第五十七話 鳴らず屁つり

「暑いな……」


 僕はゆったりとした坂道を歩きながら、袖まくりをした。

 それを見とがめたのか、詩織しおりが「つよし」と声をかけてくる。

 

「できるだけ肌は出さないほうがいいよ。虫さされに遭ったり、転んだ時に傷つくっちゃうから。暑かったら上着脱ぎな?」


 昼に向けてこれから気温も高くなってくるだろう。彼女の勧めに従い、少し厚手の上着シャツを脱ぐことにした。

 持つといってくれたので、背負っていたナップサックを渡すとき、詩織の手に僕の指が触れた。

 昨日の――詩織が僕のことを……という件があったものだから、今日は妙に意識してしまって、彼女の顔をまともに見るのに気恥ずかしさが伴う。僕はうつむき加減で彼女からナップサックを受け取った。


「どうしたの? 具合でも悪い?」

「いや……ほら、アイツら」


 僕は思うところをごまかすため、先を行くすいとソフィーを指さした。


露出ろしゅつ高すぎじゃない?」


 ふたりとも見事に両手両足をあらわにしている。すいはカットソーシャツ、七分丈のタイトジーンズ。ソフィーに至っては超ミニのキャミソールワンピ……。山登りより、海辺の方が似合いそうな人たち。


「あのふたりは手本にしちゃダメね」

「……同意」


 朝早く、僕たちは宿を発って一路、「鳴らし山」に向けて歩き出した。

 山間やまあいの町を抜け、田んぼのあぜ道を歩き、今は「鳴らし山はこちら」と表札が立った山道を登り始めたところ。

 

 それにしても、先行くふたりは歩調が速い。あれ、街中歩くときより速いんじゃないの?


 しばらく行くと、向かう先に大きな看板が見えてきた。


「へえ。観光地っぽいね」


 看板には「霊峰れいほう・鳴らし山へようこそ」とのカラフルな文字の下、緑色で大きく山の絵が描かれている。「現在地」と赤く印を打たれたところから二本の道が伸び、山頂に至るようだ。それぞれ「ゆっくりコース」と「上級者コース」の添え書き。山のてっぺんには地図記号にあるような、鳥居をかたどった「神社」のマーク。


「霊峰とか、武術の修行場っぽくないな……。完全に登山行楽地じゃん」

「昔は『近づくな』って怖れられてたらしいんだけど、最近はパワースポットとかで人気出ちゃってんだよね」


 すいが腰に両手をあて、「ふぅ」と息を吐く。


「人が出入りするなら、修行にも身が入らないだろうね……」

「ゴミも……ちょいちょい目にするわね」


 ソフィーの言う通り、ここまでの道中やこの看板近くにも、空き缶やビニール袋のゴミが見受けられた。


「うん。お師匠も、ゴミ捨てたり獣をおどかすような、マナーの悪い登山客はとっちめていいって言ってたよ」


 僕は、「はは」と苦笑いをこぼす。

 そうやって無闇に山を荒らしたやから屁吸へすいじゅつらしめた――オナラを「鳴らされた」のが「鳴らし山」の名の由来となり、「近づくな」と言われてきた所以ゆえんなのかもしれないな。


「それにしても……」


 僕は看板の両脇に続く道に目を向けた。

 案内では右が「ゆっくりコース」、左が「上級者コース」なのだが、今はそのどちらもの入り口に縄が張られている。中央にはプラカードが吊り下がっており、何か書かれているようだ。


「『立ち入り禁止。磁場の影響で体調を崩す方が出ています』……? すい、この、『磁場の影響』って……」

「そ。それが、お師匠が張って、ワタシが発動させた呪術じゅじゅつ


 例の、精神力が足りない者や、鳴らし山の霊的パワーを悪用しようとよこしまな考えの者を襲う、激しい頭痛と吐き気の呪術か……。


「その呪術とやらも、もう強くんは大丈夫なんでしょ? さっさと行きましょう」


 ソフィーがひょい、と縄を越える。「コラ、金パツ!」とすいが制止する声も聞かず、ずんずんと彼女は山道を進んでいく。

 するとまもなく、道の途上でソフィーが「ニェプ!」と大声を上げた。


「ソフィー?!」

「あゥうゥうッ! ニェプ! ニェェプッ!」


 頭を抱えながら、ソフィーがうずくまる。


「ソフィー!」

「ヨッシー、行かないで! 金パツゥ、戻ってこい!」

「痛くて……ツゥ! 動けんわ! 割れちゃう、割れちゃう、オェエぇッ!」


 ついには、その場でゴロゴロとのたうち回るソフィー。呪術の効果を受けてるのか? 

