第二話 懐かしい瞳

「帰路は航空自衛隊のF15が2機、該当海域の哨戒任務につきます。非公式な護衛となりますが、ご了承ください」

「日本の戦闘機パイロットの技量の高さは中国にも伝わっています。演習では米軍にも引けを取らないと。帰路の護衛、いや、哨戒任務、よろしくお願いします」

 官房長官の森田が汪思齐ワンスーチー に帰路の護衛体制について説明した。互いに同盟関係にあるわけではないので、相手国内に軍を入れるわけにはいかない。苦肉の策として、名目上は自国周辺を哨戒するということで、自衛隊が外国政府を可能な限り護衛しようという腹だ。


「再確認したいのですが、魚釣島までは当方が随行し、以降は人民解放軍が護衛するということでよろしいですね」

「中国では魚釣島でなく釣魚島と呼びますが、その議論は棚上げしましょう。それで問題ありません」

 汪思齐ワンスーチー の隣に控えていた女性が進み出て、交渉を引き継いだ。


「率直に述べますが、汪思齐ワンスーチー の改革に対し中国国内では強固に反対する勢力が未だに力をもっております。汪思齐ワンスーチー に万が一のことがあれば、日本側にも大きな損害があることは認識されたうえで、任務に当たってください」


 汪悠然ワンヨウラン、亡くなった妻の代わりにファーストレディを務め、汪思齐ワンスーチー 豹変の原因とも、そもそも、汪思齐ワンスーチー の打ち出す政策は汪悠然ワンヨウランが考えているとも噂されている汪思齐ワンスーチー の一人娘だ。体形は小柄だが、内からはエネルギーが溢れ、父親譲りの押しの強さが感じられる。


「もちろんです」

 客人として守ってもらう立場だということを微塵も感じさせず、まるで自国の高官に命令するかのような強気な態度に、森田が緊張して応えた。


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「国見、鷲津、準備は万全だな」

「はい、全て問題ありません」

「同じく、問題ありません」

 空将の最上もがみ汪思齐ワンスーチー の護衛、いや、哨戒任務のパイロットとして選んだのは、TACネーム【マーベリック】こと国見大吾くにみだいご三佐と、TACネーム【ラーク】こと鷲津美空わしずみそら二尉だ。航空自衛隊では各々のパイロットがTACネームと呼ばれるニックネームを用いて任務に当たる。無線が傍受されたときに本名が外部に漏れないようにするためだ。


 国見は4機編隊長を務める資格があるFLPFlight Leader Practice過程終了のベテランだ。今回の任務では僚機として美空機を従える2機編隊長を務める。哨戒という名目のもと実質的な護衛任務を任せるには、戦闘機の操縦の腕だけでなく、安全保障の国際法にも精通した国見のような人材が不可欠だ。美空も若いが様々な戦闘が可能なCRCombat Readiness資格を持つ優秀なパイロットだ。


「中国ではきな臭い動きもある。万が一の事態も考慮し、万全の状態で任務に当たれ。こちらでも状況は随時モニターし、サポートする。那覇の基地でもスクランブル態勢を取るよう確認済みだ」

「了解」

 ベテランの国見は、緊張した様子も見せず日ごろと変わらぬ冷静な態度を崩さない。


「鷲津も、しっかり任務をこなせ」

「はい」

 冷静を装って返事をした美空だったが、内心は今まで味わったことのない緊張感を味わっていた。


 今回の汪思齐ワンスーチー の日本訪問に同行している一人娘の汪悠然ワンヨウラン、テレビで見た日本語を堪能に話す知的で勝気な若い女性の顔を、美空は思い浮かべた。


 その自信満々な態度からは、昔のおどおどした弱気な少女を思わせるものは何もない。ただ、真ん丸な大きな瞳だけは、中学生の頃と同じだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「おい、コロナの責任とれよ」

「日本でウィルス広めたのお前だろ」

「授業が足りなくて高校落ちたら、あんたの責任だからね」

 中学校の教室で、一人の気弱げな少女を同級生が取り囲んでなじっている。なじる集団に加わっていない生徒も知らん顔をして、見て見ぬふりだ。


「なんとか言ったらどうなのよ」

「さっさと中国に帰れよ」

「とりあえず、土下座して謝んなさいよ」

 眼鏡の奥の大きな瞳からは、涙がこぼれ落ちる寸前だ。今まで泣くまいと何とか我慢してきたが、それももう限界だ。


「謝れよ!」

「謝んなさいよ!」

「謝れ!」

 謝罪を強要する声に、とうとう少女の心が折れた。


「ご、ごめ」

 だが、少女の目から涙が零れ落ち、謝罪の言葉が少女の口から出かけたとき、

「謝んなくていい!!」

 外敵から少女を守るように、一人の影が颯爽と教室に飛び込んだ。精悍な体つきをした一見少年と見紛うような少女だ。


「あんたたち、いい加減にしなさいよ」

 まわりを睨みつける目には、怒りの炎が灯っている。


「なんだよ。日本人のくせに中国人の味方すんのか」

美空みそらのお母さんが苦労してんのも、そいつのせいでしょう」

 だが、裏切り者をなじる様な声にも、その少女は毅然とした態度を崩さなかった。


悠然ようらんには関係ない。病気は誰のせいでもない。弱いものをよってたかって苛めるあんたたちの方が、よっぽどむかつく。先生に言いつけようか。それとも、」

 美空と呼ばれた少女が、右の拳を左の掌にぶつけた。


「私は、どっちでもいいけど」

 口ではどちらでもいいと語っているが、少女の目は実力行使を望んでいた。


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「あ、ありがとう」

 二人の少女が、並んで通学路を家へと向かう。


悠然ようらんも、黙って耐えてるだけじゃ駄目だよ。嫌なことは嫌だって言わないと」

「でも」

「でもじゃない。やられたらやり返すっていう抑止力を見せるのは安全保障の基本よ」

「安全保障?」

 美空から、変な言葉が出てきた。


「もちろん、自分からは先に手を出さない。専守防衛が自衛隊の基本だからね」

「なんで、自衛隊? 美空の親戚に自衛官がいるの?」

 悠然ようらんが、父親の仕事の関係で日本に住んで5年になる。美空とは中三の今年から同じクラスになったので、あまり良く知らないが、たしかお父さんは普通のサラリーマンで、お母さんは看護師だったはずだ。コロナ過で仕事が大変だと聞いている。


「ううん、単に私が将来、自衛隊に入りたいだけ」

「へー、そうなんだ」

 美空から意外な言葉が返ってきた。


「すごいの見せてあげるから、うちに来ない。お母さんも仕事で家に帰ってこないし、悠然ようらんも、お父さん帰国できないから一人で寂しいでしょ」

 中国に一時帰国した父がコロナのせいで日本に入国できなくなり、悠然ようらんは現在一人暮らしだ。母親は悠然ようらんが小学生の時に亡くなっており、他に兄弟もいない。それを美空は気遣ってくれている。


「ありがとう。じゃ、少しだけ」

「夕食も食べていってよ。って言うか、そっちの方が重要なんだけど。お父さんが自炊始めて、自己満足でいろいろ作り始めてさ。食べるためじゃなくて、作ること自体が目的になってて困ってるんだ」

 美空の屈託のない笑顔は、本心からそう言っていることを物語っていた。





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