第五十二話 零落の園――暗中久遠――

 ソフィーの向こうの闇の中から、例のごとくピエロが姿を現す。白塗り化粧、ほほの涙のマーク、逆側の頬の赤いダイヤのマーク――ダイヤのピエロだ。

 ダイヤ・ピエロは軽やかなリズムを身体からだ全体でとりながらソフィーに近づいてくる。大きく足を左右に振りながらのステップ。前後に揺れる身体。今にもソフィーに飛びかかってきそうな前傾ぜんけい姿勢……。


『へえ、カポエイラね……』


 鏡の中のソフィーが目をみはる。

 カポエイラ? こ、この展開は……!


「カポエイラ……まさか?!」

「詩織? ど、どうした?」


 きたぞ、きたぞ。例のパターンだ!


「父さんに聞いたことがある……。アフリカやブラジルを発祥の起源とする、格闘術……」

「うん」

「蹴り技が主体の格闘技だけれども、身体で大きくリズムをとり、ダンスやパフォーマンスとしても『せられる』武術……」

「うん……。それで?」

「そのリズムの勢いを乗せて放たれる蹴りは、あたりどころによっては一瞬で相手の意識も奪い去ることが可能な、重い一撃……」

「うん……。うん……」

「これは必然、ソフィーちゃんとの蹴撃しゅうげき対決になりそうね……」

「普通かよ!!」

「普通よ! 何言ってんの、強は!」


 そうですよね。ごめんなさい。


『いぇ~い。キンパツおねえちゃ~ん、楽しんでる~?』


 腰を低くし、右に、左にと足を出したり引っ込めたりしてリズムをとっているピエロが、実に楽しそうな笑顔を浮かべてソフィーにたずねる。


『なによ、あなた。強くんたちはどこなわけ?』

『へっへ~ん。このダイヤさんを倒せたら、教えてあげちゃうかもよ~?!』


 ピエロがとるリズムの調子が早まっていく……。対するソフィーは、ピエロを見据えながらも、ほとんど棒立ちといってよかった。


『それでは、四回戦。いっちゃって~』

『ねえ、ジョーカーさん。このアトラクション、採算さいさんとれてます? ひと組にかける時間が長すぎて回転率、最悪じゃないですか? このミラーハウス入場するとき百円券一枚でしたよ? 利率設定している人間の頭が吹き飛んでるとしか思えない』


 ……拳一けんいち、完全に飽きたな。


『うるさい小僧ですね! 黙ってジュースがぶ飲みしてろ! ダイヤさん、おねが~い!』

『ヘ~イ……カモ~ン……』


 ピエロがジリジリと、ソフィーとの距離を詰めていく。ソフィーはなおも棒立ち体勢……。


『ヘイヘ~イ……セイッ!』


 ソフィーまであと三歩ほどというところ、ピエロはその身体を一層低く沈めた。その直後、鋭利な刃にも錯覚させられるような蹴撃しゅうげきが、弧を描いてソフィーに襲いかかっていった。刃の先端――ピエロのブーツにはお馴染なじみの、電撃ショックを与える突起物……。その先端が、ソフィーの顔面を捉えるッ!


ドッ


『ッ?!』


 だが、ブーツがソフィーの美麗びれい面立おもだちを傷つけることはなかった。顔へのインパクトの寸前、ソフィーはそのりんとした立ち姿を崩さずに左足でピエロの蹴撃を蹴り払ったのだ。


『ほらっ!』


ボギッ!


『グぼッ?!』 


 つづけざま、彼女は右のローキックをピエロにお見舞いした。

 「ローキック」とはいっても、ピエロは低く構えていたから、モロにボディをとらえたその蹴りはピエロの身体からだを数メートルほど吹き飛ばした。ゴロゴロと転がりまわったピエロに、すぐに起き上がる気配はない。

