第一章
第一章(1)
真っ白な外套を羽織って、鏡のように磨かれた広間に足を踏み入れる。学園指定の革ブーツが、こつりと小気味の良い音を立てた。白い外套の裾がふわりと舞い、金色の糸で細やかに
広間には、ひらひらと花のようなものが舞っていた。白や黒の外套を纏った少年少女たちがひしめき合っているが、空気そのものは弾んでいるかのような軽やかさだ。
彼らも、私と同じ新入生なのだろう。誰もが期待に胸を膨らませているようだった。
それもそのはず。何を隠そう今日は、名門フォルトゥナ魔法学園の入学式なのだから。
誰もが魔力という才能を授かる、魔法に満ちたこの王国シェレルには、様々な魔法学校が存在している。その中でも、この
フォルトゥナ魔法学園への入学資格を得られるのは、人口の上位一割に入る魔力量を保持しているか、王国の発行する調香書において希少香に分類される魔法香を持つ者に限られる。その資格を有する者には入学のちょうど一年前、十五歳のときに、魔術師の中枢機関である双塔から通達があるのだが、そこから更に筆記の試験も突破して初めて学び舎に足を踏み入れることが許されるのだ。毎年、定員を割ることなく、ぴったり百名の生徒が入学していた。
フォルトゥナ魔法学園の教育理念は「誇り高い魔術師を輩出すること」だ。この王国シェレルでは、魔法使いの中でも魔法を使って仕事をしている人や学生を特に魔術師と呼んでいる。
つまりここにいる新入生たちは、才能を見込まれた偉大な魔術師の卵ばかりなのだ。心なしか皆同年代の少年少女に比べて大人びて見え、この学園の一員になれることを誇りに思っているようで堂々としていた。きらきらと輝く瞳から察するに、この学園で過ごす四年間に、今から胸を躍らせているのだろう。
私だって、この学園に入学できたことを誇らしく思っている。彼らと同じように喜びを
……アルは、見守ってくれているかな。
アルと死別して三年、十六歳になった私は、今まさに、魔術師としての第一歩を踏み出そうとしていた。
最悪なことに、「彼」とまったく同じタイミングで。
ちらりと隣を見やれば、無愛想な背の高い青年が漆黒の外套に身を包んで
現に、ルグは周りの新入生たちからの視線を集めていた。あるいは、ルグから
ルグはそれに気づいているのかいないのか、普段と何ら変わらぬ気だるげな
「皆、蜂蜜の香りが珍しいらしいな」
ルグはからかうような笑みを見せ、僅かに首を傾ける。その際に、外套の襟もとから黒い
「……どうかな。私は誰かさんのペパーミントの香りのせいだと思うけれど」
本当は、アルを殺したルグとこんな風に会話するなんて御免だった。無視してもよいものならば喜んで無視するのだが、そういうわけにもいかない事情がある。
三年前のあの悲劇、ルグがアルを殺したあの夕暮れのことはすべて、「ルグの魔力の暴走による事故」として処理されている。私が見た異様なまでに攻撃的なルグの姿は、魔力の暴走による影響なのだという。
非常に希少な魔法香を持つ彼は、まだ幼い体では自身の特殊な魔力を制御できなかったのだろう、と「事故」の調査に当たった双塔の魔術師たちは言った。
だから、ルグを許してあげなさい。彼らは口を
アルを失って以来、ルグと一言も会話を交わさなかった時期が半年ほど続いたのだが、そのときのルグの精神状態は異様なまでに不安定だった。
時折顔を合わせれば、ルグは翳った微笑みを浮かべて私を見つめたり、そうかと思えば縋るように「ヴィア、痛くないか?」と繰り返したりしていた。
あのころ、彼の中で何かが壊れかけていたことは明白で、見ようによっては痛ましかったのかもしれないが、私にはただただ彼が不気味で仕方なかった。
双塔の魔術師たちは、ルグの不安定さを見ていられなかったのだろう。彼らは決して私をぞんざいに扱うような人たちではなかったが、それでも次第にルグを許すことを求め始めた。
「あれは事故だから」「不可抗力だから」うんざりするほど繰り返され、会うたびルグから向けられる陰鬱な笑みも相まって、私のほうがどうにかなりそうだった。
正直、大人たちにどう言われようとルグに対する憎しみは少しも薄れなかったが、それを機に表面だけは取り繕うことにしたのだ。
