第三十二話 君のそばで僕は

「ソフィーの変貌へんぼうぶりにはまいるよな……。『アレ』以来、どんどんおかしな感じに拍車はくしゃがかかってるよ」

「……うん」

「やっぱりあの兄貴にして、ソフィーあり、だよな」

「……そうだね」


 詩織しおりはうつむき気味で、気もそぞろな返事ばかりだ。


「どうした? 調子悪い?」


 詩織の顔をのぞき込む。顔色は悪くなさそうだが、どこか居心地いごこちが悪そうな、バツの悪そうな顔をしている。


「今日、やめとく?」

「いやいやいやいや!」


 顔の前でブンブンと手を振る詩織。あまりに大げさすぎて、通りがかる人も何事か、と僕たちを気にする様子。


「行く、行こ。ぜったい行くから!」

「わかった。わかったから」


 今度は僕を置いて、怒ったように先導しはじめた。

 ホント、どうしたんだ? 詩織のヤツ。


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「食事ってもココだとは、ね」

「懐かしいでしょ」


 古めかしい建物に生地きじが少しいたんだのれん……。僕たちは「みむら食堂」の前に来ていた。

 この食堂、昔は詩織と詩織のお母さん、小さい拳一けんいち(詩織の弟)、僕とでよく来ていた場所だ。そのころから僕の母さんは夜の仕事をしており、僕がどうしてもグズったりして、それでもどうしても仕事にいかなければならないときなんか、僕はよく笹原家に預けられた。そんなときに詩織の家族と一緒に、というわけなのだ。


「そういえば、何年ぶりだろう。最近は入った覚えないな~」


 小学校の高学年になったあたりから僕もひとりで留守番できるようになり、笹原家に預けられることはなくなった。よって必然、このお店からも足が遠のいて久しい。


「ウチはいまだに週一くらいでは来るけどね。入ろう」


 格子こうし戸を開けると、店主であるおじいさんの「らっしゃいませ」との大きな声が僕たち出迎えてくれた。

 テーブル席に、詩織に面と向かって腰を下ろす。まもなく、おばあさんがおひやをもってきてくれた。


「あら、可愛いめんこい子が来たと思ったら詩織ちゃんじゃないの」

「えへへ……どうも~」

「この子は? カレシ?」

「違いますっ! つよしですよ、強。ホラ、昔よく来てたでしょ。アタシたちと一緒に」

「……あ~あ、アレか! よくベソかいてた! 覚えてるよ~。大きくなって!」


 そう言って、おばあさんは僕の肩をポン、ポンと叩く。


「はい……。どうもお久しぶりです」

「じゃあ、今日はデートなわけだ。いひひ」

「違いますってば!」


 今思い返してみると、こんなふうにどこかあったかい雰囲気ふんいきのお店だったな、ここは。

 ここでアレを食べれば、母さんに置いてかれたと泣いていた僕は、すぐ泣き止む。すっかりと忘れていたことだ。


「強、注文は?」

「……オムライス」

「あ、強、オムライスはもう……」

「いいよ、いいよ。じいさんに言って作らせるよ。よくウチのオムライス頬張ほおばってたよね、ちっせえ頃の強くんは。れた目させながらさ。せっかく久しぶりに来てくれたんだから、食べてきなよ」

「あ、ありがとうございます」

「じゃあ、アタシはみそラーメン」

「いつもみたいに大盛?」

「……じゃなくていいです」

「いつもの餃子ぎょうざは?」

「……いいです」

「そうだよね~。おめかししてんのに汚したらいけないしね」


 あはは、と笑い飛ばすと、おばあさんはキッチンの方へと消えていった。


「詩織、オムライスってもしかして……?」

「うん、もうやってないんだよ。なんか、あんまり注文出ないんだって」

「へえ……」


 周りを見渡す。

 壁の黄ばみや傷みは、僕の薄い記憶の中の景色よりその年季ねんきを増しているようだ。たぶん、あの頃の僕たちみたいな、家族連れで訪れる客も減っているのだろう。オムライスなんて、子どもがメインで頼むものだろうし。


