山崎さん
雄二は、次に香織たちと飲む時に,山崎さんを誘ってみることにした。香織は、山崎さんは飲みの誘いにあまりなびかないタイプだと雄二を注意したが,山崎さんは、意外とすぐに,「行きます。」と良い返事をしてくれた。
山崎さんとゆっくり話すのは,面接以来だから,雄二は、あまり緊張しない性格だとはいえ,飲み会が始まる1時間ぐらい前から胃が痛いことに気づいた。ところが,香織たちと駅で合流すると,治った。
山崎さんは、仕事を切り上げてから,少し遅れて参加すると言っていたので,最初は、いつものメンバーで飲み始めた。弘樹と沙智は、珍しく喧嘩中で,沙智は、見るからに,不機嫌だった。理由を尋ねても,二人は周りを巻き込むつもりはないようで,答えなかった。それは、それで,有り難かいことなのだが,二人の間を漂い合う冷たい空気のせいで,山崎さんを歓迎するような雰囲気ではない。
山崎さんは、約束時間から1時間ほど経った頃に,ようやく現れた。仕事に関しては,几帳面で律儀なのに対し,プライベートになると横着するところは、服部社長によく似ているらしい。
「遅くなってしまい,申し訳ありません。仕事がなかなか終わらなくて…。」
山崎さんが額の汗をハンカチで拭いながら,弘樹の隣の空いた席に腰を下ろした。
「いいですよ。何か頼みますか?」
香織が早速メニューを山崎さんに差し出した。
「ありがとうございます。」
山崎さんが香織からメニューを受け取り,小説を読むように,丁寧にページをめくり始めた。
「最近は、大丈夫?怒られていない?」
珍しく弘樹が雄二に話題を振った。
「誰に?」
雄二は、とぼけるわけでもなく,聞き返した。
「例の女性社長。」
「あー,大丈夫!最近,何とか怒りを買わずにやれているよ。」
雄二が山崎さんの顔色を一瞥しながら,答えた。
「そうか。よかった。」
弘樹が相槌を打った。
「山崎さんは、長いお付き合いでしょう?」
香織が山崎さんに尋ねた。
「誰と?」
山崎さんは、会話をあまり聞いていない様子だ。
「社長と。」
「まあね…10年ぐらいになりますかね…。」
山崎さんが何気なく答えた。
「えー!?10年も!?」
雄二が驚いた。
「会社を立ち上げた頃から一緒にやっているからね。」
山崎さんは、みんなが感心する理由がいまいちわからないという顔で,みんなの顔を見つめ返した。
「えー!凄いですね!」
香織がおだてるつもりで,言った。
「あの人とうまくやる秘訣は何ですか?」
雄二が尋ねた。
山崎さんは、うろたえているように見えた。
「そんな難しい人じゃないですよ…余計なことをせずに,真面目に仕事をしていれば,スムーズですよ。」
山崎さんが淡々と説明した。
「でも,素直じゃないところは,ありますよね?言っていることと,考えていることが裏腹というか。」
香織が追求した。
「まあ…そうかも知れないですね。でも…美穂さんは,顔や雰囲気に出るから、言葉にしなくても,何を考えているのか,すぐにわかりますよ。」
山崎さんが社長を庇っているように聞こえる口ぶりで言った。
「えー,そうなんですか?例えば?」
雄二が食らい付いた。
「例えば…。」
山崎さんは,困った表情をして,しばらく黙って考えていた。
「例えば…目を合わせずに,「いいですよ。」と言った時は,本当は、不満に思っているところがある。本当に相手の言ったことに満足している時は,目を合わせてくれる。」
山崎さんがようやく答えた。
「えー!すごい!まるで読心術みたいですね!」
香織がまた感心した。
「そんな難しいことじゃない…。」
山崎さんが謙遜しているわけでもなく,相手の気持ちを言葉だけではなく,雰囲気や仕草から汲み取ることを当たり前と考えている様子だった。
雄二は、この人は社長のことを本当に理解できていると感心すると同時に,自分は理解したくても,全く理解できていないと少ししんみりした。でも,一人でも,社長のことがわかっている人を見つけて,少し救われたような気持ちにもなった。
「山崎さんなら、社長を幸せにできるでしょうね…。」
雄二が自分の考えていることをそのまま呟いてしまった。
「えー!?」
山崎さんも,香織たちもみんな一斉にびっくりした反応を見せた。
雄二も,自分の発した言葉ながら,自分に少し驚いた。でも,どうしても,山崎さんが社長のことをどう思っているのか,聞き出したかった。
すると,山崎さんは、驚きから立ち直り,言った。
「どういう意味で言っているのかよくわからないが,美穂さんは、僕にとって,娘みたいなものです。世間のことをよく知らないまま,一人で会社を立ち上げ,壁にぶち当たり,どん底に落ち,一層強くなって,そこから這い上がって来る彼女の様子を,僕が見守って来ました。尊敬していますし,大事に思っています。でも,恋愛感情はありません。そういう関係ではありません。」
みんなは,山崎さんの言葉を聞いて,雄二の反応を見たが,雄二は、
「そうですか。」としか答えなかった。
帰り道,雄二は、いつも通り,香織と二人だった。
「少し訊いていいかな?」
香織が長い沈黙を破り,切り出した。
「何を?」
「あんなこと言って,山崎さんの気持ちを確かめて…やっぱり社長のことをまだ思っているの?まだ追いかけるつもりなの?」
香織が悲しそうな表情で,雄二に問いかけた。
「自分でも,よくわからない…。」
雄二が俯いて,呟いた。自分の居酒屋での発言にはいまだに驚いていたし,自分でも自分の気持ちがよくわからなくて,スッキリしない気持ちだった。
「…そろそろ決めてくれないかな?」
香織が涙目で言った。
「えー!?」
雄二が香織の意外な言動に腰を抜かした。
「こんなにあなたのことを思っている人がすぐそばにいるのに、いつもあの見向きもしてくれない人ばかり追いかけて…待っている私は,辛い。」
香織が涙ぐみながら,言った。
「えー!?僕に対して,そういう気持ちは微塵もないって言ったんじゃないですか!?何,今更!?」
雄二は、困惑し,狼狽した。
「バカね。女は,本命の人について,いつもそう言ってごまかすの。」
香織が小さく笑いながら言った。
「そんなの,狡いじゃん!」
雄二が怒りが込み上げて来て,怒鳴った。
「ごめんね…でも,そろそろ選んで欲しい。やっぱり,私では,ダメですか?」
香織が真剣な顔で,返事を求めて来た。
雄二は、まごつき,途方に暮れた。香織には,自分には好意がないと,割と早い段階で告げられたから,恋愛対象で見てもいなかった。ただの飲み友として,仕事仲間として付き合って来た。それなのに…。
しかし,何か返事をしないといけない。
「…僕は、香織さんを友達と思っている。」
雄二は、辛うじて香織に聞かれるぐらいの声で呟いた。
「やっぱり,そう?」
香織は、少しだけガッカリしたように,しかし,最初から雄二のその返事を予想していたように,軽く肩を落とした。
「じゃ,私は,これで割り切れたから,これからも,いい「友達」でいようね。」
香織が無理して笑顔を作っているような,謎の表情で言ってから,雄二に背を向け,たったっと早足で歩き去った。
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