第六十七話 少女艶姿取取

「むふふふ……。やっと、やっとこの日、この時が来た!」


 「牟尼むにどう川花火大会」の日がやってきた。そろそろ詩織たちとの待ち合わせの時間。

 すいはその言葉の通り、この日、この時に至るまで、ずっとソワソワしっぱなしだった。まあ、その原因は――。


 すいは「見ないでね!」と寝室にいったん消えると、すぐさま出てきた。その速度たるや、相変わらずのマジックのような「早着替え」……。


「わぁぁぁ! すいちー、カワイすぎる~」


 すいの浴衣姿に母さんが、拍手をしながらやんや、やんやと喜ぶ。

 母さんとこの浴衣を買って来た日から、彼女はソワソワしっぱなしだったのだ。時折、「ゼッタイのぞかないで!」と言いながら寝室に閉じこもってもいた。きっと、ひとりで着付けの練習をしていたのだろう。その成果か、しわひとつ作ることなく綺麗な着こなし。


「……どう? ヨッシー」


 腕を広げ、クルリと回っていてくるすい。まっさらな新品の、布の香りがした。


「うん……。カワイイ」


 僕の言葉に、「むふ」と、嬉しそうに、恥ずかしそうに笑うすい。

 薄いピンクの生地の浴衣、臙脂えんじ色のちりめんの帯。鮮やかな水色の流線が、揺蕩たゆたうようにすいの身体を取り巻く意匠デザイン。なんとも涼し気で、黒髪をアップにさせたすいに、なんとも似合っていると――そう思う。


「つよぽん、いつになく正直ね~。ほら、いってらっしゃ~い」

「うん!」


 僕たちはアパートを出ると、まずは詩織しおりたちとの待ち合わせ場所であるバス停に向かうため、並んで歩き出す。


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「下駄って『カランコロン』ってイメージがあるけど、あんまり音、鳴らないね」

「そうなの? ワタシ、普通に歩いてるけどなぁ……。こうかな?」


カラン……コロン……


 すいが引きずるようにして足を運ぶと、下駄の音が鳴った。けど……。


「なんだか不格好ぶかっこうだね……」

「歩きづらいぜ? こいつぁよぉ……」


 待ち合わせのバス停まであと少しというところ、「つよしー! すいちゃーん!」と溌溂はつらつとした声が聞こえてきた。

 前方に目を遣ると、詩織がこちらに向けて大手を振っている。遠目では彼女も浴衣のよう。そばには拳一けんいちも立っている。


「すいちゃん、浴衣可愛いね~!」

「しおりんも! 可愛すぎる空手少女で有名になったとしてもワタシを忘れないでね!」


 どういう誉め言葉なんだ、それ?

 すいとキャッキャとじゃれ合う詩織の浴衣姿。これも新調したものなのだろうか、すいとは違って、目の覚めるような赤地に、ポップな調子の椿の花柄が薄桃、白にと花弁を咲かせている。真っ白な帯には薄く、やっと判るといった絶妙さで花模様が織り込まれ――。


 僕が見惚みとれていたことに気付いたのか、詩織は口を尖らせて、「なに見てんのよ」と少し怒ったように言ってきた。


「え、あ、いやあ……」

「姉ちゃん、父さんにジロジロ見られすぎて、ちょっとナーバスになってるんだ」

「え、ちょっとまさか……」


 僕は「彼」の姿を探す。詩織が「もしかして父さん探してる?」と首をかしげた。


「父さんなら、『付いてく』ってうるさくて仕方ないから、道場に縛ってあるわ。大丈夫よ」

「縛る、て。だ、大丈夫なのか? それ」

「もうね。大変だったんだから……。母さんにも『ほどかないで』って言ってきたから、大丈夫」

「道場の中では、ゲップと姉ちゃんへのセクハラとの応酬だったよ。いつから我が家は変態ワールドになったんだろう?」


 たぶん、拳一が生まれるよりずっと以前からだな……。


「あ、バス来たね」


 僕たちはソフィーたちとの待ち合わせのため、水無駅行きのバスに乗った。


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「ここまで来ると、花火に行きそうな人多いね~」

「コイツらみんな、日本人なの? これじゃあ金パツ見つからないんじゃない?」


 水無駅前の広場は人でごったがえしていた。男女の浴衣姿もそこら中にある。すいの言う通り、髪の毛を茶色や金色に染め上げた女性も多い。

 それでも、彼女――ソフィーは、輝く星のように際立っていて、アルファと手を繋いで立っている姿を広場の中央ですぐに見つけることができた。


「ちょっと遅いわよ、皆さん。どれだけ色目をつかわれたことか」

「いや、結構道が混んでて……」


 言う割には得意気な調子のソフィーに、僕は開口一番、弁解をした。


「アルファちゃん!」

「ケンイチ!」


 突然に年少組が駆け寄って、抱きしめ合う。

 え? なに? どういうこと?


