最終話 イーグルドライバー

『マーベリックから司令部へ』

 新田原基地で状況を見守っていた最上に、国見から無線連絡が入った。レーダー上では三機が生存を確認できているが、中国軍のステルス機ははたしてどうなったのか。


「状況は!」

『哨戒任務中に模擬戦闘訓練を実施。模擬戦闘訓練中、所属不明機が接近しましたので警告し、すでに該当空域から離脱しています。マーベリック機、ラーク機、及び、近くを飛行していた中国政府専用機に異常はありません。引き続き、哨戒任務を継続します』

 普段と変わりない冷静沈着な口調で、国見が報告した。どんな状況でも平常心を失わないのは優秀な自衛隊員の証だが、今はその態度が、散々やきもきさせたくせにと最上の気にさわった。


「戻ったら、すぐに詳細を報告しろ」

『了解』

 最上が脱力して、椅子に崩れ落ちる。


「大丈夫なんでしょうか」

「あとは上と政治家連中がどうにかするだろう。口先三寸で適当にごまかすのが連中の得意技だ」

 心配するオペレーターに、最上が吐き捨てる。


「勘弁しろ。給料の半分は胃薬だ」

 タブレットを水なしで飲み込みながら、最上が独り言ちた。


#####################


自卫队帮助了我自衛隊が助けてくれた

 目前で繰り広げられた空中戦に目を奪われていた汪思齐ワンスーチーが、娘の言葉で正気に戻った。


 助かったとほっとすると同時に、今見た信じがたい光景を今一度頭の中で繰り返す。自衛隊機が僚機の自衛隊機にミサイルを発射した。そして、爆発したミサイルの衝撃で中国軍機を追い払った。自衛隊は只の演習だと主張するだろう。だが、一歩間違えば味方機を撃墜していた。そして、中国政府がこれを演習として認めるかが問題だ。


 いや、そうじゃない。自衛隊は命がけで汪思齐ワンスーチーと愛娘を守ってくれたのだ。後始末は汪思齐ワンスーチーの仕事だ。クーデターを処理し、今回の事件の片を付ける、そのための政治家だ。だが、その前に一つやることがある。


谢谢你礼を言いに行こう

はい

 汪思齐ワンスーチーは娘を誘い、旅客機のコックピットに向かった。中に入り、パイロットに自衛隊機と通信をしたいと頼むと、自衛隊機から通信が入った。


『This is the Self-Defense Forces aircraftこちら、自衛隊機.』

「日本語で通信してもよろしいか」

『はい、どうぞ』

 いかにもベテランといった感じの年配の男の声が、コックピットのスピーカーから流れた。この男が先ほどの神業を実現させたのかと汪思齐ワンスーチーは感心する。


「一言、感謝の言葉を申し上げたい」

『恐縮ですが、我々は通常の哨戒任務を行っただけです。お気遣いは無用です』

 建前上は護衛ではなく哨戒任務ということになっている。しかし、もしも自衛隊機が護衛をしてくれていなかったら、間違いなく汪思齐ワンスーチーたちは死んでいたはずだ。


「それでは、哨戒任務について心よりご苦労様と申し上げたい。あなた方は空の英雄だ。もし、あなた方がいなかったら、この空の平和は守られていなかっただろう。本当に言葉に尽くせないぐらい感謝している。ありがとう」

『過分なお言葉ですが、ありがたく頂戴いたします』

 他国の高官が、一介の自衛官にこれだけの言葉をかけるのは異例だ。だが、これは汪思齐ワンスーチーの本心だった。いくら感謝してもしきれない、それだけのことをこの自衛官はしてくれたのだ。


『僚機のラークも、今の言葉を聞けば励みになるでしょう』

「ラーク?」

空中自卫队飞行员在执行任务时使用昵称航空自衛隊のパイロットは、任務中はニックネームを使うんだ云雀ひばりだな”ヒバリ”日文日本語だとヒバリだ

 無線の男が発した『ラーク』の意味を、汪思齐ワンスーチーは娘に説明した。ヒバリか。そうするともう一機は若いパイロットなのかもしれない。


「ヒバリ」

 悠然ヨウラン汪思齐ワンスーチーが訳した日本語の言葉を呟くと、一瞬考えこんだが、すぐに驚いたように叫んだ。

「ヒバリ! 美空ひばり! 这是正确的そのまんまじゃん!」

 悠然ヨウランが、マイクの前へと駆け込む。このマイクの先にいるのは、旅客機を守って戦ったF15のパイロットは、きっと子どもの頃に悠然ヨウランをF15を見に誘ってくれた友達に違いない。安易なニックネームに呆れるやら、命を救ってくれたことへの感謝の気持ちや、幼いころの懐かさや、古い友に再び会えたことへの嬉しさがごちゃ混ぜになって悠然ヨウランの胸を満たした。


