夢の残像
第一話
『一体、あなたは誰なの……?』
私はぐっと腕を伸ばした。すると思っていたよりも自分の腕が重く、何より目の前にブラックホールでもあるのかと思うくらい、何か思い重圧が私の体を、脳を捻り潰そうとしているように思えて思わずえずいた。
「うえっ、げほっ、げぇっ……!」
涙目を擦りながら目を開けると、目の前に広がる光景は駅前の道路でもなければ、そこに横たわることりちゃんもいなければ、そばで人形のように立ち尽くすケンもいない。ただの天井だった。
「……夢?」
また、夢? あんなに生々しくて、鮮明なのに……?
私の右手は、夢の中で手をかざしたのと同じ状況で止まっている。けれどその手の伸びる先にことりちゃんはいないし、いつも見てる自分の部屋の天井に向いているだけで、全ては霧が晴れたように目の前に広がる現実は違っていた。
「でも、夢で良かった……」
私は伸ばしたままだった手を引いて、片方の手で覆った。その時初めて、私の手が震えていた事に気がついた。夢の中で自分がトラックに轢かれそうになった後も同じように震えていた。
夢の中の私も震えていたんだと思う。そんな事に気を取られる暇もないくらいあの内容は私にとって残酷だった。
夢でことりちゃんが倒れていた時、たくさん血が流れて、私の声には一切反応しなくて、まるで映画でも見ているようなそんな光景なのに、それが映画やフィクションではないって感じていた。
景色一つにしても街の光景、草花や車の排気ガスの臭い、全てが現実だと私に知らせていた。
夢ならそれでいい。自分が死ぬのも嫌だし、今でもあの夢の映像はクリアに思い出せる。だけど、それよりも、自分の大好きな人が目の前で死ぬなんて、嫌悪感と恐怖しか湧かない。
「佳代子、いつまで寝てるの。とっくにケンちゃんが迎えに来てるわよー」
お母さんがそう叫ぶ声が扉の向こう側から聞こえて、思わず時計を見やった。
「やばっ、もうそんな時間なんだ!」
私は慌てて棚から着替えを掴んで部屋を飛び出した。
「お母さーん! ケンにシャワー浴びるから先に行ってって、伝えといてー」
私は部屋の扉を開けてそう叫けんだ後、部屋を一歩出たところではたと我に返った。
……あれ、これ夢の中と同じ光景だ。
デジャヴっていうのかな? ううん、違う、デジャヴというよりもっと感覚的にリアル。だってこの光景は“なんとなく”なんかじゃなくて、実際に“見た”と実感のある光景だから。
だとしたら夢だとこの後どうだったっけ? 確かケンがお風呂場の前で待ち伏せしてて……。
私は顔を上げて一本道の廊下の先、お風呂場へと続く洗面所の扉の前で待ち伏せしている、ケンを見つけた。
「お前、そう言うことは早めに言えよな。メッセージ送ったら一発だろうが」
腕を組んで壁に背を預けながら不満そうにしている表情も、ケンが言ったこの一言も覚えてる。
「……あ、ごめん」
違う事を考えていたせいで、思わず素直に謝ってしまった。するとケンは驚いた表情で組んでいた腕を解き放った。
「なんだよ、素直だな。熱でもあんのか?」
失礼だな。私が素直に謝っただけで、なんでそんな言われ方をしなくちゃいけないのか。そう思いながらも、私の脳みそは別のことでいっぱいで何も言わずにいると、ケンが再び口を開いた。
「とりあえずシャワー浴びるんだろ。さっさと入ってこいよ」
ケンは訝しげな顔をしながらも、洗面所から離れてママがいるキッチンへと向かった。
あれって夢だったんだよね……? 夢の記憶はいつも覚えていないはずなのに、今回に関してはかなりの記憶が残ってる。それに、夢の中でも夢を見てた。それはデジャヴと感じる共通点が多い夢だった。
ちゃんとは覚えてないけど……でも最後は違った。一度目は私がトラックに轢かれる夢、二度目は私の友達ことりちゃんが轢かれる夢。
今は現実なんだよね? それともこれも、夢なの……?
