香織

香織が雄二に振られて,夜道を一人で歩いていると,どうにもならないくらい侘しくて,惨めな気持ちに打ちのめされた。


雄二が服部社長のことが好きなのは,もちろん最初からわかっていた。自分には,勝算がないということも,最初からわかっていた。それでも,ダメ元で告白をしてみたのだった。それなのに,どうして,ここまで落ち込むのだろう?


短期間に2回も失恋をしてしまったから?服部社長のような,部下を鼻であしらうような冷淡な女性にすら勝てないから?雄二はあれだけ魅力的だから?どれも,少し違うような気がした。


どんなに考えてもわからないことは、考えない方がいいと気持ちを切り替え,アパート近くの行きつけの小ぢんまりとした居酒屋で,一杯飲んでから,帰ることにした。いわゆる,自棄酒をしようと思った訳だ。馴染みのお店に入り,周りを見回す気力が湧かないまま,しょんぼりとカウンター席に座った。体がこの上なく重たく感じた。


バーテンダーに,「ご注文は?」と聞かれて,初めて顔を上げた。すると,ハッとした。隣席に山崎さんが座っていたからだ。香織は、思わず飛び上がりそうになった。


「どうも。」

山崎さんが無表情で,香織に会釈をした。


香織は、あまり人と話す気分ではなかったが,山崎さんは,ただの知り合いではなく,明日からも,一緒に働いていく仕事仲間だということもあり,流石に,相手をしないわけにはいかないと思った。

「このお店には,よく来られるんですか?」


「いいえ,今日が初めてです。」

山崎さんが答えた。


「そうですか。私は,よく来るんです。」

香織が努めて淡々とした口調で言った。本当は、声をあげて泣きたい気分だった。


「あの後,何かがあったんですか?」

山崎さんが香織の顔を見て,少し心配そうに尋ねた。


山崎さんに心配そうにそう訊かれると、香織は、思わず目を逸らした。

「ちょっとね…。」慎重に喋り出したものの,気がついたら,山崎さんに雄二とのことを一部始終話していた。


「そうだったんですね…。」

山崎さんは、あっけらかんとした顔で,相槌を言った。


「あの人が雄二のことを好きになる訳がないのに…鉄女なのに…。」

香織が嘆き続けた。


「…それは,どうなんでしょうかね…。」

山崎さんは,香織の言うことには、あまり納得がいかない口ぶりで答えた。


「え?山崎さんは、服部社長が雄二のことを好きになる可能性はあると思うんですか!?」

香織は、少し驚いた。


「…すでに気になっていると思いますよ。問題は,自分では,自分の気持ちに気づいているかどうかですね。」

山崎さんが説明した。


「え!?山崎さんは、どうして,服部社長が雄二のことが好きだと思うんですか?」

香織は、納得が行かない。服部社長が雄二に対して,少しも,好きそうな素振りを見せているところを見たことがない。香織から見て,その気配はまるでない。


「僕には,いつも雄二の話をしていますから。愚痴ばかりですけどね。美穂さんの性格を考慮すると,それは好きだと言うことなんでしょうね…気になって仕方がないと思いますよ。」

山崎さんは,小さく微笑みながら,言った。


香織は、山崎さんの考えを聞いて,ハッとした。確かに,服部社長は、雄二の言動を全て注意深く監視し,彼のいい振る舞いに対し,誰より敏感に反応しているように感じる。職場では、雄二は、一番叱られているし,常に注意されている。それは,裏を返せば,服部社長は、彼のことが気になると言うことだというのは,否めない気がした。この点に気づいて,香織は、好きと嫌いは,本当に紙一重の違いなのかもしれないと改めて思った。極端に言えば、怒りは,愛情の裏返しなのかもしれない。


香織は、山崎さんに指摘されて,服部社長の気持ちに気づいて,何故か,気分がウキウキして来るのを感じた。自分と雄二は、どうも,結ばれる運命ではないようだ。しかし,雄二と社長の気持ちが成就する可能性は、皆無ではない。可能性はある。そう思うと,気分が晴れ,応援したくなった。社長に自分の気持ちに気づかせるために,自分には,何か出来ることがないのか,考え始めた。

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