第二章(2)

 魔術師といえば、人々の治安を脅かす者とたいしたり、高度な治癒魔法で病める人々に癒やしを与えたりと、華やかな印象があるが、初めはやはり地味な基礎から手を付ける。

 昨日の午後は各科目の評価基準等の説明を受け、三日目の今日から本格的な授業が始まったわけなのだが、流石は名門の魔法学園と言うべきかどの授業も非常に面白い。


「皆さんはもうご存知とは思いますが、魔法の発動の際には、自身の魔力を自分の周り、または対象物に纏わせるイメージが大切です。首筋から溢れる魔法香を手や指先に巡らせながら、周囲に香らせると言ったほうがわかりやすいでしょうか」


 今は魔法の基礎中の基礎を学ぶ、「魔法概論」の時間だった。

 魔法概論を担当しているのは、二日目に学園を案内してくれたリネット先生だ。厳格な雰囲気を持つ初老の女性で、アステリアの魔術師らしい。


「私たちが使う魔法には、主に三つの種類があります。誰もが使える共通魔法、アステリアの魔法、そしてエルリクの魔法です」


 リネット先生は魔法でチョークを浮かせ、黒板に三種類の魔法の名称を書き付けながら、教壇の上に飾られていた空のランタンに手をかざす。

 間もなくして、色ガラスのはめ込まれたランタンに火がともる。赤や青といった派手な色があたりに淡く散っていた。

 かすかに香った甘いいちごの香りは、リネット先生の魔法香なのだろう。どちらかと言えばきつい印象を受ける見かけによらず、とてもわいらしい香りだ。


「共通魔法は、挙げればきりがありません。今、このランタンを灯したのも、チョークを浮かせているのもすべて共通魔法です。要はアステリアの魔法とエルリクの魔法以外のすべての魔法が、ここに分類されるというわけです」


 日常的に使うのは、専らこの共通魔法だった。国民のほとんどが共通魔法だけで生活していると言ってもいい。


「アステリアの魔法は、守護と治癒の魔法です」


 リネット先生は、教壇の下から飾りのついた鳥籠を取り出した。中にはぐったりとした様子のすい色の小鳥が横たわっている。


「ちょうどエーギル先生からこの小鳥の治療を請け負っていますので、お見せしましょう。さあ、皆さん、見えるところまで近寄って」


 リネット先生の声に、後ろの座席についていた生徒から順にみんなが立ち上がり、教壇の周りに集まった。私も彼らの隙間から、先生の魔法を何とか覗き込む。

 小鳥を手に乗せた先生は、まるで祈るようにまぶたを閉じ、長い指先で小鳥の背中を撫でた。よく見ると、その部分に怪我をしているようだ。

 再び苺の香りが漂った。今度は先ほどよりも強い香りだ。ランタンを灯すよりも多くの魔力を使うあかしなのだろう。

 瞬く間に、小鳥が白い光に包まれる。木漏れ日のような、優しく温かい光だった。

 光が収まると、小鳥がもぞもぞと動き出し、やがて勢いよく飛び始めた。

 翡翠色の羽をはばたかせて講義室の天井付近を舞うその様は、何とも健やかで美しい。先生は私たちと共に、どこか安心したような様子で小鳥を見守っていたが、やがて説明を再開した。


「先ほどの光を見ましたか? 魔法が発動した際に光を発するのは、アステリアの魔法とエルリクの魔法──つまり属性魔法だけなのです。属性魔法と共通魔法は、光の有無で簡単に見分けられるというわけですね。ちなみにエルリクの魔法が発動した際には、夜の闇のような黒い光が確認できます」


 黒板の前に浮かんだチョークが、今の話の要点を書き留めている。先生が小鳥にアステリアの魔法をかけている最中も、チョークは動き続けていた。同時に二つ以上の魔法を行使するためには、対象物への意識の分散の仕方にコツがいる。高等な技術だった。


「一般的には、共通魔法よりも属性魔法のほうが魔力量の消費が大きいとされています。もっとも、これは訓練次第ではありますが……。皆さんはくれぐれも、魔力が枯渇して眠りこけるなんて無茶な真似はしないでくださいね」


 魔法を行使するためには魔力が必要になるわけだが、消費された魔力は良質な睡眠で回復する。逆に言えば、魔力が枯渇するような事態になると、意識を失うように深く眠ってしまうのだ。その場合は、ある程度魔力が回復するまで目覚めることはない。

 もっとも、平穏にまともな学園生活を送っている分には、先生がくぎを刺さずとも魔力が枯渇するような事態には陥らないだろう。


「どんな魔法を使うにせよ、なるべく心を穏やかに保つことが大切と言われています。感情の乱れが魔力の乱れに繫がると主張している学者もいるくらいですから。白熱しすぎると思いがけない魔法が発動することもありますので、よくよく注意するように」

