第二章

第二章(1)

 いよいよ、本格的な学園生活が始まる。

 フォルトゥナ魔法学園は、アステリアの科とエルリクの科に分かれているが、基本的に科別演習と呼ばれる属性別の授業以外のときは、両科の生徒は行動を共にする。

 二日目の午前は学園内の案内が主なようで、今はその真っ最中だ。昨日発表されたばかりのオルコスで何やら話し込みながら歩いている生徒が多かった。

 その中でも、やはりユリシーズの双子は目を引いた。

 冷静で優雅な姉グレースと、お洒落で快活な弟ノイシュ。性格だけを見れば気の合わなそうな二人だが、不思議と二人は上手く調和していた。これが双子というものなのだろうか。

 ユリシーズの双子の周りには、彼らの友人なのか取り巻きなのか判断のつかない生徒たちが大勢いて、双子がいかに慕われているのかがよくわかる光景だった。

 一方でルグと私の周りはというと、魔法障壁でも張られているのではないかと思うくらいに人がいない。先生が立ち止まって廊下に飾られた絵画について説明しているときも、あからさまに私たちは避けられていた。

 もっとも、ただでさえ魔法香で目立つのに、双子に敵視されていてはこの現状も無理はないかと思われた。逆の立場であれば、私だって遠巻きに眺めていた気がする。

 隣では、ルグがぼんやりと廊下の壁に飾られた巨大な絵を眺めていた。世界樹伝説と天使アステリア、死神エルリクを描いた絵画らしいが、美術に造詣の深くない私には先生の白熱した説明の半分も頭に入ってこない。

 この学園は、至るところにこうした美術的価値のある装飾が施されているらしい。学園を建設したのは大昔の王侯貴族だというから、実用的でない飾りがあることにも納得だ。

 学園は、アトリウムと呼ばれる空間の周りを囲むように校舎が建っている。非常に開放的な作りで、アトリウムは連絡通路を通じて植物園にも繫がっているらしい。緑豊かで広々としたアトリウムは、日常的に生徒の憩いの場となっているようだ。


「ああ、上級生の姿が見えますよ。あれはエルリクの科の生徒たちですね」


 大きな窓が並ぶ廊下で、私たちを先導していた教師が立ち止まり、外を見やった。

 学園の外には、植物園の他に訓練場があると聞いていたが、今まさに上級生たちが演習を行っている最中なのだろう。裾の部分に銀の蔓草模様が刺繡された漆黒の外套を纏う数人の生徒たちが、すなぼこりを上げながら模擬的な戦闘を行っていた。

 フォルトゥナ魔法学園では、学年ごとに外套の刺繡の色が異なる。私たち一年生は金、二年生は蒼、三年生は紫、四年生は銀で色分けされていた。訓練を行っている上級生たちの外套には銀糸で刺繡が施されているから、最高学年の四年生なのだろう。道理で魔法が高度なわけだ。

 破壊の魔法を駆使し、物を破壊したり直接相手を傷つけたりする光景は、授業とはいえなかなか鬼気迫るものがあった。その場にいればきっと、あらゆる魔力が混ざり合う香りを感じられただろう。


「あっ……大変、怪我をしたわ!」


 窓の外を食い入るように見つめていた生徒の一人が声を上げた。建物の中からでもわかるくらいに、ある生徒の左腕から血が出ている。

 血は苦手だ。どうしても三年前のあの悲劇を思い出してしまうから。

 誰にも動揺を悟られぬようぎゅっと手を握りしめ、窓の外の光景を見守っていると、間もなくして白い外套の生徒が駆け寄ってきた。どうやら負傷した生徒の治癒を行うようだ。


「科別演習のときも、こうしてオルコスの相手を呼んで協力してもらうことがあります。まあ、エルリクの科の生徒が負傷した場合に、相手のアステリアの生徒を呼ぶことがほとんどですが」


