第五十話 零落の園――以心伝心――

「しおりん?」


 ライトに照らしだされた詩織に、すいも顔を上げて目を向ける。

 僕たちは詩織しおりが映る鏡面に駆け寄った。


ドン ドン


 僕は鏡面を叩く。


「くっ……ダメか。やっぱり気づかない!」

「ヨッシー、どいてて」


 すいが右拳を引いて、深く息を吸い込んでいる。僕は言われた通り、鏡面から身を離した。


「っらぁッ!」


ズゴンッ


 ものすごい衝撃音が響くが……鏡面はうんともすんとも言わない。


「……ったぁ~」


 すいは手を振って痛がっている。


「すいでもダメなのか……」

「これは……実体の鏡じゃないね」

「実体じゃ……ない?」

「見て」


 そう言うと、すいは自分の拳を僕に見せた。


「ヒビも入らないような固い鏡を殴って、すり傷のひとつもついてない。おかしいよね?」

「確かに……」

「でも、痛みの感覚はある……。これは、あのピエロが言っていた通り、精神系の幻術をかけられてるってこと。たぶん、みんな」

「そっか。じゃあ、この戦いでやられたとしても、たとえば最悪、死にはしない……?」

「それは……わからない」


 すいは軽く首を振って、詩織に目を戻した。

 ちょうどそのとき、キョロキョロとする詩織の背後から、例のごとく、白塗りの顔が――スペードのピエロが姿を現した。

 闖入ちんにゅう者に気づいた詩織は身構える。


『お相手はスペード・スートくんです~。棒術ぼうじゅつの使い手! それでは、はじめ~!』

『姉ちゃん、ぶちのめせ~』


カーンッ


 ゴングが鳴った。この音は詩織たちには聞こえているんだろうか。詩織もピエロもすぐには動かない。

 アナウンスの通り、スペードのピエロはその手に三メートル近くはありそうな棒をたずさえている。その棒の先端には、金属特有の鈍い光を放つ突起とっき。あれに触れたら詩織は……。

 僕は、すいに向き直った。


「マズいよ、すい! アイツら、電気ショックを与える武器を使うんだ。詩織がやられてしまう!」

「……ヨッシー」


 すいが僕を見つめる。


「しおりんを信じられないの?」

「……すい?」

「しおりんは強い女の子でしょ? ヨッシーも知ってるでしょ?」

「強いったって……」

「見ててあげて」


 そう言って鏡に顔を戻したきり、すいは黙ってしまった。

 そうだよな……。僕が一番詩織と長い付き合いで、僕が一番詩織を知ってるはずなのに、すいに言われてたら世話ないよな。


『姉ちゃん、死んだら冷蔵庫にあったプリンもらうね~』


 弟として二番目に長い付き合いのはずの拳一けんいちはこんなだしな。


『あなた……誰?』

『ボク? ボクはスペード・スート! よろしくネ!』

『みんなはどこなの?!』

『さあ……?』


 ピエロは、得物えものである長棒をくるくるとその頭上で振りまわす。


『ボクを倒せたら教えてあげちゃ……うッ!』


 振りまわしてた棒を大振りに構えると、ピエロは詩織に向かって突きを放った。


『……ッ!』


 咄嗟とっさにだが、それに反応して横に避ける詩織。

 だが、ピエロの棒は急に水平に動きを変え、詩織の横腹よこばらを叩く。


『グぅッ!』

「詩織ッ!」


 腹を抑え、詩織は二、三歩あとずさった。キッと顔を上げ、ピエロをニラみつける。

 触れたのが棒の先端じゃなかったおかげか、電気ショックは受けていないみたいだ。


つよしを……狙ってきたってわけね』

『へえ、「強くん」……。その子が「ダイチ」の子なんだ?』


 スペードのピエロが目をみはる。


『そうなんですか? 解説の少年』

『強兄さんは「大地の子」とかそんな荘厳そうごんなカンジじゃないですね。普通の子です』


 うっせぇぞ、拳一少年。


『いや、普通「未満」の子?』


 だまれ。


『それじゃあ、キミを倒して、その強くんも倒すことにしちゃおっと!』


 ピエロの突きが、ふたたび詩織に迫る。

 あの突きの直撃はもちろんダメ、避けてもさっきと同じでぎ払いが来るからダメ……。どうするんだ? どうすべきなんだ?

