第一章(3)


 フォルトゥナ魔法学園は全寮制の学園だが、入学初日はよほど遠方の生徒でない限り実家に帰るのが習わしだ。ルグと私に家と呼べる場所は既になく、この三年間は双塔で暮らしていたため、今日も仰々しい塔の中へ足を踏み入れる。目指すは保護者であるロイドさんの執務室だ。

 双塔は、その名の通り純白と漆黒の二つの塔がそびえたつ魔術師の中枢機関だ。白い塔はアステリアの塔、黒い塔はエルリクの塔と呼ばれ、それぞれの属性の優秀な魔術師が働いている。

 ロイドさんは、二つの塔の調整役を務める上級魔術師だ。ロイドさん自身はアステリアの魔術師だが、仕事柄どちらの属性の魔術師とも付き合いがあるため、属性の違うルグと私の保護者として適任だという話になったらしい。


「失礼いたします」


 学園の外套を纏ったまま、執務室の扉をくぐり抜ける。学園指定の外套姿を見せるのはこれが初めてだ。


「ああ、来たのか」


 夕暮れの窓を背にして、ロイドさんは執務机に向かっていた。彼の灰色の髪が、夕焼けに染まり橙色を帯びている。


「どうだった、学園は」


 ロイドさんは目を通していた書類を置いて、入室したルグと私をまっすぐに見据えた。いつでも姿勢正しく律儀な彼は、お堅いと評されることも多いようだが、私は彼の誠実さを好ましく思っていた。


「退屈そうな場所だ」


 ルグは黒の革紐でできた細いチョーカーを外すと、ロイドさんの執務机の上に置いた。


「そう言うな。簡単に入れる学園じゃないんだぞ」


 ロイドさんはチョーカーを手に取り、まじまじと点検し始める。たっぷり数十秒をかけて確認してから、そっとルグの前に戻した。


「……問題なさそうだ。このまま使いなさい」


 見慣れた光景だった。この三年間、幾度となく繰り返されたやり取りだ。

 ロイドさんいわく、このチョーカーはルグの魔力出力をある程度抑え、魔力の乱れを正す効果のある魔法具らしい。魔法香は首もとから香るので、香り自体を制御することで一度に使われる魔力を抑制しているらしいが、規格外の香りが溢れ出した際にどの程度の効力があるかは不明だと言っていた。

 要は気休めのような代物なのだが、今のところ三年前の凶行のような魔力の暴走は起こっておらず、つけないよりは遥かにましだろうということでルグに支給されているものだった。

 魔力を抑制する類の魔法具は、術式がアステリアの魔法によるものとエルリクの魔法によるものとで二種類あり、自分とは別の属性で仕掛けられた魔法具を使うことで、より効果的に魔力が抑制されると言われている。

 その例に漏れず、ルグのチョーカーはアステリアの魔法を仕掛けることで効力を発揮するものだった。そのため、今はアステリアの魔術師であるロイドさんが管理しているが、私が魔法具を作れるようになった暁にはその役目を引き継ぐことになっている。

 正直、このチョーカーを見るたびに三年前の凶行を思い出してしまうので、私はあまり好きではなかった。いまだにチョーカーを見ると、不自然に視線を逸らしてばかりいる。どこか陰のあるルグの雰囲気に良く似合っているのだが、できればシャツの下にきちんと隠しておいてほしいものだ。

 ルグはチョーカーを受け取り、慣れた手つきで身につけると、執務机のそばに置かれたソファーに腰を下ろした。気だるげに伸びをした後、背もたれに身を預けておおためいきをつく。