 すいはひとつ舌打ちを鳴らすと、縄を飛び越え、ダッシュでソフィーのもとに駆け寄った。彼女を抱え上げると、急いで僕たちのところまで戻ってくる。


 すいにお姫様だっこで抱えられたソフィーは目がマメのようになって、グッタリしている。彼女をゆっくりと地面に置いたすいの顔も険しい。手が自由になると、すぐさま指をこめかみにあてる。


「ダイジョブ? ソフィーちゃん」


 詩織が座り込んでいるソフィーの背中をさすりながら、もう一方の手で彼女の腕や足についた汚れを払ってやっている。大きな生傷はなさそうなのが幸いだったけれど、ところどころ小さなり傷が作られている。しくも、先ほどの詩織と僕との会話の通りになってしまった。


 僕は、まだこめかみを抑えているすいに向き直る。


「すいにも効いてるの? 呪術……」

「うん。まだ少しイタイ……」

「すいもソフィーもこんなんじゃあ、とてもムリなんじゃ……?」


 「ううん」とすいは首を弱々し気に振ると、こめかみからやっと、指を離した。


「この呪術の効果範囲には『隠しルート』があるの。正しいルートを行けば呪術の効果が薄い」

「なるほど……」

 

 確かにこの呪術、籠城ろうじょうとか、拠点防衛とかで使われるようなカンジを受ける。敵だけに効果を与えて、仲間を引き入れるためには「隠しルート」は必然だな。


 僕たちはソフィーが落ち着くのを待って、すいの案内に従い、獣道けものみちでさえもないやぶの中をかき分けていった。


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「どう、強? 大丈夫?」

「うぅぅ……。なんとかかんとか」


 熱が高い風邪みたいな、鈍い頭痛とかすかな吐き気、倦怠けんたい感に襲われながら、藪の中を登り続けて何分経っただろうか? 視界が開けると、僕たちは渓谷に寄り添うようにしてそびえる岩壁がんぺき辿たどりついていた。


「ここでお昼の休憩しようか」


 すいの提案に従い、ちょうど四、五人が座れそうな岩壁のくぼみに僕たちは腰を下ろした。


「強くん、大丈夫? 私もうっすらと気持ち悪いですけど、強くんはもっとひどいんでしょう?」

「ごめんね、ヨッシー……」

「何を謝ることがあるのさ。平気だよ」


 少し、強がっています。僕のために山を登ってるのだから、心配させてらんないし。

 宿に無理言って作ってもらったおにぎりを取り出し、頬張ほおばる。


「ここ、スゴいところだね……」


 詩織が岩壁のきわに立って下をのぞき込む。そこは川だ。ザァザァと急流の音が絶え間なく流れている。


「『鳴らずつり』って呼ばれる、山にある修行場のひとつだよ」

「『ならずへつり』……。すごい名前だな……」

「由来はねえ……。ちょっと、しおりん。こっち来てくれる?」

「?」


 詩織はすいに請われたまま、崖際から近寄ってきた。


「ぅらぁっ!」

「えっ?!」


 すいが詩織に向かって、突然に拳を繰り出す。詩織はすぐさま身構えたが、拳打は詩織の身体に触れず、寸止めされた。

 だが、当たらなかったはずの当の詩織の顔がみるみる曇っていく……。

 まさか、今のは「オナラの誘発打ち」か?


「うっ……すいちゃん。アタシに……? ちょっと、強! 耳ふさいでて!」

「えっ?! 耳?」


 頬を赤らめ、僕に向かって、手でシッ、シッと払うような仕草をする。


「いいからふさいで……って、アレ? ……ダイジョブだ。収まった……」


 すいは「ね?」と言って、僕に向き直る。


「ワタシ、結構本気でやったけど、こんなカンジで、この『鳴らず屁つり』はどういうわけだか『オナラ』が出にくい場所なの。誘発打ちの負荷をかけたトレーニングができる修行場なんだよ」

「へえ……」

「オナラだけに『』か。さっすが、ヨッシー」

「別にかけてないわ」


 なるほど……。この地で修行すれば、平常時の誘発打ちの威力がアップするってことか。

 「ズシャァ!」、「な、お前、その重い服は?!」、「そう、ここからが本番だ」――みたいなカンジ?


「すいちゃん、アタシにやんなくても、言葉で説明すればよかったんじゃ?」

「……あちゃペロ~」


 舌を出すな。


「さすが霊峰と呼ばれるだけはあるのね。こんな場所が山のそこかしこに……」

「うん。色々ある」

「不思議と力がみなぎるカンジも受けるし。傷の治りも早いわ」


 確かに、山の入り口で転がりまわった際にできたソフィーの傷は、もうすでに完治しているようだ。ってかキレイに治りすぎだろ。すべすべお肌じゃないか。


「余裕があったらいろいろ見て回りたいものだけど……。行こうか。おかげで大分落ち着いてきたよ」

「……ダイジョブ?」


 すいが心配そうに僕を見つめる。

 詩織にとばっちりがいったけど、さっきのデモンストレーションも僕の気分をまぎらそうとしてくれたんだろうな。心なしか頭痛や吐き気も弱まった気がするし。


「うん。大丈夫だよ。結構よくなってきた」


 立ち上がって岩壁の際に歩み寄る。

 眼下には初夏の日差しを反射しながら流れる川。遠く裾野すそのまでつづく緑。突き抜けるような青い空。まばらに点在する白い雲。気持ちのいい景色だ。


「ヨッシー。高いところ、平気になったの?」


 すいが僕の横に立って訊ねる。


「言われてみると、結構平気だな……。人工的な高さだとダメなのかな」

「苦手なもの克服すると、嬉しいよね」

「……うん。そうだね」


 僕たちは「鳴らず屁つり」をあとにして、屁吸術の修行者の住まい――「いおり」を目指し、ふたたび藪の中へと立ち入っていった。

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