第二話 切田っ!カゼひくぞ!

 ショートホームルームが終わるとすぐに一限目。

 この一限目のあいだ、教室内の雰囲気がいつもと違っていた。男子の一部が、チラチラッ、と特定の者の様子をうかがう気配。一方の女子は逆で、ちょっとした余所見よそみさえもせずに不動。


 一番に好奇の視線の対象になっていたのはもちろん、香久池かぐいけソフィア。そして二番目は……僕、逢瀬おうせつよしだ。香久池ソフィアをチラ見した流れで、僕のこともついで、とばかりに見るクラスメイトたち。

 居心地悪いッ……。特に……斜め前方の詩織がピクリともせず、背中から無言の圧を放っているのが、一番怖い。


「ちょっとみんな、新しいクラスメイトが気になるのはわかるけど、授業にも集中してね」


 先生が注意してくれたおかげで教室内のおかしな空気も少しは収まった……。


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 休み時間になってすぐ。

 僕の机を取り囲むように、切田きりた一派――切田とそのつるみ仲間である、久留米くんと坂上くんがやってきた。


「ヨワシ! どういうことだよ!」

「……何が?」

「ソフィーちゃんと知り合いなのかよ?」


 僕は、チラリ、と後ろを見やった。

 休み時間が始まると同時に、香久池ソフィアは香久池ソフィアで他のクラスメイトに囲まれてしまったようだ。好奇の質問雨あられに、天使のような微笑びしょうをたたえながら答えている。


「いや、全然……知らない」

「じゃあ、なんでお前だけにあんな態度とったんだよ」


 「あんな態度」とは、彼女がわざわざ僕の前で立ち止まって「よろしく」などと微笑みかけたことだろう。

 ホントに……何も知らないんだってば。こっちが訊きたいくらいだよ。


 僕は、まあ体力面がひよわだってのもそうだけど、容姿ようしや性格もいたって普通であるとの自負じふがある。初対面であるそんな僕に、香久池ソフィアみたいな美少女がわざわざ「よろしく」なんて声をかける要素があるとは……思えない。


「このやろう。とぼけんなって」


 切田が僕の胸を小突こづく。


「ホント、知らないんだってば」

「ウソつくなよ」


 ポンポン、と小突きが止まらない。痛くはないが、叩かれる度に身がすくむ。


「ヨワシみたいな陰キャがあんな綺麗な子に興味持ってもらえるなんて、なんか裏があるに決まって……」


 少し溜めを作ると、切田の拳の引きがこれまでより大きくなった。

 強いのが来るっ……。


 僕は身構えたが、その一発がお見舞いされることはなかった。

 切田は身体からだごと後ろに引いたせいか、歩いていたクラスメイト、地味な女子にぶつかったのだ。


「きゃっ」

「あ……すまん」


 地味女子はとがめるような目つきをメガネの奥に一瞬見せたけれど、そのまま歩いて行ってしまった。


「おいおい、拓ちゃん~。人に迷惑をかけちゃあいけないよ」

「お、おう……。ン……すまんね」


 久留米くんの揶揄やゆにバツが悪くなったのか、切田の勢いが急にしぼまっている。

 僕に対する迷惑はだいぶ前から続いているのですけれど……それはいいの?