「それで、お前たちはオルコスだったのだろう?」

「……ええ、誠に不本意ながら」


 思わずルグを睨みつけながら答えるも、彼にはまったく効いていないようだ。私に睨まれるのなんて日常茶飯事だと思っているのだろう。


「なんだかんだ言って、オルコスで過ごす時間は楽しいものだぞ。私も未だに学園時代のオルコスの相手とは親しいんだ」

「相手がルグじゃなければ楽しかったと思います」


 それに、とたまらず私は執務机をばんと叩いてロイドさんに詰め寄った。


「ルグが、学年でいちばん人気のある双子を挑発したんです! しかも私たち、その双子に妙に敵視されていて……」


 愚痴のような報告になってしまうが、ロイドさんに聞いてほしくて仕方なかった。ルグのせいで、入学初日からとんでもない居心地の悪さを覚えたのだ。


「まあ、お前たちはどうしたって、人の注目を集める存在だからな」


 まるで逃れられない呪いのようだ。この身に纏わりつく甘ったるい蜂蜜の香りに、何度翻弄されてきただろう。


「それにしても、双子か……」


 ロイドさんは顎に手を当てて何やら考え込む素振りを見せると、それほど間を置かずに私に問いかけた。


「その双子は、ユリシーズという姓じゃなかったか?」

「ええ……私の記憶を覗いたのですか?」


 記憶を盗み見る魔法は高度だが、ロイドさんならばたやすく使えるだろう。だが彼は苦笑を滲ませて首を横に振った。


「いくら私がお前たちの保護者だからといって、そこまでしつけはしない。でも、そうか、ユリシーズのところの双子か……」

「知り合いなのか?」


 ルグがソファーの背もたれに頭を預けたまま、顔だけをロイドさんの方へ傾ける。


「お前たちも知っているだろう。ユリシーズと言えば、双塔の魔術師長夫妻の家だぞ」

「魔術師長の……!」


 言われてみれば心当たりがあった。現在のアステリアの塔とエルリクの塔の長は、夫婦なのだ。国内最強の魔術師夫妻とうたわれている。

 それであの双子の人気にも納得がいった。魔術師長は魔術師の憧れの的だ。その魔術師長夫妻の娘と息子となれば、周りが放っておくはずもない。

 魔法は遺伝がすべてではないが、やはり優秀な魔術師を多く輩出する家というものはある。ユリシーズ家はまさにその良い例だった。


「名家のお嬢様とお坊ちゃんに、どこの馬の骨とも知れぬ俺たちが気にかけていただけるとは、光栄だな」


 皮肉めいた冗談交じりにルグは笑って、テーブルの上に置いてあった砂糖菓子を口にした。星の形をしたこの砂糖菓子は、「ほしくずのかけら」と呼ばれていて、魔術師の必需品と言っても過言ではないほど人気のあるお菓子だ。


「ユリシーズの双子に意地悪をされたのか?」


 ロイドさんは何気ない風を装って尋ねたが、私たちを案じているのが伝わってくる。特殊な魔法香を持って生まれた私たちがまともな学園生活を送れるか、気にかけてくれているのだろう。


「……意地悪と言うほどではありません。ただ、夏休み前の試験で必ず勝つ、と一方的に宣言されただけで」


 わざわざ私たちをけんせいせずとも、双塔の魔術師長を両親に持つ双子ならば難なくいちばんになれるのではないだろうか。それにもかかわらず、わざわざ絡んできたあたり、私たちは相当嫌われているらしい。


「それで? お前たちは何と返したんだ」


 ロイドさんは話の続きを待つように耳を傾けてくれているが、私はただ首を横に振った。


「特に何も。嫌われてるなあ、と思っただけです」


 ロイドさんはげんそうに眉をひそめる。


「張り合いがないな。あいつらに勝ってみよう、くらいの気概があったほうが、学園生活は楽しいぞ」


 確かにそれは一理あるのだろうが、最悪の幕開けを迎えたせいかそんな意欲も湧いてこない。思っていたより影響力のある人物に敵視されている現状に、夢見ていた学園生活がより色濃い灰色に染まっていく気がした。


