第20話 黒隠 クロル

 黒隠 クロルは、討伐者クラスの女子生徒である。


 通常、討伐者は冒険者の中でも索敵、討伐を主な任務として活動しているが、ここ、テンマナブの討伐者クラスは、『英雄』になれなかった者達の集まりという意味合いが強い。


 そのため討伐者クラスの者達の思考は二つに分かれることが多いのだ。

『英雄』クラスに入るため、もしくは越えるために対抗意識を持つ者か、大人しく『力』にしっぽを振る者か。


 クロルが、正確にいえばクロルが所属する女子グループは、しっぽを振ることにしたグループであった。

 強い者にしっぽを振り、巻かれることは、別に悪いことではない。

『英雄』クラスと組んで試験をすることもあり、その際ご機嫌さえとっておけば楽をすることが出来るからだ。


 実際、『討伐者』クラスだけでダンジョン訓練試験に挑んだ者達で試験をクリア出来なかった者も少なくない。


だから、そう、悪いことではない。


 今、クロルが身を隠し、マイマ達がサキュバスに襲われているのを見ていることは。

 その様子を、『世界樹』製のタブレットで撮影していることは。

 ただ、しっぽを振って、巻かれているだけのことなのだ。


(……はぁ)


 そうやって、何度も自分を正当化してきた理由にクロルは何度目かも分からないため息を心の中で吐く。

 

 マイマ達には伝えていないが、ダンジョン訓練試験が終わり、結果として2位になったことに対して4馬鹿……ドウレ達は怒っていた。

 彼らが言うには、『貧乏人の援護クラスが邪魔をしなければ1位だったのだ』ということらしい。

 ゆえに、援護クラスの中でも特にドウレの拳を止め、オークを倒したマイマとヒヒロに、彼らは怒り、些細な復讐をしようと試みたのである。


 それが、今だ。


 マイマ達を騙し、男性では勝てる者はほとんどいないと言われるサキュバスと戦わせて、その様子を撮影する。

 そんな復讐の内容。

 なお、クロル自身は直接4馬鹿に命令された訳ではない。

 取り巻きの、討伐者クラスの女子生徒たちに命じられたのだ。


 なぜ、クロルだったのか。

 それは、彼女の『アップ』にある。

 物を5センチ動かす『誘導』のほかに、彼女に入り込んでいる『アップ』、『迷彩』。


 そう、彼女は『アップ』を二つ持っている。


『アップ』は、およそ10年に一度、人の体に入り込む特殊な力のことである。

 およそ10年のため、『アップ』が入り込むのにはかなり大きな個人差があるのだ。

 さすがにクロル達の年齢である15から16歳になると『アップ』が入っていない者は人類にはほぼいないが、二つ持っている者は一割程度いる。


 その一割が、クロルである。


(……バレてない。そして、サキュバスが攻撃を仕掛けた)


 空を飛び回るサキュバスを警戒していたマイマ達であったが、急に座り込んでしまう。


『チャーム』の魔法。

 異性に対して、絶対的な力を持っているサキュバスの得意技。

『チャーム』の魔法が成功してしまうと、かけられた者は術者に抵抗出来なくなってしまう。

 そして、『チャーム』をかけた相手に対して、サキュバスがする行動は一つだ。

 その行為を想像し、クロルは思わず赤面する。


(最悪だ)


 悶えそうになるのを必死にこらえ、クロルはタブレットで撮影を続ける。


 クロルの二つ目の『アップ』『迷彩』は、その名のとおり自身を含む、身につけている物を周囲の景色の色と同化させる力である。

 故に、音などは普通に聞かれてしまうため、動くとクロルの存在はバレてしまう。

 クロルはなるべく自分を無にするように努めた。


 乱されてはいけない。

 揺らいではいけない。


 常に新月のような心で、水面に姿を映さない月であれ。


 そうやって、クロルは育った。

 クロルの一族は『ニンジャ』という、炎を吐いたり、水の上を歩いたり、分身したり、そんなスゴい存在の子孫なのだそうだ。

 女性の『ニンジャ』は『くノ一』というらしいが、とにかくクロルもそんなスゴい存在の一族として、修練に励み、己を鍛え続けてきた。


(強くなりたかったから)


 ふっと、なぜだか久しぶりにも思える自分の夢が浮かんできた。


(そういえば、聞かれたな)


 道中、ヒヒロに質問されたのだ。

『クロルはなにをしたいんだ?』と。

 ヒヒロ自身は『星のたまご』をプリンにしたいというよく分からない夢を口にしていたが、なぜかその言葉が耳に残っていた。


『なにをしたいんだ?』


 無にしたはずの、心が波を立て始めた。


(……押さえなくては)


 クロルは努める。

 命じられた任務を完遂するために。

 