話しかけられれば答えるし、面白いことがあれば笑顔だって見せる。でも、心の奥底では許さない。そんな奇妙なちぐはぐさを生み出すことで、どうにか私はルグの隣で平静を保つ
それが功を奏したのか、不安定だったルグもだんだんと落ち着きを見せ始め、今では減らず口ばかり叩く腹立たしい青年に成長してしまった。
彼と離れて生きることが許されたのならば、こんな厄介な取り繕い方をせずとも済んだのだろう。だが生憎、蜂蜜とペパーミントの魔法香がそれを許してくれないのだ。それくらい、蜂蜜とペパーミントは魔術師たちにとって特別だった。
今だって、何気なくあたりを見渡せば、ルグと私に向けられる視線が更に増えていた。耳を澄ませば、
……今日が入学式なのに、既に内緒話をできる相手がいるんだ。
友人作りという舞台において、私がいかに出遅れているか思い知らされた。
大半の新入生は、この学園に来る前も王都の学校に通っていたらしいから、そのころからの友人がいるのかもしれない。ルグと私は、保護者のロイドさんのもとで黙々と勉強していたため、友人なんて作る機会はなかった。
……友だちが、できるといいのだけれど。
新入生らしく淡い期待を抱いていると、ちらちらと舞っていた花吹雪がまるで土砂降りの雨のようにたくさん降り注いできた。誰の魔法か知らないが、皆慌てて外套のフードを
「フォルトゥナ魔法学園へようこそ!」
どこからともなく、陽気な声が響き渡る。老人とも青年ともとれるような奇妙な声だった。新入生たちは激しい花の雨が
花と共に、甘いような苦いような、不思議な香りが漂ってくる。きっとこの声の主の魔力の香りだ。
「今年も優秀な生徒たちが集まってくれて、嬉しく思っている。両科の新入生に天使アステリアと死神エルリクの祝福を!」
これがきっと学園長だわ、と誰かが
フォルトゥナ魔法学園の学園長は、生徒たちに姿を見せないことで有名だ。本当は幽霊だとか、伝説上のあわいの魔術師なんだとか、面白おかしく語られた噂は世間知らずの私でも聞いたことがある。
学園長の言葉にあった天使アステリアと死神エルリクというのは、魔法使いの始祖と呼ばれる偉大な存在だ。魔法は大きく分けて光と闇の二種類があり、天使アステリアが誕生した朝に光の魔法が生まれ、死神エルリクが誕生した夜に闇の魔法が生まれたと言われている。
魔法使いは、基本的にその二つの属性のどちらかの才能を持って生まれてくるのだ。
アステリアの光の魔法は、傷や病を治癒したり、誰かを守るための癒やしの力。
エルリクの闇の魔法は、人や物を壊したり、隠したりする破壊の力。
どちらも世界に欠かせない、大切な力だ。
フォルトゥナ魔法学園では、もちろんどちらの属性の魔法も学ぶことができる。光の魔法を学ぶアステリアの科と、闇の魔法を学ぶエルリクの科に分かれるのだ。
制服と呼ぶべき外套は科
ちなみにこうして色を分ける風習は、この王国シェレルで広く根付いており、魔術師の中枢機関である双塔でも採用されているらしい。
「ではでは、皆さんのお待ちかね、『オルコス』の発表に移ろうか!」
淡々と続いていた学園長の祝辞は、いつの間にか終わっていたらしい。おとなしく話を聞いていた新入生も、この言葉にはわっとはしゃいだ声を上げる。
運命の瞬間がやってきた。この「オルコス」によって私の学園生活が決まると言っても過言ではない。
フォルトゥナ魔法学園に限らず、魔術師の世界では、アステリアの魔術師とエルリクの魔術師が二人一組になって行動することが多い。それは互いの欠点を補い合い、より効率的な働きができるように、
大人たちは仕事や役割によってその都度ペアを組み直すこともあるらしいが、この学園は違う。私たちは魔術師として未熟なため、バランスを取りやすいように、魔力量の釣り合う相手と組めるよう学園が入学時に調整して、その後四年間を同じペアで過ごすのだ。
フォルトゥナ魔法学園では、この二人一組のペアのことを「オルコス」と呼んでいる。天使アステリアと死神エルリクをまとめて「オルコスの魔術師」と称していたことに由来するらしい。
オルコスはいつでもどこでも一緒というわけではないが、授業では何かと顔を合わせることが多いという。豊かな学園生活を送る重要な鍵を握る存在だ。
……だからお願いします、天使アステリア様。どうか、彼とだけはオルコスになりませんように!