「あら。拳一くん、大胆ね」

「しゅ、宿題だよ!」

「宿題?」


 「アルファちゃんの夏休みの宿題なんだって。十人以上とハグして、その証拠としてサインもらうって」と詩織が補足を加える。


「小学校の宿題か……。今はそんなパターンがあるのか……」

「強くん。私たちもハグ、しましょうか?」


 ソフィーが口元に微笑をたたえて腕を広げる。その動きに、ナイフをいれたときの桃のような、かすかに甘い香りが漂った。

 「しないよ」とは笑ったものの、僕は彼女の浴衣姿に目を取られていた。


「緑……」


 彼女の浴衣――萌黄もえぎ色の生地に、足元のスソ際には大きな黄色の向日葵がワンポイントであしらわれている。白地の帯には銀糸でも織り込まれているのか、彼女の動きに合わせてキラキラと光が瞬く。シンプルだけど、そのりんと咲いた大輪の花に、ソフィーそのもののような輝きを感じられる出で立ち。


「お気に召した?」


 イタズラっぽく僕を見つめながら、金髪を後ろでまとめ上げているソフィーが言った。


「ああ……うん……」


 いい意味で、言語に絶しました。


「ソフィーちゃん、なんか大人っぽいね……」

「金パツらしからぬ!」

「すいさん。浴衣は誇りある貧乳の見せ場なのよ。ちんちくりんの本領発揮よ」

「何度言えば……判る? ちんちくりんは……人を殺せる……言葉だろうが……」


 僕たちのやりとりに、「アルファも大人っポイ?」と、アルファが小さい身体を飛び込ませてきた。

 クルリ、クルリ、とその場で小さな浴衣をなびかせながら回る。アルファの褐色の肌に合う、白い生地の中、緑のつるに競わんばかりに咲き誇る、薄桃、薄青の朝顔。彼女はその回転をピタリと止めると、僕たちに答えを求めるように、後ろ手を組んで上半身を傾けた。


「なんだ? この天使は……」

「可愛すぎる……」

「ウチに持ち帰って食べたいくらいね」

「ぼく、アルファちゃんになら取り込まれてもいい」

「ぐぬぬ……。正直、勝てる気がせんぞ……」


 いや、勝たなくていいし、ふたりほど、怖いことを言うな。


「そういえば、オメガさんは遠慮するって言ってたけど、みぽりんは? 来てない?」


 僕はソフィーに向き直ってたずねた。一応、「花火大会会場で永盛さんを探してみる」ということはみぽりんに伝え済みだ。彼は今日まで、どうするとも言ってなかったから、もしかしたら同行してくるかと思ったけど……。


「『強くんたちとは別行動でボクも花火大会で探してみる』って私たちより先に出て行っちゃったわよ、三穂田さん」

「へえ……。本気、出してくれてるね……」


 何気にところどころ頼りになるみぽりん、好き。どこかで寝込んでなければいいけど。


「さあ、みんな!」

 

 詩織が腰に手を当て、僕たち一行の目の前に立って大声を上げる。


「ちょ、詩織……突然、どうした? 目立つだろ……」

「黙りなさい! ここからは戦場よ!」


 どうしたんだ? 詩織さんは……。


「拳一! アルファちゃんの手は離さないこと!」

「イエスマム!」


 公衆の面前で敬礼をするな、小学四年生が。


「アルファちゃんは右手を拳一! 左手をアタシに預けなさい!」

「イェスマァム!」


 天使に敬礼さすなよ……。


「すいちゃんとソフィーちゃんは自由行動! アナタたちの戦力は遊撃が活きるわ!」

「「イェスマム!」」


 キミタチは、ピッとした、いかにも年季が入った敬礼をするんですね。


「強は……強はアタシの左手をつかんでること!」

「……え? なんで?」

「マム! それは」

「職権濫用らんようです!」

「そ、そうね。そうよね! とにかく! 注意一秒ケガ一生、迷子を出さずに楽しく観賞! いい?!」

「「「「イエスマム!」」」」

「さ、電車に乗るわよー!」


 注目を集めきったことを意にも介さず、意気揚々と駅構内に向かって歩き出す一行。

 この集団パーティ、言語に絶するな。いい意味で。

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