 イヤな仕事だ。


 気持ち悪い仕事だ。


 サキュバスの『チャーム』にかけられた男子生徒の『恥』を撮影するなんて、最悪な仕事だ。


 それでも、命じられたのだ。

 自分より強い存在に。


 『ニンジャ』は別の名で『忍』ともいい、自分を消し、誰かに仕える存在だという。

 クロルは二つの『アップ』を持つ、希有な存在だ。

 しかし、強くはなかった。


 入学してから、クロルはその現実に叩きのめされたのだ。

 魔物の討伐訓練で見学した『英雄』クラスの強さは、クロルとは大きな差があった。

 討伐訓練でランク『E』の『レッドウルフ』にさえクロルは手傷を負い、一匹倒すのが精一杯なのに、『英雄』クラスの生徒は5匹だろうとまとめて倒せる。


 マイマ達は4馬鹿と評していたが、ドウレ達でさえ、クロルにとっては十分畏怖し、強さを認める対象なのだ。


(炎を纏う剣を振るい、竜を象った水であらゆるものをなぎ倒す。風の刃が空を飛び、土の壁が魔物を粉砕する)


 それは、クロルが幼い時から聞かされていた『ニンジャ』というスゴい存在そのもののようでもあった。


 だから、ロクオのセクハラにも耐えたし、ドウレたちをもてはやした。

 『ゴブリン』たちのいうことを信じて行動するという愚かな行為にも、従った。

 さすがに『ホワイトオーク』の生け贄にされそうになったときは、これまで隠してきた『迷彩』を使用して逃げたが、そのことも試験の履歴からバレて、そして、今、撮影を命じられている。

 ※なお、『ホワイトオーク』に『迷彩』が通用しなかったのは、『ホワイトオーク』はその豚のような見た目のとおり、『鼻』が良いからである。『迷彩』では嗅覚は誤魔化せないのである。


(強い者に従うのが『忍』だ。偉い人に従うのが『忍』だ。だから、『英雄』に従うのも、『忍』)


 そのはずだ。


 なのに、心が動く。

 波立つ。


『なにをしたいんだ?』


 クロルは、サキュバスをみる。


『チャーム』をかけられた少年の、毛先が青い黒い髪に優しく触れ、微笑む魔物。


 ざわつく、心が。

 クロルは見ていたのだ。

『迷彩』が『ホワイトオーク』に見破られ、金棒の一撃でクロルの意識が朦朧とし、あの醜い豚は汚らわしい舌でクロルの首筋から胸元まで舐めていた。

 その時、壁が壊れ毛先が青い黒い髪の少年が現れて、一瞬の間に『ホワイトオーク』の首に縄を巻き、倒してしまったことを。


 クロルは覚えているのだ。

『ホワイトオーク』がクロルを放り投げた時、沢山の縄が網のようになりクロルの体を守ってくれたことを。


 マイマが、守ってくれたことを。


 クロルははっきりと覚えていた。


 いつの間にか、だった。

 いつの間にか、クロルの手の届く範囲にサキュバスの背中があった。


「カワイイオトコノコ、タベル」


 サキュバスが、マイマの顎を持つ。

 優しく、いやらしく。


 そのサキュバスの首もとには、アザがはっきりと見えた。

『魔人』種特有の弱点。そこを削られると、『魔人』種は消滅する。


(私は……なにをしたい……私は……!!)


 クロルは、サキュバスを撮影していたタブレットから手を離す。

 同時に、両手に矢を持ちサキュバスのアザを切りつけた。


「……っ! ギャァアアアアアアアアア!?」


 サキュバスが絶叫する。


「……浅いっ! それに、なんて固さっ!」


 クロルは一撃で折れてしまった矢を手放す。


 首もとのアザは弱点だ。

 しかし、魔物の皮膚はそもそも通常の生物と強度が違う。

 クロルの矢は、サキュバスのアザを少しだけ傷つけただけだった。


 サキュバスは女性が戦う場合はランク『D』だが、それでも『D』だ。

 つまり、通常の『オーク』と同程度の強さがあるということになる。

 クロルは『E』にも手傷を負い、ゴブリンとの戦いでは遠距離から攻撃しても倒しきれない程度の実力しかない。

 クロルにとってサキュバスは、不意打ちで、弱点を狙っても勝てないほどの強敵ということだ。


 それでも、クロルは逃げなかった。

 マイマとサキュバスの間に立ち、毅然とサキュバスを睨みつける。


「私は……! 『ニンジャ』だっ! 誰にも負けないスゴい『ニンジャ』だ! そんな『ニンジャ』に……私はなるんだっ!」


「クアアアアアア! ガキガ! ブスガキガ! ジャマヲシタナ!!」


 サキュバスは怒り狂っている。

 つい先ほどまで柔らかそうだった腕はミシミシと音を立てながら硬質化し、血管が浮かんだ。


 あの腕で殴られるだけで、首が飛ぶだろう。

 サキュバスが、拳を握る。


 足は震えて、目には涙が浮かぶが、クロルは決して逃げなかった。


「私はっ……!! この人たちを守るんだっ!! 『ニンジャ』だからっ!!」


「落ち着け」


 ポンと、クロルは肩を叩かれた。


 同時に、サキュバスの首には縄が巻かれる。

 縄が高速で締まり、サキュバスのアザを全て削りきった。


「ギ……ギャァアアアアアア!?」


「もう終わっている」


 サキュバスの体が完全に消滅していくのを見ながら、言ったのは、マイマだった。

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