第二話
夢なんだし気にしなければ良いんだけど、でもやっぱり気味悪いというかなんというか。
朝のテレビとかでよく占いとか流れてるのと同じで、もし私の星座がランキング悪かった時ってやっぱり気分良くないし、どっか気にしちゃうというか……占いなんて信じないとか思いつつ、なぜか悪いことだけは頭に残って気にしてしまう、まさに今はそんな感じだ。
あと数十メートル進んだ先にある角を曲がると大通りにぶち当たる。そこには横断歩道があって、そこで私はむさ苦しそうな男の人に出会う。髪が長く、無精髭を生やし、四角く縁取られた眼鏡をかけ、少しゆとりを感じるほどの大きめの白いシャツを着た細身のおじさん。
でもそれは、夢の中での話。
「カヨ、マジで置いてくからな」
「あっ、待ってよ」
私は駆け出そうとした瞬間、足元に視線を落とした。
大丈夫、あれは夢だ。偶然夢の中で同じような夢を見たって思った不思議な夢。今日はあえてスニーカーじゃないし夢と同じになりようもないんだ。
そう思っていてもどうしても頭では考えてしまう。手のひらが妙に湿っぽい。高校受験の結果発表の時や、なぜか私が代表に選ばれて全校集会の時に全校生徒の前で朝礼の内容を読み上げた時でも全く動じなかったはずなのに、今は妙に緊張していた。
心臓が高まる中、私は角を曲がって大通りに出たその時だった。
「カヨ? どうした、なんか顔色悪いぞ?」
足を止めた私に気がついたケンが、私の顔を覗き込むようにして目を凝らした。だけど私にはそんなケンの様子も、ケンの言葉も耳には届かない。
昇る朝日に向き合う形で私は横断歩道の前に出た。信号は赤。まばらに人が信号待ちをしている中、私とケンもその中に加わった。
私の目だけじゃなく、心臓までも持っていったのは向かいで信号待ちをしているむさ苦しい風体の、あのおじさんだった。
「……同じだ」
何もかもが夢と同じ。夢で起きた内容と同じことが目の前でも起きている。
思わず足元に視線を向ける。すると一瞬記憶と現実がダブって見えて、私はスニーカーを履いている錯覚に陥った。
靴紐が切れたスニーカー。
「カヨ、信号青だぞ」
ケンのその一言にハッとして、私は顔を上げた。
信号は青に変わり、街行く人もその中に紛れるようにケンも歩きだしていた。
不審がるケンの表情には目もくれず、私は再び自分の足元に視線を落とすとスニーカーではなくローファーをちゃんと履いていた。
「カヨ?」
私はケンの声に反応するように顔を上げ、ケンの向かい側から歩いてくるあの男を見やった。
朝日を反射している眼鏡のせいでいまいち表情は読み取り切れないけれど、目が合ったーーそう思えるほど、おじさんは私から顔を逸らさない。
「……やっぱ私、今日はあっちから行くわ」
「お前何言ってーー」
「じゃね!」
だって、なんていうか……本能とでもいうのだろうか。体が、脳が、私の夢の記憶が、全力であの男から逃げろって言うんだから、これはもう従うに越したことはない。学校に遅刻するくらい別にどってこともないし。
ケンの言葉にも聞く耳持たないで、私は今来たばかりの道を全力で逆走した、ちょうどその時だった。角を曲がった瞬間、向かいから自転車がやって来て、私が勢いよく走っていたせいで、自転車もブレーキを止めきれない。
--ぶつかる。そう思って今からやってくる痛みを予想して目をぎゅっと瞑った。
「危ない!」
そんな声が私の背後から聞こえたとともに、私の体をぎゅっと掴んだのは大きな手だった。まるで覆いかぶさるみたいにして、私をその身の中に包み込みつつ、向かいからやって来た自転車をもう片方の手で押さえている。
自転車の前輪が私の右足をかすめたけれど、その程度。想像していた痛みはやってこなかったことにホッとしつつ、私は今背後から抱きしめてくれている人物に目を向けた。
今でも息遣いが聞こえるほどの距離、ううん、この男性の心音さえ聞こえるほど私をぎゅっと抱きしめていたのは、夢で何度も出くわしたあの男性だった。
「あなたはーー」
誰なんですか……?
そう言おうと思ったところで、慌てた様子で自転車に乗っていた相手が私に向かって怒りをあらわにした。
「ちょっと、急に飛び出して来たら危ないでしょうが!」
子供の補助席を背後に乗せた自転車。そこに乗っていた小さな子供もそのお母さんにも怪我はなさそうで私はホッとしたとともに、転んで怪我なんてしなくて本当に良かったと安堵した。
「すみませんでした……本当に」
「すみません、で済まないことになっていたかもしれないのよ! 気をつけてちょうだい! 本当に最近の子は……」
ブツブツと未だに怒りが冷めやらぬ様子のその人は、再び自転車を漕ぎ出して、行ってしまった。
「なんで、逃げたんだ……?」
そんな言葉をぼそりとこぼし、背後にいた男性は力一杯に締め付けられている雑誌のカバーを紐解くように、そっと私の体を解放した。
男は私を解放したというのに、私の体は硬直して動けなかった。
“なんで逃げたんだ……?”
体は解放されたけれど、その言葉が私の神経を拘束して動けなくしていた。
そんな私の体を解放へと導いてくれたのは、背後からやって来たケンの声だった。
「カヨ、大丈夫か!」
もしこれが、ケンがよくプレイしているロールプレイングゲームの世界だったなら、ケンはさしずめ、魔法使いというところだろうか。
固まった私の体はケンの声に反応して軽くなった時、そういう想像が頭をよぎった。小さな頃からプレイするケンの横でそれを見ていただけに、そんな想像が容易にできてしまったんだと思う。
「急に逆走するわ、自転車とぶつかりそうになるわ、マジで朝から脅かすなよ」
「ごめん……」
ケンが慌てた様子が目に見えて、私は思わず素直に謝った。ポーカーフェイスがケンのお得意で、心をかき乱されるのが好きじゃない彼が、そんな反応を示したのだから謝らずにはいられない。
「それよりあのおっさん、お前の知り合いだったのかよ?」
「知らない、と思う……」
「は? なんだその回答?」
ケンは眉間にシワを寄せながらさっきの焦った顔から一転して、いつもの平然とした表情で私の表情を読もうと見つめているけれど、私はそれ以上なにも言えなかった。
私だって知りたいんだ。あの人は一体誰なのか。なんで私にまとわりつくのか。
それは偶然なのか、必然なのか。
夢の中であの人は私を殺そうとした。それは間違いないし、一度ではなく二度も。だけど、助けてくれた事もある。だから私は混乱している。
全ては夢で、夢はあくまで夢だけど、なんていうかいつもと感じ方が違う。だってーー。
「カヨ」
そう言ってケンはいつもゲームばかりしている節くれた大きな指でつん、と私の足元を指差した。
「靴底、めくれてる」
言われて初めて気がついた。ローファーの靴底が半分くらいめくれて、ひっくり返っていたことに。
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