第一章(2)

 名を呼ばれ、はっと顔を上げる。ぱらぱらと光の粉が舞い落ちてきたが、その先でルグがにやりと笑った気がした。


「そして──ルグ・ロイドだ。ああ、最後のオルコスだったな」


 そんな、と思わず崩れ落ちそうになるも、ルグが私の目の前に歩み寄ってくるほうが先だった。


「数えていなかったのか? 俺らでちょうど五十組目だ」


 人を小馬鹿にするような笑みが、この上なく良く似合う。

 言葉もなく彼をにらみつけていると、新入生たちからぱらぱらと気のない拍手が送られてきた。最後のオルコスともなると皆疲れているのだろう。


「そして、魔法香はそれぞれ蜂蜜とペパーミントだ」


 それまで通り、魔法香の説明はあくまでも簡素なものだったが、新入生たちは水を打ったように静まり返ってしまった。ルグと私の周りに舞い落ちるきらびやかな光の粉が場違いに思えるほどだ。

 正直、何かしらの反応はされるだろうと思っていたが、ここまでとは。新入生たちの視線が、一人残らず私たちに注がれているのを感じ、居心地の悪さを覚える。

 彼らの視線から逃れるようにうつむきかけたそのとき、ふと、広間の中心からぱちぱちと間の抜けた拍手が送られてきた。


「蜂蜜とペパーミントか。いやあ、すごいすごい!」


 さっと割れた人の波を縫って現れたのは、先ほどの双子の片割れ、ノイシュだった。見事な金髪はグレースそっくりだが、しやた眼鏡やもつたいぶるような口調からは、落ち着いた雰囲気のグレースとは異なる印象を受ける。


「つまり君が『天使アステリアの再来』で──」


 ノイシュは値踏みするように私を見下ろし、続けてルグを見上げた。


「君が『死神エルリクの再来』ってわけか。噂には聞いていたよ? 百年に一度、いや、千年に一度の逸材が見つかったって。いやあ、すごいなあ、恵まれてるねえ」


 言葉の上では褒めているのだろうが、ちくちくと攻撃されているような感覚だ。ふわりと漂ってくる彼の魔法香は甘酸っぱくて爽やかな檸檬の香りなのに、言葉はどうにもねちっこい。

 確かに彼の言う通り、人によっては私を「天使アステリアの再来」、ルグを「死神エルリクの再来」と称する人もいる。

 でもそれは、単に私たちがそれぞれ天使と死神と同じ魔法香を持っているから、というだけの理由だった。

 天使の魔法香「蜂蜜」も死神の魔法香「ペパーミント」も、天使と死神の死後、一度も現れていなかった。そのため、蜂蜜とペパーミントの魔法香を持って生まれた私たちを特別視するのは無理もないのかもしれないが、正直、実力が伴っていない過大評価だと言わざるを得ない。

 ノイシュも、そのあたりを指摘したいのだろう。どうして人気者に絡まれているのかはわからないが、ここはなるべく穏便に済ませたほうがいい。

 注目を受けて震える指を気取られぬよう、私は当たり障りのない笑みを浮かべた。


「……褒めてくれて嬉しいけれど、私たちは、魔法香が天使アステリアと死神エルリクと同じだというだけで──」


 あくまでも謙虚に済ませようと思ったその言葉は、隣から伸びてきた大きな手に口を塞がれたことで、最後まで紡がれることはなかった。

 もちろんこんなことをしでかすのはルグだ。口もとを押さえる手を引きはがそうとするも、びくともしない。


「よく知ってるじゃないか。ちゃんと予習してきたようで何よりだ」


 ルグは私の背後を陣取りながら、あざわらうような調子で告げた。私の前に迫っていたノイシュの軽薄な笑顔が僅かに歪む。


「はっ……流石さすが、『再来』様は言うことが違う。なあ? みんな」


 ノイシュは首だけを傾けて、背後でじっと見守る聴衆の同意をあおった。何人かの生徒たちが、恐る恐るといった様子でうなずいたり、明らかないらちを滲ませてこちらを睨んだりしていた。

 学園生活というものに不慣れな私でもわかる。私たちに向けられる視線が冷たくなり始めていることくらい。


「ノイシュ」


 割れた人の波の間を悠然と歩いて近づいてきたのは、グレースだ。彼女から香るローズマリーの魔法香は、思わずしゃきっとしてしまうほどにすっきりとしていて、透明感のあるものだった。


「姉さん」


 この場にグレースが出てくることは予想外だったのだろうか。ノイシュは空色の瞳を僅かに見開いていた。


「あまり失礼をしてはいけないわ。お二人は『再来』様なのよ?」


 グレースが場を収めてくれないだろうか、とひそかに抱いていた淡い期待は、その一言で打ち砕かれた。グレースは金の髪を揺らしてにこりと微笑んでいたが、含みのある表情だ。


「そうだな、失礼極まりないその弟君をさっさと連れ帰ってくれ」


 ルグは相変わらず私の口から手を離す素振りも見せずに、ふっと吐息交じりに笑った。どうしてこうも挑発することばかり言うのだ。はらわたが煮えくり返りそうになる。

 ルグの一言を受けたところで、グレースが完璧な微笑みを崩すことはなかったが、空色の瞳が一瞬怒りにも似た激情を伴って揺れたのを私は見逃さなかった。これは相当頭に来ているに違いない。


「……『再来』様はご存知かしら。この学園ではね、一年次の夏休みの前に、学園の名を冠した『フォルトゥナの試験』というものが行われるの」


 それは初耳だ。新入生の中にも戸惑うような反応を示す者がいたから、周知の事実というわけでもないのかもしれない。


「試験の目的としては、入学時に組んだオルコスがきちんと機能しているか確認するため、とのことですけれど……歴代の双塔魔術師長は、ほとんどがこの試験でいちばんになっているとか。偉大な魔術師は、入学当初から突出した実力を持っているということですわね」


 双塔の魔術師は、優秀な人材ばかりが揃っていることもあって、全魔術師の憧れと言ってもいい存在だ。その魔術師たちを取りまとめる立場にある魔術師長が、どれだけ尊敬の念を集める存在であるかは言うまでもない。どうやらいわれのある行事らしい。


「『再来』様にとってはなんてことない試験でしょうけれど──」


 グレースの口角が、挑発するようににいっと上がる。美少女がこういう笑い方をすると何とも不穏だ。

 グレースはそのままそっと私の耳もとに顔を寄せると、ぞっとするほど冷たい声で告げた。


「──そこでいちばんを取るのは、わたくしたちですから。名ばかりのあなたたちに、本当の実力というものを見せて差し上げます」


 グレースはゆったりと私から身を離し、優雅に微笑んでみせた。


「……仲良くしましょうね? わたくしたち」


 その気がないことは火を見るよりも明らかだ。どうしてここまで人気者の双子に敵視されているのだろう。

 周りの新入生たちの視線は、既によそよそしいものに変わっていた。ユリシーズの双子が何者なのか知らないが、双子の敵は彼らにとっても敵であるらしい。

 夢見ていた学園生活に嵐が吹き荒れる予感がする。否、入学初日にして、嵐の真っただ中に放り込まれてしまったと言うべきかもしれない。いろだと思い描いていた学園生活が、早くも灰色に侵食され始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る