第三十八話 これじゃアタシもストーカーじゃない

 道場内は水を打ったような静けさで、全体的にホコリにまみれています。

 姉ちゃんは比較的汚れの少ない道場中央を指し示され、そこに正座しました。おじいさんも対面に座ります。


「笹原くんのところの、娘さんだね?」

「はい」

「ワシゃあ、現聞げんぶんと名乗っとるのでな。そう呼んでくれればいい」

「父からうかがっています」


 姉ちゃんは正座のまま、その場から少し体を下げると、現聞先生に対して土下座をとりました。


「現聞先生、門下にお加えいただきたく願います」

「……ふぅむ」


 現聞先生は白ヒゲを伸ばし伸ばししながら、姉ちゃんを見据みすえます。


「……この道場、みてみぃ」

「……」


 姉ちゃんはゆっくりと頭を上げると、周りを見渡しました。

 ちょっと姉ちゃんが土下座しただけでも周囲にはホコリが舞っています。床は黒ずみ、壁の名札掛けにはまばらな日焼け跡が残るのみで、そこにはひとつの札もかけられていません。誰もこの道場には通っていないのです。


「正直いうとじゃな、そういう申し出は大変ありがたい。ご覧の通り、閑古鳥かんこどりが住みついて久しいのでな。たとえ、ウチの門下を正流せいりゅうとはできない、笹原くんの娘さんだとしても」

「……では」

「だが、ことわらざるを得ん」


 現聞先生は細めていた目を片方だけ開き、姉ちゃんの目をとらえました。

 姉ちゃんはその眼力がんりきに、内心のたじろぎを必死に抑え込みました。


「詩織くん、と呼ばせてもらうよ?」

「……はい」

「詩織くん、君、好きな子がおるじゃろ?」


 姉ちゃんは数秒の沈黙ののち、小さく「はい」と答えました。


「その、『好き』という感情のほとばしり。持っていく先が定まらず、止む無しとしてウチの門を叩いたのが、ワシには手に取るようにわかるのじゃよ」

「……」

「ウチの流派は、極めれば人を死に至らしめるのも容易な……せきを問われる技じゃ」

「死……?」


 姉ちゃんは現聞先生の言葉に、違和感を覚えます。


――合気あいきどうって、そんなにあぶなっかしい格闘技だったっけ……?


「詩織くんの今の心持ちじゃあ、ワシはその端緒たんしょさえも教えることはできん。すまんが、帰ってくれぬかのう」

「……」


 姉ちゃんはじっと現聞先生の目を見続けましたが、どう足掻いても先生にその気がないと悟るや、再び、頭を下げました。


「……失礼いたしました。本日は……おいとまさせていただきます」


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――どうすればいいのよ、どうすればいいのよ、どうすればいいのよ。


 週明けの月曜日、姉ちゃんは前の授業の板書ばんしょを写すのもままならず、休み時間になっても自分のノートに殴り書きを走らせつづけます。今やノートは「どうすればいいのよ」のお祭り状態。我が姉ながらちょっと怖いです。


――どうすればいいのよ、どうすればいいのよ、どうすればいいのよ、どうすればいいのよ、どうすればいいのよ、どうすればいいのよ、どうすればいいのよ、どうすればいいのよ、どうすればいいのよ、どうすればいいのよ、どうすればいいのよ。


 ああ……なんだか、「どうすればいいのよ」が変に見えてきました……。

 姉ちゃんは書きながらも背中の感覚を研ぎ澄ませて、背後の様子を把握しようとしています。もちろんターゲットは、うしろの強兄さん。今は、なにやら切田きりた拓実たくみさんとお話をしている最中のようです。


――ちょっとぐらい声かけてくれてもいいんじゃないの?! 拓実の相手なんかしてないでさ!


 姉ちゃんはこの心の声もノートに書きつけます。

 マジで怖い。姉ちゃんにこんな闇属性があったとは。

 結局、姉ちゃんはこの日一日中、ムカムカを抱えながら学校を終えました。


――もう今日はやけ食いでもしようかな。


 いつもならさっさと家に帰って、道場で他の門下生と一緒に鍛練たんれんはげむ姉ちゃんですが、この日はフラフラとあっちへ行ったり、こっちへ行ったりして、帰る様子ではありません。

