第三話 私とお手合わせ願えます?

 切田は結局、病院で検査することになったらしく、今日は休みとなった。

 美少女転校生の登場に、切田の昏倒こんとう騒ぎ……朝から立て続けの出来事に、僕たちのクラスは午前中、おかしな空気に包まれていた。


「強くん」


 僕も、どこか鬱々うつうつとしたその空気の中、静かに昼食をとっていると、背後から声をかけてきた者がある。この声音は……そう、ソフィーだ。


「……」

「ふふ、そんな、ハトがカラシニコフ食らったみたいな顔しなくてもいいでしょ」

「からし……え?」

「ニェプ……日本語にはそんな言葉があったんじゃなかったかしら……」


 カラシニコフってあれか? よく分からないけど、ごっつい銃か? そんなのハトが食らったら、みじんな気がするよ。


「まあ、いいわ。強くん、お昼休みのこれからの予定はありますか?」

「そりゃあ……」


 ちらりと手元の弁当を見る。もうそろそろ食べ終わったとして、このあとに学生らしい昼休みの過ごし方の予定が僕にはあるか。いや、ない。


「なさそうですね。学校内を案内してもらえたり、しない?」


 えっ?!

 あの、アニメや漫画でよくある学校案内イベントって実在するの? 先生同伴でいつのまにか終わっているか、「勝手に順次覚えてね」で済まされる現実じゃなかったの?


「ああぁ、いあえ、っと、ぼ、はい」

訳注:「ああ、いいですよ。でも僕も一年生で高校生活は日が浅く、完璧に知っているわけじゃないですよ」


「構いません。ざっと紹介いただけましたら結構ですよ」


「な、なな、な、いえ、はい。はい」

訳注:「はっはっはっ。では、拙いエスコートにはなりますが、よろしくどうぞ」


「ふふっ。よろしくお願いしますわ」


 よく言っている意味が判るな。僕自身でも判らないのに。


 一連のやりとりをさり気なく眺めていたらしいクラスメイトの、奇異きいなものを見る目を一身に浴びながら、僕はなんとか弁当を食べ終わる。それをずっと待っててくれていたソフィー。

 後片付けのあと、僕たちは一緒に教室を出た。


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「ハァ~。体育館が二つもあるのね。すごい」

「スポーツが盛んな他の、あの、学校とかは……、三つとかあったりもするみたいですよ」


 ソフィーに学校の施設を適当に案内しているうちに、僕はなんとか通常の言語で意思疎通ができるところまで落ち着いてきた。


 それにしても……。

 横目でオズオズと、ではあるけど、あらためてソフィーを眺めてみる。

 サラサラの長い金髪が、ソフィーの歩みの残像を作るようにキラキラと光の粒を振りまく。その輝きぶり、目立ちぶりに、僕たちふたりの姿を見た生徒の大半は振り返り、あとを付いてくる者まであった。とんでもない吸引力だな。


「こちらの道は?」


 ふと立ち止まったソフィーは、第二体育館わきの小さな細道について僕にたずねた。


「この先は僕も……知らないです」

「ニェプ!」

「え? ……ニェプ?」

「不必要な敬語、やめようよ」

「え、あ……うん……」


 ソフィ―はニッコリと微笑ほほえむと、僕の手をつかんだ。


「う? ちょっと……手……」

「行ってみよ」


 そう言うと彼女は、細い石畳いしだたみの道に先立ち、僕を引っ張っていく。


「探検みたいで楽しいわね?」

「……」


 恥ずかしいのと、理性とは無関係に神経を可能な限り手に集中させられているせいで、何も答えることができない。ソフィーはそんな僕の様子にはお構いなしだ。


 この細道は狭苦せまくるしい。プールの壁とブロック塀に囲まれ、天井は安っぽいプラスチック板で覆われている。この「秘密の通路」感が余計に探究心をくすぐる感はいなめない。学校にこんな道があったなんて。


「ゴール!」


 道の終端しゅうたんには、体育館より二回りほど小さい木造の建物が立っていた。板壁いたかべの黒ずみに年季が入っている。正面入り口脇には、板に筆字で「格技場」とかかげられている。


「いい場所だと思ったんだけど、先客がいるようね」

「いい場所? 先客?」

「そうよ、入りましょ」


 ソフィ―が正面の数段を上って板戸を開けると、彼女の言う通り、室内には人がいた。

 道着姿でこちらに背を向け、板敷きの床をすり足で進みつつ、拳を前に突き出す、突き出す、突き出す――。

 僕は、正しい感想なのかどうか判らないけれども、その真っ直ぐ伸びる突き手を綺麗だな、と感じた。と同時に、その人物が誰であるのかにも容易よういにアタリがついた。


「あら、強とソフィーちゃん。どしたの、こんなところに」


 振り返った人物――僕の幼馴染おさななじみ、筋肉空手少女の詩織しおりだ。


「し、詩織こそ、何してるの」

「私? 自主練よ。フクちゃん先生には言って、昼休みは使えるようにしてるんだよね」


 昼に姿を見ないことが多いな、と思っていたら、こんなところで空手の練習をしていたのか。


「なんか、ずいぶん仲良くなってんのね。ふたりとも」


 詩織が僕とソフィーとの中間を見る。「へえ」とさげすむような目線をくれる。

 そこで気が付いた。僕たち、手をつないだままだ!