 勝負はついたようだ……。


『ゲホッ……ウェッ……』


 伏してせき込むピエロに、ソフィーはツカツカと歩み寄る。


『あなたをぶちのめせば、この状況、教えてくれるんだったかしら?』


 うすら寒気さむけを感じさせる、ソフィーの冴えた笑み。見下ろす瞳は、冷え冷えとしている。

 ああ……こんな感じのソフィー、初めて会った時以来だ。見てるこっちが怖いです。


『わかった……。わかった、教えるから……』

『「教えるから」とか言ってないで、すぐに言いなさいよ』


 ドン、とピエロの腹に蹴りを入れるソフィー。ピエロは大きくうめきを上げる。

 まあ、傍目はためでも本気でない蹴りなのはわかるけど……怖いですよ、ソフィーさん……。


『もう、終わりです……。ゲホォ! 私の負けでいいです……。ジョーカー! 早く開けてやってよ! 私、殺されちゃう!』

『ニェプ……。殺すなんてしませんよ。あなたみたいなやからの血では、この爪先つまさきは汚したくないわ』

『ええ~? ダイヤさんは戦意喪失かよ~……。つっかえねえなぁ……』


 ジョーカーの毒づく声が響く。


『仕方ない、最後の手段です! えぇ~い!』


 ジョーカーの掛け声とともに、今まで見ていたソフィーの映る鏡面……それに、他の三方の鏡(だった四角い縁取り)が消え去った。 

 く、暗い……。すいも詩織も、見えなくなってしまった……。


「あれ、ぼくのジュースは?! 電気消えてますよ?!」


 拳一の声だ。近いぞ?


「拳一、いるのか?」

「強兄さん? いるよ。ぼくいるよ~」

「拳一、強も……いるのね?」


 詩織しおりの声も近い。

 暗闇の中、声を頼りに、一歩一歩、踏みしめながら近づいていく。と、前に出していた手に、何かやわらかい感触が……。


「あれ、拳一? これ……拳一のホッペか?」

「強……。アンタ……覚えておきなさいよ」

「えっ? えっ?」


 あわてて手を離す。この感触って……。


「あ、姉ちゃん。おっぱいでも触られた?」


 静寂せいじゃくの闇に、「ゴチン」といった音が響く。


「えっ? どうした?! 大丈夫か?!」

「……いってぇ! なんでこんな暗いのにぼくは殴れんだよ! 強兄さんを殴ってよ!」

「……うっさい!」

「……ごめん、詩織。悪気は……ない」

「……わかってるから、あとでジュースね」

「ジュース一本でおっぱいなら、ウチの父さん、ケースで買ってくるね」

「しっ……黙って」


 詩織が何かに気づいた様子で声を小さくし、僕たちにも声を潜めるよう促す。


「何か……聞こえない?」


 言われて、僕も耳を澄ました。


「ぅぉぉぉぉおおおおお……!」

「んぬぉぉぉおおおおお……!」


 聞こえる……。

 なにかの叫びが、だんだん大きくなって……。いや、近づいているのか?

 まあ、この声、すいとソフィーであるのはすぐに判った。


 まもなく、荒い息遣いの気配がふたつ、僕のすぐそばに感じられるようになった。


「はぁ、はぁ……」

「ひふぅ、ひふぅ……」


 ってか、ホント近い! 近いよ! 首元にあたる息が生温かいよ!


「ヨッシーにおっぱいを触ってもらえるシチュエーションと聞いて飛んできました!」

「太モモも可!」

「……触んないよ!」


 とりあえず、なんとかみんな揃った……。あ、みんなではないか……。


「切田は? 寝かせたままだよね?」

「知らん」

「切田ごとき、どうでもいい」

拓実たくみなら、さっき足元に引っかかったのがあったから、多分それでしょ。近くにいるから大丈夫じゃない?」


 かわいそうな扱いだな……。


『やっほー! 「ダイチ」のお子さ~ん、やたら強い皆さ~ん。お元気ですか~?』


 ひとまず切田の居場所を確かめておこうと、かがんで手探りをしているところに、もはや聞き慣れたアナウンス――ジョーカーの声がこだましてきた。


「ジョーカー!」

『皆さんには、これから、その暗い空間で一生を過ごしてもらいます。これで「ダイチ」の息子を倒したことになる! 結果オーライ!』

「一生だって? このまま?!」

「ヨッシーとここで一生?! それ、なんて天国?!」

『どうぞお好きなだけイチャイチャしてくださ~い。バァイバァ~イ!』

 

 その言葉を最後に、あたりに静けさが戻った。


「ど、どうしようか……?」

「すい……。そうだね、早くここを脱出しないと……」

「いや、誰が最初にヨッシーとイチャこく? 順番決めとこ? ヘビーローテーションしないと」

「決めんな! ヘビロテすんな!」

「私、強くんとキスするわよ?」

「あんだと、ゴルァ?! 勝手に一番最初になんじゃねえ! 見えないからご自慢の植毛しょくもう金パツも意味ねぇぞ?!」

「植毛してねーわ! ナチュラルボーン・ゴールドヘアーだわ!」


 暗闇に、すいとソフィー(だと思う)の応酬(だと思う)、シパパパッといった風切り音と、風が流れる。

 ひとまずいつものふたりの小競り合いは置いといて、この状況……本当にどうしたらいいんだ?

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