「じゃあ、な」


 歯切れの悪い言葉を残すと、切田はひとりだけ、僕の席を離れていった。

 またぞろ勢いを取り戻してカラみが続く、と僕だけでなく久留米、坂上コンビも考えていたはず。

 切田の態度の急変に、僕、久留米、坂上はトリオとなって、キョトンとした。


「ちょ、拓ちゃん、どこ行くの」

「どした? 急にどした?」

「……ちと、トイレ」


 切田は彼らの戸惑とまどいの声に振り返らず、答える。

 僕も呆然ぼうぜんと切田を見送っていると、その視線の途上とじょう詩織しおりと目が合った。何かを訴えかけている……けわしい表情。

 幼い頃からこの顔は、よく知っている。僕にごうを煮やして叱責しっせきする直前の、笹原ささはら詩織・鬼の形相である。切田なんかよりこっちの方が断然だんぜん怖い。


 などと、詩織の鬼面きめんに怖れおののいていると、僕の視界のはし、教室の入り口手前で切田が倒れ込んだ。


「ちょ、どした? 拓ちゃん」


 彼の近くにいた久留米くんが驚きの声を上げる。


「拓ちゃん、んなとこで寝るとカゼひくぞっ!」


 坂上くんがあはは、と笑った。けれど、切田に起き上がる気配がない。


「ちょっと、拓ちゃん……?」


 久留米くんは切田を抱え起こそうとする。


「バカ、やめな!」


 詩織が席から声をかける。

 そのまま彼らの元に歩み寄ると、彼女は倒れている切田の様子を観察しはじめた。教室の他のクラスメイトも騒ぎに気づきだしたのか、ザワ、ザワとし始めてきている。


「これは……気を失っているね……。倒れたときに頭を打ったかもしれない。久留米!」

「……おう」

「何があったの? 倒れたとき」

「いや、拓ちゃんが先に歩いてって……そしたら、急に……」

「そう……。あんた、保健の先生に言って、来てもらって。いなかったら職員室行って、誰でもいいから先生にこのことを伝えて」

「ああ、わかった」

「坂上、あんたは体育準備室のフクちゃん先生に知らせて」

「りょ」

「バカ! ふざけてる場合じゃないよ」


 テキパキとした指示を受けた久留米、坂上コンビは駆け足で教室を出ていった。

 詩織は空手道場でこういったことには慣れっこなのだろう。そう言えば、僕が小学生の頃、教室でコケてたんこぶを作ったときも、詩織が冷静に保健室まで介添かいぞえしてくれたことがある。


 僕は席を立つと、かがみこんだ詩織のもとに歩み寄っていく。

 詩織は切田の顔の前に手をかざしていた。


「息は……してるね……」

「……どうしたのかな?」

「強……」


 僕の声に詩織は一瞬こちらを向いたが、すぐに切田へと顔を戻した。


失神しっしんね。貧血とかかもしれないけど……。拓実、拓実」


 詩織が呼び掛けながら、ペチ、ペチと切田のほほを叩く。


「意識はないようね。瞬間的な失神ならすぐ意識を回復したりもするんだけど……ちょっと心配ね」

「ねえ、頭部に外傷は?」


 後ろから声をかけられて、僕と詩織は同時に振り返った。

 いつの間にか香久池ソフィアが僕の背後にいる。彼女は僕を見て微笑ほほえみ、つづけて詩織、切田と視線を移していった。

 こんなときになんだけど、シャンと立つ香久池ソフィアの姿は……やっぱり綺麗だな、と僕は思った。


 詩織は伏せっている切田の頭と床の間、はさむようにしてその手を入れる。


「出血はないみたい。香久池さん、詳しいの?」

「ソフィーって呼んでね」


 香久池ソフィアは詩織の横にかがみこむ。倒れている切田の頭から足のつま先までをひととおり眺め渡すと、彼女は切田の背中に平手をあてた。


「ちょっと、何してるの? 香久池さん」

「ソフィーって呼んでね」

「……ソフィーちゃん。下手なことはしないほうが……」

「大丈夫よ。任せておいて」


 そう言うと、香久池ソフィアは詩織にウィンクをしてみせた。そして、なぜか見守っているだけの僕にも顔を向ける。


「強くんも、ソフィーって呼んでね」


 そして、ウィンク。

 これは……攻撃力高すぎでしょ……。

 って、あれ? なんで彼女は僕の名前を知っているんだろう。まだ、クラスメイトの自己紹介なんてしてないし……。名簿でも見たのかな。


 香久池ソフィア、いや、ソフィーは切田に向き直ると、フッと息を吐いた。その瞬間、切田の背中に当てていた彼女の平手に、動きはほとんどないものの、すごい力が入れられたように……僕には見えた。


「ソフィーちゃん……何かしたの?」

「……ン」

「あれ、拓実。アンタ、気がついた?」


 切田は頭を上げ、ゆっくりとだが上体を起こした。自分を中心とした騒ぎに理解が追いついていないようで、キョトンとしている。


「拓実くん? こんなところで寝ているとカゼをひくわ」

「……ソフィーちゃん? 俺、どうかしたのか?」

「どこか痛いところはないですか?」

「ン……痛いところ……? なんで?」

「なさそうね。念のため、保健室にいっててもらったほうがいいわ。ちょうど、保健の先生もいらしたようですし」


 ソフィーがそう言うと、まさしく白衣の保健教諭きょうゆが教室に駆け込んできた。


「ちょっと! 倒れて意識がないって聞いたけど、誰? どこ?」

「この子です。切田拓実くん」

「あ、意識は戻ったのね。どう? 立てる? 切田くん」

「お、おう」


 切田はまだ事態を把握はあくしきれていない様子のまま、保健教諭に文字通り、手を引かれて保健室へと向かって行った。久留米・坂上コンビも付き添って付いていく。

 人心地ひとごこちついて大事ない空気が流れると、教室中がワッと湧きあがり、クラスメイトたちがソフィ―を囲みだした。


「すごいね、ソフィーちゃん」

「何したの? ねえ、何したの?」


 みんな、遠巻きで様子を眺めていたのだろう。不思議な介助かいじょほどこしたソフィ―に質問の雨あられが浴びせられる。

 そんな中、ソフィーは悠然ゆうぜんと微笑んでいるばかり。


「ありゃあかなわんね」


 横にいた詩織が、ボソリとつぶやいた。

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