 先生の言葉に、自然と並び合っていた各オルコスは頷き合ったり、よろしく、と今から頼み込んでいたりと各々反応を見せた。


「姉さんが怪我をしたらいつでも呼んでくれ。まあ、姉さんを傷つけられるような奴はそうそういないだろうけど」


 生徒の中心にいたノイシュがグレースの肩を叩く。グレースは優雅に口もとを緩めて小さく頷いた。微笑ましい姉弟愛だ。

 私もルグが負傷したときには呼ばれたりするのだろうか。考えるだけで頭が痛くなる。


「『ヴィア』も『兄様』の怪我を治してくれるよな?」


 当たり前のように隣を陣取るルグが、からかうように告げる。これには苛立ちを隠しきれず、私はほとんど反射的にルグを睨みつけていた。


「……そう呼ばないでって言ったでしょう」


 愛称で呼ばれると、どうしたって彼と兄妹ごっこをしていた日々が蘇ってしまう。アルが死んだあの日から、私は彼に愛称で呼ぶことを許していない。

 だが、ルグは余裕たっぷりな笑みを見せたかと思うと、茶化すように軽く首をかしげる。ちらりと覗いた首筋のチョーカーが目障りで仕方なかった。


「手厳しい再来様だ」

「もう黙って」


 ルグと私の不穏な空気が伝わってしまったのだろう。周囲の視線がちらほらとこちらに向けられるのを感じ、無理矢理ルグとの会話を終わらせた。

 昨日で既に悪目立ちしてしまっているのだ。これ以上、避けられてはたまらない。

 その後一通りの学園案内が済むと、長い昼休憩になった。午後からはいよいよ授業が始まる。


「ユリシーズ様、ご一緒してもよろしいですか?」


 早速ユリシーズの双子の周りには、人だかりができていた。彼らはきっとアトリウムにでも行って、賑やかに昼食を摂るのだろう。

 他の面々もオルコスでアトリウムへ向かったり、友人らしき数人の集団で売店を目指していたりと各々自由な行動をとり始めた。

 これから共に学園生活を送るオルコスで親交を深めるのが自然な流れなのだろうが、休み時間までルグと顔を合わせる気はない。ましてや私を「ヴィア」と呼んでからかった後のルグなんて。

 私は何も言わずにルグのもとから離れて、売店が並ぶアトリウムと校舎の渡り廊下へ向かった。上級生の中には寮に戻って自炊する人もいると聞いたけれど、生憎私はそこまで器用ではないのだ。

 混雑の中で小さなパンを買い、紙袋を抱えてアトリウム傍のひとけのない階段に座り込む。

 アトリウムからは、華やいだ笑い声が聞こえてきた。ガラス張りの天井からは麗しい陽の光が降り注いでいたが、私の居る場所は影になっていて、長いスカート越しでも床が冷たかった。

 幸いにも買ったばかりのパンは温かくて、紙袋から少しだけ取り出してかじりつく。朝食と夕食は寮で食べられるらしいから、昼は適当でも体に障りはないだろう。

 バターの香りが立ち昇る柔らかなパンを、黙々と口にする。

 昔はアルが、よくパンに蜂蜜を塗ってくれたものだ。上手く食べられないと手がべとべとになってしまうけれど、甘くて、優しい香りがいっぱいで、幸せの味がした。

 ルグは手を汚さずに食べるのが得意で、私はあのころからよくからかわれていたのだっけ。アルはそんな私たちを、いつもにこにこと見守っていて──。

 きりきりと痛み出した胸にはっとして、思い出の海から慌てていずり出る。懐古の情に浸るばかりではいけないとわかっているのに。

 はむ、と力ない一口でパンに齧りつく。少し冷め始めているのか、先ほどより味気なく感じた。

 アルと「ルグ兄様」を失ったあの日から、私の心にはぽっかりと大きな穴が空いたままだ。アルのお墓にお花を供えることができたら、少しは気持ちに整理がついて、心の穴も塞がってくれるのだろうか。ロイドさんの言う通り、完全にとは言わずともこの悲しい過去を忘れ去ることができるのだろうか。

 それを確かめるためには、何としても試験で双子を打ち負かして、ご褒美の権利を勝ち得なければならない。午後からの授業に全力で取り組まなければ。

 パンを口に押し込みながら一人意気込んでいると、偶然にもアトリウムから出てきたらしいユリシーズの双子の姿が見えた。

 魔術師の名家に生まれ、人望も厚く、誰からも尊重される彼らはやっぱり眩しい。本当に私たちが彼らに勝てるのだろうか、とぼんやり眺めていると、かなりの距離があるというのに、グレースがこちらに振り向いた。

 ばっちりと目が合ってしまった。視線を逸らすのも妙なので、軽く手を振ってみようかと思ったが、勇気が出ず、曖昧に微笑むにとどめた。

 グレースは不快なものを見てしまったと言わんばかりに、ふい、と顔を背けると、取り巻きの中から飛び出すようにさっさと歩き出してしまった。

 その様子を不思議そうに見つめていた取り巻きたちだったが、ほどなく私の存在に気づいたらしい。

 彼らは私を見るなり顔を寄せ合うと、何やら囁き合って笑った。その光景に、ちくちくと心の柔らかいところを刺されるような感覚を覚えたが、慣れている。珍しい蜂蜜の香りがする私は、孤児院でもああして陰口を叩かれていたものだ。

 ……あのころは、ルグ兄様が庇ってくれていたけれど。

 またしてもルグのことを思い出してしまい、はあ、と盛大な溜息をつく。お昼休憩の間くらい、彼から解放されたいのに。

 その直後、こちらを見てにやついていた生徒たちの表情が、一瞬にして凍りついた。溜息をついた姿が柄悪く見えただろうか。

 それにしては大袈裟な反応だ、と階段に座り込んだまま、膝に肘をついて彼らを見ていると、ふと、すっと鼻を抜けるような爽快感のある香りが漂った気がした。

 嗅ぎ慣れたこの香りは、ペパーミントだ。

 とつに振り返り、ルグの姿を探すも、階段に私以外の人影はない。

 先ほどまで、近くにいたのだろうか。私が陰口を叩かれているタイミングで現れるなんて、まるで昔の「ルグ兄様」みたいだ。

 そこまで考えて思わず、自嘲気味な笑みがこぼれる。我ながら寂しい笑い方だった。

 妙なことを考えてしまったものだ。「ルグ兄様」はもう、どこにもいないというのに。

 パンを入れていた紙袋をくしゃりと握りつぶして、階段を後にする。

 気のせいだとわかっていても、ペパーミントの香りが後を引くように纏わりついている気がしてならなかった。

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