 詩織、詩織……。


「詩織ッ! 頑張れッ!」


カンッ


 まるで、僕の叫びを合図にしたかのように、詩織は向かい来る棒先を右足で蹴り上げた。


『ッ?!』


 得物の先を跳ね上げられたピエロはバランスをとられ、少し足元がふらつく。それは一瞬だったが、詩織はすでに間合いを詰めて、ピエロのふところにいた。


『あんたなんかに、強はやられない!』


 詩織の放った右拳がピエロの腹にめり込む。


『ぐおぅッ! ……ゥッ?!』


 続けて、左拳。これはピエロの顔面をとらえた。ピエロはよろめいて後ろに引く。


『や、やるねえ。お嬢ちゃん……。でも、その程度の拳打けんだじゃあ……ンッ?!』


 詩織の拳を受け、白塗り化粧が少しカスれてしまっていたその顔に余裕を浮かべたピエロだったが、その表情が一転した。なにか、異変を感じ取ったような、信じられない、といった表情。

 まもなく、化粧で赤く、でかでかと強調されたピエロの口が開く。それは、ピエロも意図しない、自然な動きのようだった。当然、次に来るのは、あの音……。


ゲプゥ


 そう、ゲップです。


『……? なんで今、ゲップが?!』

曖気あいき葬意そういの型ッ!』


 詩織が仁王立ちで息を吸う。詩織の「曖気あいきどう」だ。


『ッ?!』


 赤い光が詩織の口の中に消えていくと、スペードのピエロは白目をむいてその場に倒れた。


「詩織ッ!」

「さっすが、しおりんやで~」

『えぇ……? スペードもやられちゃったよ……。なに? キミのお姉ちゃんって化け物なの?』

『少なくとも、ぼくの中では化け物と定義づけされております』


 定義づけするな。あとで詩織に殴られるぞ、拳一。


「ふぅ……あ!」


 呼吸を整えた詩織が、僕とすいの方に気づく。

 そうか。ピエロを倒したから、空間がつながって、鏡面が消えたんだ。


「詩織!」

「強! すいちゃん! 無事だったのね!」


 詩織が駆け寄ってくる。


「なんなの、コレ? ソフィーちゃんや拳一……あと、拓実たくみもか。無事なの?」

「精神系の幻術をかけられてる。解き方は、まだわからないんだよ。とりあえず……金ぱっつぁんと切田は生きてる」

 

 すいは左右にアゴを振って、ソフィーと切田が映る鏡面を詩織に示した。


「拳一は結構のんきにしてるみたい」


 僕も、実際はそこにはいないんだろうけど、気分的に上を指差しながら、付け加える。


『あ、やっほ~。姉ちゃ~ん、おめでと~』

「拳一ッ! あんた、大丈夫?!」

『うん、全然。ジュースおいしいよ~』

「……のんきね」

「な?」


 詩織はひとまず安堵あんどしたらしく、ほっと一息ついた。


「強、ありがとね」

「……?」


 詩織が顔を上げて礼を言ったが、僕には何のことを言っているのか、判らなかった。


「強の声、聞こえた気がした」

「僕の声?」

「うん。『頑張れ』って……」

「ああ……。言ったね……聞こえたの?」

「なんとなく、だけどね……」

「はい、スト~ップ!」


 すいが僕と詩織の間に、腕で大きくバツを作りながら割り込んできた。


「気を抜くと本妻ほんさいのすいちゃんをほっといて、アンタらはすぐイチャつく!」

『ナイスです、すいさん! 姉のイチャつきを見せつけられる弟の地獄といったら……』

「わかるか、少年K!」

『その呼び方はヤメて! 犯罪者みたいでなんかヤダ!』


 すいと拳一のやりとりに、苦笑いの顔を見合わせる僕と詩織。

 そのときだった。

 僕の目の前が、突然に暗転する。


『さ~て……「ダイチ」の子が特定されましたので、次の一戦は予定を繰り上げて、エクストラステージッ!』

「?!」


 暗闇の中、アナウンス――ジョーカーの声だけが周囲に響き渡る。と、今まで見たきたのと同様、スポットライトの光が下ろされる。

 ただし、その光を浴びているのは……僕だ。


「すい? 詩織?! どこだ?!」

『お相手はこの子! 一回戦で勝ったので今、唯一ゆいいつあいているハート・スートくんです!』


 アナウンスの声に合わせたように、闇の中から、ぬらり、とピエロが現れる。

 ハート・スート……。さっき、切田をフェンシングのような技で倒したピエロだ。よく足元を見ると、切田が伸びて倒れている。

 すいや詩織が消えたんじゃない。僕がこの戦闘フィールドに移動されたんだ……!


「お会いできて光栄です。『ダイチ』の子……」


 ピエロは僕に向かって、うやうやしい礼を寄越よこす。


「勝負にあたり、何か得物が必要でしたらなんなりとお申しつけください……」


 僕は、生唾なまつばを呑みこんで……覚悟した。

 ここではおそらく、すいや詩織の助けは期待できない。みんな、ひとりひとりピエロと対峙たいじしていたんだ。今度は……僕の番だ。僕ひとりの力で、目の前のコイツに勝たなければいけない。

 やる……。やってやる。

 僕は靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、裸足はだしになった。脱いだ靴を、そのまま手にはめる。


「僕は……これでいい」


 顔を上げる。ピエロは白塗りの顔に、うっすらと笑みを浮かべる。


「……よろしい」

『それでは、エクストラステージッ、開始ッ!』


カーンッ


 ゴングの音が鳴らされると同時に、ピエロの剣先が僕に迫りくる。

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