「わざわざ勝つと言葉にしなくともいい。試験ではやるだけのことをやって、双子を打ち負かしてみなさい」

「ロイドにしては珍しいな。何か理由でも?」


 ルグが星屑のかけらをつまみながら、片手間に追及する。確かに争いごとを好まない穏やかなロイドさんにしては珍しい発言かもしれない。

 ロイドさんは椅子にもたれかかり、僅かに私たちから視線を背けると、ぽつぽつとつぶやいた。


「いや……アステリアの魔術師長が、いつも子どもの自慢ばかりしてくるからな。私だって、こんな優秀な弟子を育てているのだと見せつけてやりたいじゃないか」

「ロイドさん……」


 アルの一件があって、流されてここにやって来た私たちを半ば押しつけられた形なのに、彼は私たちを弟子と考えてくれているのだ。

 それについてはじんわりと胸が温かくなる気がしたが、だからと言って私たちを使って勝負を仕掛けられても困る。


「まあ、それは半分冗談だとして……お前たちが意欲的な学園生活を送るためにも、ユリシーズの双子に勝つことを目標にするのは、そう悪いことじゃない」


 ロイドさんは再び私たちのほうへ向き直ると、ふっと口もとを緩めた。


「双子に勝ったら褒美をやる、と言えば少しはやる気になるか?」

「ご褒美、ですか……」

「そこまでして欲しいものはないな」

「私も特にこれと言って……」


 もともと孤児院で食事にありつくこともままならないような生活を送っていた私たちは、あまり物欲がない。衣食住が満ち足りていれば十分だ。


「元の家を訪ねる許可を出す、と言っても?」


 口々にああだこうだと述べていた私たちだったが、その一言で凍り付いてしまった。

 元の家。それはもちろん、アルとルグと暮らしたあの小さな隠れ家のことだ。血にまみれてしまった、幸せの名残が眠る場所。

 今、足を踏み入れれば、あの絶望を思い出してしまうかもしれない。

 それでも、私はずっと訪れてみたかったのだ。家の傍には、双塔の魔術師たちが作ってくれたアルのお墓もあると聞いている。彼が眠る場所に、お花を供えに行きたかった。

 しかし、今まではあの家に行きたいと申し出たところで、危ないから駄目だの一点張りだったのに、一体どういう心境の変化なのだろう。


「……お前たちももう、学園に通い始めたからな。少しくらいの自由はあってもいいだろう。ユリシーズの双子に勝つ実力があれば何も問題ない」


 ロイドさんは私の考えを見抜いたように微笑む。一方で、ロイドさんの穏やかさとは裏腹に、ソファーから鋭い気配を感じて思わず身震いをした。


「あの家に? 冗談じゃない」


 ルグは大きな足取りでこちらに歩み寄ると、私の隣を陣取るようにしてロイドさんを睨んだ。ただでさえ目つきの鋭い彼が睨むと、こちらまで身がすくみそうだ。

 だが、ロイドさんは少しも戸惑うことなく、静かな灰色の瞳でルグを見返した。


「私は本気だ。お前にとってもいい機会だと思う。……二人とも、そろそろ過去にとらわれるのはやめにしなさい」


 ロイドさんの言葉に、ざわざわと心が波立った。

 ロイドさんはきっと、私が今もルグを許していないことに気づいているのだ。表面上どれだけ自然に接しようとも、叶うならルグを殺してしまいたいと思っている。その気持ちは学園に入学した今もやっぱり薄れない。