祈るような素振りを見せる新入生たちに倣って、私も指を組んだ。「彼」というのは言うまでもなくルグのことだ。
私はアステリアの魔術師で、ルグはエルリクの魔術師だ。オルコスになる可能性は大いにある。
「無駄なあがきはやめたらどうだ? 大人たちが俺とお前を離すはずがないって、わかってるくせに」
「では、早速オルコスの発表を始めよう! アステリア、エルリクの順で名を読み上げるぞ。ついでに、それぞれの魔法香も発表しようか」
おお、と新入生たちは声を上げる。魔法香とは、私でいう蜂蜜、ルグでいうペパーミントの香りのように、魔力に帯びた香りのことだ。人それぞれ違うのだが、中には似たような香りを持ち合わせている人々もいる。
例えばアステリアの魔術師では
「いちばん初めのオルコスはこの二人!」
新入生たちは皆、自分がどの順番で呼ばれるのか知らない。先ほどまで落ち着きのなかった新入生たちが、今はぴんと糸が張り詰めたような緊張感を漂わせていた。
「ノイシュ・ユリシーズ、そしてグレース・ユリシーズだ! それぞれ
名前が呼ばれるのに合わせて、ある生徒のもとにぱっと光が降り注いだ。黄金色の光に包まれる二人を見て、新入生たちは熱狂したように祝いの言葉を述べる。
「やっぱりユリシーズの双子は一緒にいなきゃな!」
「我らがユリシーズ! 応援してます!」
光に照らされているのは、見事な金の髪と空色の瞳を持つ少年と少女だった。性別の違いこそあれど、二人の顔はよく似ている。対の人形のように華やかな二人だ。
オルコスが発表されるたびにこんな風に盛り上がるのだろうか。ユリシーズ、と繰り返される新入生たちの声に、彼らは一体どんな人なのだろう、と胸が躍った。
入学する前から、既に素晴らしい魔術師として名を
私には少し眩しすぎる類の人たちだが、ああいう人がいるだけで人の集まりは
名前からして、彼女がグレースだろうか。彼女の隣で笑う快活そうな青年がノイシュなのだろう。ノイシュはグレースの肩を抱いて、何やら楽し気に笑いかけていた。
「どんどんいくぞ! 聞き逃すなよ!」
新入生たちの興奮が多少収まってきたのを機に、学園長の声が再び響き渡った。
「お次のオルコスはアンナ・マクロンとリリス・ローウェルだ! それぞれ林檎とラベンダーの香りだな」
今度はユリシーズの双子の発表のような盛り上がりを見せることはなかったが、皆温かな拍手を送っていた。
オルコスに男女の規定はない。この二人のように同性同士で組むこともあるし、先ほどの双子のように男女ペアになることもある。
「さあ、顔を見合わせてはじめましての挨拶をして! 抱き合ったっていいんだぞ!」
学園長の発表の声は止まらない。次々にオルコスになった新入生たちが、光の中で顔を見合わせて握手を交わしたり、はにかみながら肩を叩き合ったりする。
非常に楽し気な光景だが、新たなオルコスが誕生するたびに少しずつ焦燥感が膨らんでいった。
次こそ、次こそは「シルヴィア・ロイド」と呼んでほしい。相手のエルリクの魔術師が、男子でも女子でも構わない。ルグでさえなければ。
……お願い、天使アステリア!
自分の属性の始祖に願ったところで、そもそもアステリアは願いを叶えてくれるような存在ではないのだが、そうせずにはいられなかった。
「次は……シルヴィア・ロイド!」
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