 父さんに紹介してもらった手前、現聞先生に門前払いを食らったのをバツが悪く思い、どうにも足が家に向かないのです。


「ん?」


 それでもちょっとずつ家に近づいていた最中、姉ちゃんは空地でおかしな光景を見ました。


「オメガくん。はい、コレ飲んでネ」

博士はかせ……。これ……なんですか……?」


 小柄な男と、ヒョロヒョロの貧相な男。奇妙な組み合わせが野営用のテントのそばでなにやら話し込んでいます。


「君を望み通り、強くするお薬だヨ」

「そうですか……じゃあ……いただきます……」

「そしたらこのお菓子もモリモリ食べてネ」


 小柄な男は貧相な男にたっぷりのお菓子の袋を渡しています。


――こんなとこでキャンプかな……。


 あまり関わらない方がいいかな、と姉ちゃんは思い、その場を足早に通り抜けました。

 と、姉ちゃんは道の先に、見慣れた背中を見つけました。

 強兄さんです。その隣には、姉ちゃんと同じ制服の小柄な女の子。


「強……。すいちゃん……」


 姉ちゃんはすぐさま物陰に身を隠します。


――昨日の今日で……間が悪い。


 とはいっても、強兄さんの家とぼくたちの家とはほとんど同じ方角です。遠回りしようにも、この少し先にある総合公園を大回りしなければならなくなります。

 仕方ない、と自分に言い聞かせながら、姉ちゃんは身を隠しつつ、ふたりと同じ道を行きます。


――なによ、コレ。これじゃあまるで、アタシがストーカーしてるみたいじゃない……。


 時折、姉ちゃんは先行くふたりの姿をのぞき見します。

 すいさんは笑顔いっぱいで強兄さんを見上げながら、しきりに話しかけています。強兄さんはそんなすいさんにときどき顔を向け、ときどき笑みもこぼしています。


――「ふたりで行く」……か。


 姉ちゃんは胸が、キュウと締め付けられたような気持ちになりました。ですが目をらさず、ふたりの様子を見続けます。


――すいちゃん、可愛いなあ。


 強兄さんの反応が鈍そうなときでも物怖ものおじせず、何度も、何度も、キラキラ光る笑顔を向けながら強兄さんに話しかけているすいさんの様子に、姉ちゃんが見惚みとれています。


――アタシもあんな風に、できたらよかったのかな……。


 総合公園内の木の陰でしばらくボーッとしていた姉ちゃん。気づくと、辺りの夕闇が深くなってきていました。


――いけない、帰らないと……。


「ん?」


 公園内を少し行くと、姉ちゃんはなんだか前方の様子が騒がしいことに気づきました。


「何これ……? 人が集まってる……?」


 何事か、と姉ちゃんは人だかりに近寄っていきます。近づくごとにその人だかりは何かを中心にして、百人規模で取り囲んでいる大きな輪であることがわかってきました。遠く中心の方からは、喊声かんせいや、打撃音が聴こえます。

 姉ちゃんはハッとしました。


――強だ。強が襲われてるんだ……。


 気づけば、姉ちゃんは人混みをかきわけ、中心を目指して駆け出していました。


「どいて! どいて!」

「なんだ、嬢ちゃん! 順番だろうが!」

「あ、コラ、テメエ! 先越すんじゃねえ!」

「どいてー!!」


 前に、前にと進んでいくと、ようやく中央付近の様子が分かるまでのところに来ました。

 すごい人数に取り囲まれた中心、少し開けたところには、今まさにひとりの男から木刀を振り下ろされ、なんとかそれを避ける強兄さんが見えました。


――強!


 強兄さんの避け方はよろめきがひどく、どこか覚束おぼつかない様子です。

 ですが次の瞬間には、その木刀持ちの男は地面に倒れていました。よく見ると、中心から数歩ほど手前、波となって強兄さんに向かう男たちの一段内側を、風が吹き抜けるようにすいさんが駆けています。


――すいちゃんが守ってるんだ。四方八方から迫るこの人数から、強を……!


 姉ちゃんは、なぜだか涙があふれてきました。と同時に、男たちの喊声に負けじと大声を張り上げていました。


「すいちゃん! アタシを通して!」


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 襲撃者たちを撃退し終わって、姉ちゃんは強兄さんと仲直りしました。


「行こう。詩織さえよければ、僕を手伝ってよ」


 強兄さんが姉ちゃんに手を差し出ます。

 姉ちゃんは一瞬戸惑ったものの、握手を交わしました。

 強兄さんの手が思いのほか骨張ほねばってたくましかったことに、長年の付き合いにもかかわらず初めて気が付いた姉ちゃん。


「すいちゃん」

「ん~?」

「アタシ、負けないからね」


――そう。負けないから。


 姉ちゃんはもう一度、現聞先生のお堂を訪ねてみることに決めました。

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