「強、煮詰につまってんでしょ」

「ん?」

「三穂田さんの試験」

「あ、うん……ああ」


 僕も隠してたってわけじゃないけど、詩織はやはり、それを気にして僕を誘い出してくれたようだ。たぶん、詩織の「空手の不調」も口実こうじつにして。

 あと、細かいようで悪いけど……。


「ちなみに『煮詰まる』って、今の使い方、間違ってるからね?」

「へ?」

「思うようにいってない、みたいな意味で使ったんだろうけど、本当は『イイ感じに終わりに近づいてきた』って意味だから」

「う、うっさい! 細かいのよ、強は!」


 フン、と鼻を鳴らし、詩織はそっぽを向いてしまった。

 細かいことでしたね……。ごめん。


「ありがとね。心配してくれてたんでしょ」


 そんな詩織の横顔に向かって、僕は言った。


「……また、いつかみたいに余計なお節介だ、アタシは要らないって思ってなきゃいいけど……」


 ゲッ。あのときのことか。アレは、本当に反省してる。トラウマものなので僕のなかでは結構なタブーなんです。


「ちょっとソレを言われると……僕は、弱っちゃうな」

「ほう……強の弱みというわけね」


 詩織が意地悪そうに、ニヤリと笑って僕を見てくる。


「じゃあ、今度から事あるごとに持ち出してやる」

「やめろよ。からかわないでよ」

「……だってさ、強、ドンドン強くなるんだもの」

「僕が……? そういや、前にもそんなこと言ってたよね。でも『鳴らし山』に入れないくらいだし、みぽりんの試験もふるわないし、強くなってるって言えるのかな~」

「……ううん」


 詩織は首を振った。


「強くなってるって、そういう強さじゃなくて、頼りになるっていうか、オドオドしなくなったっていうか……。すいちゃんのおかげかな……」

「すいの?」

「うん。彼女が強のそばに飛び込んできてから、強はずっと楽しそうで、ずっと強くなってってる……。アタシは……なんだか見てられないくらい」


 そう言うと、彼女はうつむいて黙り込んでしまった。

 僕の幼馴染おさななじみが、なんだかよく判らないけど、ふさぎこもうとしている。なんて言葉をかけたらいいのだろう。


「うーん……。詩織が何を心配しているんだかよくわかんないけどさ」

「……鈍感バカつよし……」


 ん? 今、ボソッとなんか言った?


「このお店、見てみてよ」

「……ここ?」

「そう。あ、アレ、あのカウンター懐かしい。一度あそこのかどで僕、頭ぶつけたんだよね。泣いた僕を、詩織が頭をでてくれた。あの漫画棚も。詩織と取り合いしたっけな。ちっちゃい拳一なんかギャンギャン泣いててさ。ふたりであやしたりもしてたよね」

「……うん……うん」

「ね。僕には、詩織と過ごした時間がいっぱいある。今、僕が強くなってるっていうなら、それはいつもそばにいてくれた詩織のおかげが大きいと思うな」

「……うん」

「だから、あんまり気にすんなよ。詩織らしくない」

「私らしく……ない、か」

「そう」

「よく言うわ!」


 ニカリ、と笑う詩織。すこし目元に光るものがある。

 ごめん。詩織が今、それほどに気にしていることが何なのか、僕にはまったくつかめていないけど、目の前で君が今、笑ってくれているなら、今はそれでヨシとさせてほしい。


「はいよ、おまち」


 卓上にみそラーメンとオムライスが運ばれてきた。


「うんうん、これだ! この味!」


 薄焼き固めの卵に包まれた、ケチャップライス。グリーンピースはナシ! お肉多め!