 私が、破壊の魔法を操るエルリクの魔術師だったのなら。

 そうしたら、ルグに痛みを与えられるだろうか。あの日のアルと同じくらいの、残酷な最期をくれてやることができるだろうか。

 きっとルグだって、私が本当は許していないことに気づいているだろう。それでも私の傍から離れようとしないのだから、厄介な人だ。


「……わかりました。ユリシーズの双子に勝ったら、あの家に行く許可をください」


 ルグのことは別として、アルのお墓にお花を供えに行きたいという強い思いがある。勝ったご褒美としてその許可がもらえるのならば、ぜんやる気が湧いてきた。


「約束しよう。頑張ってみなさい」


 ロイドさんはルグと私それぞれに笑いかけ、それから星屑のかけらが詰まった袋をくれた。ルグは最後まで納得していない様子だったが、反論することはやめたようだ。

 その後、ロイドさんの仕事に一区切りがついたのを機に、双塔の食堂で共に夕食をった。ルグはともかく、ロイドさんと他愛もない話をできるのが楽しくて、あっという間に時間が過ぎてしまった。

 夕食を終え、湯浴みを済ませた後、私は塔の中に与えられた私室で横になった。私室はロイドさんの部屋、ルグの部屋、私の部屋という並びで、ベッドとちょっとした書き物ができる程度の机があるだけの質素なものだったが、暮らすには十分だった。

 ロイドさんは王都の外れにしきを持っているそうなのだが、めったに帰ることはない。家族とあまり仲が良くないらしい。

 ルグと私が双塔に住んでいるのは、屋敷に帰りたがらないロイドさんに倣ってという形ではあるのだが、おそらく特殊な魔法香を持つ私たちを魔術師たちの監視下に置きたい、という意図もあったのだろう。ここでなら、どんな暴走が起こってもすぐに対処できるのだから。

 正直に言って、双塔にはロイドさんとの触れ合いを除いてあまり良い印象はない。アルを失った後のルグの不安定さや、ルグを許すよう求める大人たちの言葉がよみがえって、安寧を得るには因縁が多すぎる場所だった。

 だから、この私室を去ることにさほど抵抗はない。むしろ一刻も早く学園の寮へ移りたかった。寮は科毎に分かれているため、少なくとも今のようにルグと隣り合わせの部屋という事態にはならないのだから。

 翌朝、早めの朝食の後にロイドさんに別れを告げ、私たちは第二の家と言うには仰々しい双塔を後にした。


「しばらくはこの道を見ることもないな」


 ルグは歩みを止めることなく、ぽつりと呟いた。この三年間、積極的に双塔から出たことのない私たちだが、それでも周囲の道には親しみがある。


「そうだね」


 家としてはめなかったけれど、思い入れのある場所とは言えるのかもしれない。帰りたい、と思えるかは別にして。

 ルグも帰る家を望んだりするのだろうか、と考えてやめた。憎い彼の心情を思いやってあげる必要はない。


「お前は、学園でも俺から逃れられなくてあわれだな」


 ルグはなんてことない調子で呟いた。私も自分で自分が可哀かわいそうだと思うが、それをいざ憎い相手から指摘されると、なんと返せばよいのかわからなくなる。


「……今日からは、ユリシーズの双子を挑発するのは禁止ね」


 返事にもなっていないような言葉を口にしたところで、少し先を歩いていたルグが歩みを止め、こちらを振り返った。


「その言葉は、そっくりそのままお前に返そうか」


 ルグは軽く身をかがめ、私に視線を合わせるようにして例の小馬鹿にするような笑みを浮かべる。


「昨日、お前はあの双子に対して謙虚に引こうとしてたみたいだが、逆効果だぞ。ああいう連中には嫌味と捉えられかねない」

「かといって、挑発するのも考えものだと思うけれど」

「俺は別にいい。嫌われるのは慣れてる」


 それだけ告げてルグは私に背を向け歩き出した。濃い影が遠ざかっていく。

 ……何それ、私をかばったつもりなの?

 自分が嫌われ者になることで、私を守ったつもりでいるのだろうか。彼はいつまで私の「兄様」でいるつもりなのだろう。


「……馬鹿みたい」


 深い憎悪の隙間に、何かが無理矢理芽生えようとする。この感情に、名前は付けたくなかった。

 彼は大嫌いで、憎らしくて、殺したい人のままでいい。

 私たちは、それでいい。これから先もずっと。

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