 僕はあわててソフィーの手を振りほどいた。


「あれ? いいのよ。続けてもらって。ただし、格技場からは出てってね。気が散るから」


 言うと、詩織はプイッとそっぽを向いてしまった。

 怖っ、怖っ、怖っ!  今後が怖い。


「詩織さん」


 出てってと言われたそばにも関わらず、ソフィーは格技場に足を踏み入れていく。

 いくら今日来たばかりの転校生、ザ・美少女のソフィーとはいえ、これには詩織もカッとなってしまったらしく、彼女をニラみつけた。


「ちょっと、ソフィーちゃん。今は不躾ぶしつけに入らないでほしいな」

「詩織さん、お手合わせ願えないかしら」

「何をバカなことを……」


 一瞬、ソフィーの提案を鼻で笑った詩織だったけれど、ソフィーが音もたてずに構えたのを見ると、詩織も同様に構えを作った。ただ、その表情がおかしい。

 詩織自身、構えを作ったことに驚いているような……。


「ソ、ソフィーちゃん……? あなた、一体……」

「強くん。閉めてもらえないかな」


 僕へ、ソフィーからの頼み。


「閉めるって……扉を?」

「そう。お願い」


 言われた通りに背後の板戸を閉める。電灯はつけられていないが、意外と暗くはならない。建物の中層に明かり取り用の窓がズラリと並んでいて、そこから陽光が差しているためだ。

 その光が、ソフィーと詩織の対峙たいじに降り注いでいる。


 僕もルールやマナーを知らないまま、詩織の空手大会に観客として連れ出されたことがある。今、目の前の詩織は、それらの大会の時なんかとは全く異質な緊張をしている。素人の僕でもそれが判る。

 それほど暑くもないはずなのに、詩織の顔面を流れる汗の量がヤバい。

 一方のソフィーは涼しい顔で、微笑みさえ浮かべている。

 今日来たばかりの美少女転校生と僕の幼馴染が、両者今にも飛びかからんばかりに対面で構え合っている。僕が見ているこの光景は……いったい、何だ?


「はあぁっ!」


 息も止まる静寂せいじゃくが続く中、先に動いたのは詩織だった。

 真っ直ぐに、ソフィーの体躯たいく目掛けて正拳が伸びる。素人目にも詩織が手を抜いているようには見えない。あんなの喰らったら、僕だったら半日は目を覚まさない自信がある。


 けれどソフィーは、詩織の拳を難なくいなした。

 拳に勢いをつけていたせいか、詩織は体勢を崩してしまう。

 そこに、ソフィーから左のボディブローが入った。


「ぐふッ!」


 うめきと共に詩織の身体がよろめく。ソフィーはくるり、と体を回転させる。

 上段回転蹴りが……詩織に迫る!


「がッ?!」


 勢いのついたカカトが詩織の側頭部そくとうぶにモロに入り、身体ごと僕のすぐ目の前まで飛んできて、そのまま地に伏した。

 彼女が意識を失っているのは、火を見るよりも明らかだった。


 詩織に近づいてくるソフィー。その美しい顔には微笑みが張り付いている。いや……これは、世間一般ではうすら笑い、とでも言うのだろうか。


「何しているの? 強くん」


 気付くと僕は、詩織とソフィーとの間に割って入っていた。詩織をかばうように。両腕を広げて。


「も、もも、ももう、いい、いんじゃないかな」

「……」

「勝負は、ね? ついたでしょ?」

「……うーん。本当は殺しておきたかったけれど」


 殺す? 誰を? 詩織を?


「まあ、いいか。気を失っているだけでも。終わったら、次に殺せばいいんだし」


 終わったら? 何が……終わったら?


「私が一体何者か、詩織さんはそういたわね。ソフィー……ふふふ。あなたたちが死んでから、闇の世界でとどろく名よ」


 僕に対し首をかしけながら今日一番の笑顔を見せる、ソフィー。

 それがひどく美しいものだから、シチュエーション違いもはなはだしいというのに、僕もつられて笑ってしまう。


 その笑みも乾ききらないうちに、くうを切る音が僕にせまってきた。

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