉を切った。


「僕から言うべきことだよね……」

『……』

「ソフィー……、花火のとき……どこかでふたりになれないかな?」

『……さすがは女好き。堂にった誘い……』

「訳のわかんない二つ名はやめて」


 ソフィーの『ふふ』と優しく笑う声が耳元でこだまする。


『参考までに』

「ん?」

『強くんの好きな色とかってあります?』

「色? 色かぁ……。緑とか結構好きだな」

『ニェプ! 私の公式パーソナルカラーは一応、きんとか黄色なんですけど』

「いや、知らん。どこの公式だよ、それは」

『もう一度聞くけど、金では……』

「ない。なかなか、『好きな色、金です』って人、見たことないね」

『……わかりました。とにかく、緑ですね』


 「おやすみ」と言葉を交わし合うと、僕たちは電話を切る。

 彼女に……ちゃんと伝える――僕は覚悟を決めた。

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