「ラーク、ありがとう」

 悠然ヨウランが、マイクに向かって親しい友に向かうように話しかけた。子どものころ、日本で孤独だった悠然ヨウランを美空が守ってくれた。そして、大人になった今もまた、美空は悠然ヨウランを守ってくれた。それも、命がけで。


「あなたはまた私を守ってくれた。本当にありがとう」

 悠然ヨウランが涙の混じった声で、心からの感謝をこめてマイクに向かって礼を言う。美空は悠然ヨウランのことは覚えていないかもしれない。それでも、美空に伝えたかった。昔も今も、自分は美空に感謝していると。本当に本当に、ありがとうと。すると、陽気な声がマイクから応えた。


『守るって約束したでしょ。気にしないで』

 それは美空の声だった。違えようのない、悠然ヨウランの子どもの頃の友達の声だった。悠然ヨウランと同じく、美空も悠然ヨウランのことを忘れずにいてくれたのだ。それどころか、子どもの頃に交わしたたわいない約束まで、覚えていたのだ。悠然ヨウランの目に、うれしさと懐かしさでうっすらと涙がうかんだ。


『な……、た、大変失礼しました。僚機も光栄に感じております』

 僚機の無線の砕けた口調に驚いたのか、先ほどまでの冷静な口調の男が、慌てたように取り繕った。


『すでに日本領内です。あとは那覇の部隊が引き継ぎますので、我々はこれで』


 汪思齐ワンスーチー悠然ヨウランがコックピットの窓から外を見ると、沖縄の方から4機の戦闘機が近づいてくる。そして、今まで旅客機を左右から挟んで守るようにして飛んでいた2機のF15が離れていった。


――そうか。美空はイーグルドライバーになったんだ。

 悠然ヨウランは、どちらのF15を美空が操縦しているのだろうかと思った。きっと中国の戦闘機を追い回した機体に美空が乗っていたに違いない。


――美空は夢を叶えたんだ。子どものころの夢を。

 だったら、次は悠然ヨウランの番だ。


父亲お父さん我将当总书记私は総書記になる

そうか

 突然の娘の決心に驚く汪思齐ワンスーチーだったが、内心は嬉しさを隠せない。


所以如果你爸有事就可以了だから、お父さんに何かあっても大丈夫だよ

 娘の決断は親としては嬉しいが、政治家としてはもっと言葉遣いに気を付ける必要があるなと、汪思齐ワンスーチーは笑った。


――私が中国を変える。いや、世界を変えるんだ。そして、いつか美空に会ってお礼を言いたい。

 父親の苦笑には気付かず、悠然ヨウランの胸には熱い思いが沸き立っていた。


#####################


『よくやったラーク。ずいぶんと腕を上げたな。もう一人前のイーグルドライバーだ』

「ありがとうございます」

 美空自身も不思議に感じることに、任務に出発した時よりもずっと成長した自覚があった。何よりも精神面が充実している。戦闘機に乗る責任感、自衛隊員としての覚悟が、一回りも二回りも大きくなっていることを実感する。今回の緊急事態でも、最後まで冷静に対処することができた。


 どんなときでも冷静であれ、その空戦の鉄則が、いつの間にか心の底にしっかりと根付いている。実戦で引き金を引く怖さや命を失うことへの怖れを今まで以上に感じながらも、命をかけて戦う覚悟が自分にあることも自覚している。


『だが、なんださっきの通話は。他国の高官に対して失礼だぞ。言葉遣いに気を付けろ』

 中年のパイロットは言葉遣いに厳しい。前にもどこかで注意されたような気がするが、美空の気のせいだろうか。


『基地まで競争するか。俺に勝ったら、さっきの失礼な通話は大目に見てやる。負けたら、居残って機体の整備だ』

「そんなこと言って、大丈夫ですか? 私に負けたら編隊長の座が危ういんじゃないですか?」

『減らず口を。行くぞ!』

「了解!」

 国見のF15が加速すると、それに遅れずと美空も加速した。二機のF15がエンジン全開で大空を駆けていく。


――何て幸せなんだろう。

 それが美空の正直な気持ちだ。


 大好きなF15に乗って、大好きな空を飛ぶ。


 美空が操縦するのは戦闘機だ。戦うための飛行機だ。いつかは人を殺し、そして、自分もまた殺されるかもしれない。それが、戦闘機パイロットの宿命だ。


 だが、それでも、美空は空を飛ぶのが好きなのだ。

 

 厳しい訓練、骨が軋んで体が悲鳴を上げる飛行中のG、辛いことがたくさんある。


 それでも、F15を操縦するのが好きなのだ。


 今、美空は誇りを持って言える。


 私は、イーグルドライバーだと。


― 大鷲は大空を飛ぶ 了 ―

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