 ホント、今日は懐かし祭りで脳を刺激されるよ。気分転換という意味では、詩織にあらためてお礼を言わなくちゃならないや。


「どれどれ」

「あ、お前!」


 詩織は僕が水を飲んでいるスキに皿上にあったスプーンを取ると、オムライスをひとかけ、持って行ってしまった。

 そのまますぐ口に運ぶと思いきや、スプーンを口元で待機させて、なにやら固まっている。


「何してんだよ。食べるなら早く食べてよ」

「う……うん」


 なんでちょっと赤くなってんだ? コイツ。

 詩織は意を決したように口を開けると、スプーンをその中にしまい込んだ。


 ……。

 ちょっと咀嚼そしゃくというか、スプーン口に入れてるの、長すぎじゃない?


「ん、んんっ」

「ちょ、ちょっと大丈夫か?」

 

 彼女はやっと、スプーンを口から出した。


「……ん、はあ、大丈夫、大丈夫……」

「なに、詩織ってそんなにオムライス好きだったっけ? 頼めばよかったのに」

「いやあ、ま~……そういうわけじゃ~……たはは」


 なんだ、その笑い。

 今日は格好といい、詩織は逆にストレスたまったんじゃないの? ちょっと心配だわ。


「そういえば、みぽりんもオムライス、好きそうだったな~」


 僕は、せっかく気晴らしで忘れていたというのに、オムライスという関連キーワード検索によって、目下の最重要トピック、みぽりんのことを思い出してしまった。

 最初に事務所を訪れたとき、彼はオムライスがどうのこうの、言ってた気がする。


三穂田みほたさん? なんかあの人、子どもっぽいカンジするしね。こういうの好きそうだね」

「うん。あのオフィスもひどいでしょ?」

「それな。他の会社とか知らないけど、あの荒れ具合はね~。ちょっとね~」

「あはは」

「あれだと、どこに何があるかわかんないんじゃないの?」

「いや、ああいう人は逆に、あんなに散乱しててもモノの位置はしっかり決め込んであるらしいよ。というか、そうしないとホントにどこに目的のモノがあるかわかんなくなるから、必要なことなんだろうね」


 モノの位置か。

 みぽりんの部屋が映像で思い出される。しわくちゃの、いつ洗ったんだかしれないシーツ。そこに寝転んだみぽりん。グチャグチャにゴミが散らばったテーブル上に無造作に置かれた、カウボーイハット。

 あの時は、本当に星がとれそうに思えたけど……。


「そうだよね~。でも、わかりやすそうな人だよね。あの人もさ」

「わかりやすそう……?」

「あの人の行動原理って、『メンドくさい』一択いったくでしょ? それも究極の」

「うん」

「そういう人は絶対わかりやすいよ。たとえば今電話したら、三穂田さんはゼッタイ出ないにアタシ千円賭けられるよ」

「あはは。日曜も出なかったな、そういえば」

「でしょ? わっかりやすいな~」


 わかりやすい人か……。


 ん?

 その時、僕のなかでひとつのひらめきがまたたいた。これはもしかすると……今回はバトル、ありませんね?


「詩織、ありがとう」

「ん? 急にどうしたの?」

「おかげで糸口つかめたかも」

「糸口、ねえ……。なにを言ってるんだか」


 言葉とは裏腹に、詩織が明るい顔をしてくれた。きっと、僕も彼女と同じような、晴れた顔をしているんだろう。

 早速、行動してみよう。まずは天気予報のチェックだな。

 僕は、スマホを取り出すとネットにつないだ。


「強」

「ん?」

「その……さ……せっかくなんだし、スマホ見るの、今はやめない……?」


 詩織がどこか切なそうな顔をしている。


「あ……ああ……そうだね」


 僕はスマホをポケットにしまい込んだ。


「今日は、気分転換だったな」

「そう。アタシと……気分転換だからね」


 天気予報のチェックは、家に帰ってからにしよう。

 今は目の前の、久しぶりのオムライス。そして久しぶりの、詩織とのふたりきりでの会話。これらを楽しむことに決めた。

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