「先生」


 良く通る声で呼びかけたのは、グレースだ。教壇の周りに集まっていた生徒たちの視線が、彼女に注がれる。


「共鳴魔法についてはご説明くださらないのですか?」


 優雅な微笑みと共にグレースが問いかければ、リネット先生は感心したように何度か頷いた。


「もちろん、いずれお話しするつもりですよ。共鳴魔法をご存知だなんて、予習に励まれているようですね」


 共鳴魔法。何となく存在だけは知っている。香りが似ている魔法使い同士の魔法が同時に発動すると、稀に共鳴し合い、強大な威力を発揮するとかしないとか。

 それ以上のことは知らず、早速ユリシーズの双子との差を思い知らされた。私ももっと努力しなければ。


「魔法香については、いずれ魔法調香のエーギル先生から詳しいお話があるでしょう。今日の魔法概論はここまでにします」


 先生の一声で、生徒たちは五月雨式にばらばらと自席に戻り始めた。私も板書の書き付けを終わらせるべくきびすを返したのだが、私の行く手を遮るように佇むルグと目が合ってしまう。

 何のつもりだろう、と視線だけで問いかければ、ルグは面白いものを見たと言わんばかりに口もとを歪ませ、自身の右肩を指先でとんとんと叩いた。


「そいつは連れて帰るのか?」

「え?」


 まさか、虫でもついているのだろうか。りんぷんが発光するでもついていたらどうしよう、と恐る恐る右肩に目をやる。

 だが、とんだ気苦労だったようだ。そこには想像よりずっと愛らしい客人がいた。先ほどの翡翠色の小鳥だ。腰まである私の長い髪をつついたり、んだりしている。


「……髪なんか食べてもしくないよ」


 元気になった途端いたずらを始めるなんて、お転婆な小鳥だ。そっと背を撫でてやれば、小鳥は髪からくちばしを離し、小首をかしげてくりくりとした丸い目を向けてきた。

 かと思えば髪の中に潜り込み、首筋にすりすりと羽を寄せてくる。あまりにくすぐったくて、思わず声を出して笑ってしまった。


「あはは、くすぐったいよ。早く出ておいで」


 小鳥からは、甘いような苦いような不思議な香りがする。首筋をくすぐるように動き回る小鳥を何とか手に乗せようと画策しながらも、つかの癒やしを得ていた。


「まったく……飼い主に似て見境のない小鳥だこと」


 はあ、と悩ましげな溜息が漏れ聞こえてきて、はっと顔を上げる。いつの間にか、私たちの傍には鳥籠を手にしたリネット先生がいらっしゃった。


「キューンヒルト! 悪戯していないで戻ってきなさい。エーギル先生に言いつけますよ」


 𠮟るような口調に、首筋に纏わりついていた小鳥がびくりと震えた気がした。言葉がわかっているような反応だ。魔術師が従える動物には知性が宿ると言われるが、この小鳥もそうなのかもしれない。

 それにしてもキューンヒルトとは、ひょっとしなくともこの小鳥の名前なのだろうか。随分大層な名前だな、と思いながら、私は小鳥にもう一度手を差し伸べる。


「キューンヒルト、先生がお待ちしているよ。おうちに帰らなくちゃ」


 名を呼べば、おずおずとキューンヒルトが手の甲に飛び乗って来た。そのままリネット先生が差し出す鳥籠の中に手を入れる。

 キューンヒルトはまるで指先に口付けるような調子で一度だけ私の薬指をつつくと、籠の中の止まり木におとなしく飛び移った。何だかな小鳥だ。


「手のかかる小鳥だこと……。迷惑をかけましたね」


 リネット先生は籠の扉を閉めながら、もう一度溜息をついた。返事の代わりに微笑みながら小さく首を横に振れば、先生の目が細められる。


「……この鳥は飼い主に似て、甘い魔法香を持つ女性に目がないのです。あなたは特別甘い香りがしますからね……くれぐれも首筋にみつかれないよう、注意してください。──小鳥にも、エーギル先生にも」


 それでは、と告げて遠ざかるリネット先生を見送った後、ルグと私はどちらからともなく顔を見合わせてしまった。

 首筋は最も魔法香を感じられる部位だというが、香りを求めるあまり人の首筋に嚙みつくような変人がこの学園にいるのだろうか。

 若干の不安を感じて、自らの首筋に手を当ててみる。エーギル先生とやらが、あの小鳥よりも節操がないなんてことはありませんように、と密かに願いながら。

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