「いててっ!」
私は両方の頬を強く引っ叩いた。痛い。シャワーを浴びながら、壁の取手にかけたシャワーノズルを見上げて、ゆっくりと目を閉じた。
このシャワーも温かい。うん、ちゃんとそう感じてる。夢じゃない。
「やっと終わったのかよ」
シャワーを終えてリビングに行くと、ケンはお母さんの前に座って朝食を食べていた。
トーストと目玉焼き、ウインナーとコーヒーという毎朝同じような献立の朝食に私のお腹はグゥと根をあげた。
夢と同じ光景。そう思ったけど、私はすぐに首を振った。
夢と同じだけど、そもそもこんな光景はいつも見てる。朝食は大抵同じだし、ケンがこの家にいるのも、リビングで態度でかくしている様子もいつもの日常だから。
「ちょっとケン、なに人の朝食食べてんのよ!」
「……なんでお前のだって知ってんだよ」
確かに。なんで私のだって思ったんだろう。お母さんがケンのために作ったとしても、全然おかしくないのに。
夢の中でケンが私の朝食を食べてたから、それがダブって見えたせいかもしれない。
って、当たってるところがまた苛立ちを増幅させるんだけど。
「ってか、これお前のじゃなくて俺のだけどな」
「はぁー? どういう事よ。ってかそもそも朝食くらい家で食べてくればいいじゃん」
「自分でトースト焼いたりするの面倒くせーだろ」
「それくらいしなさいよ!」
「お前はそれくらいもしてねーだろ。カヨママが用意してくれるのを食べてるだけのくせして」
うぐっ、確かにそうだけど……。
「しかも、カヨママのご飯はうまいし」
「まぁ、ケンちゃん嬉しい事言ってくれるわね。これからもカヨのごはんはケンちゃんにあげようかしら」
でた、お母さんのケンひいき。昔からずっと思ってたけど、お母さんは多分男の子が欲しかったんだと思う。それくらい実の娘とケンに対する態度が違う。
「ってかほら、やっぱりそれ私の朝食だったんじゃん」
私が不平不満をこぼしたら、今度はお母さんがケンの肩を持ち出した。
「カヨが食べないからでしょ。今日も起きるの遅かったし、遅刻するから早く行きなさい」
「お母さん、あなたの娘がグレたって知らないからね」
むしろ今までよくグレなかったものだ。私は人間ができてるからグレなかっただけで、普通ならそうなったっておかしくないと思う。そんな風に自分を褒めつつ、鼻息荒くして私はリビングを出た。
「行ってきます!」
玄関でいつも履いてるスニーカーに足を通したところで、夢の事を思い出した。まるで私にその事を知らしめるかのように、映像が脳内流れて、思わず目をぎゅっと瞑った。
「おい、せっかく人が待ってたってのに、置いてくなよ」
「頼んでないでしょーが。私は先に行ってって行ったじゃん」
「お前生理前だからってイライラして……って、なんだよ、ローファー履くとか珍しいじゃん」
私の足元に視線を落とした、ケンが片眉を小さくピクリと動かした。
「ローファーは、靴の中蒸れやすいからとか言ってなかったっけ? それ履いてるの久々に見たけど」
「ちょっ、それ雨降った時に言っただけじゃん」
万年足臭男なお父さんじゃあるまいし、変なイメージつけないでほしいんだけど。
「スニーカーの方が走りやすくて楽だから普段はローファー履いてないだけで、今日はなんとなくこっちの気分なんだよ」
「なんだそれ」
訳わかんねーって言いながら、ケンはスタスタと私を追い越して歩き出した。
「あっ、ねぇケン。今日はこっちの道から行かない?」
「はっ? なんでだよ」
「なんでって……なんとなく」
うまい言い訳が見つからなくて、思わずそんな適当な返事をしたら、ケンは眉間にこれでもかってほどの深いシワを刻んだ。
「遠回りになるから却下。マジで遅刻する気かよ」
そう言って聞く耳持たず、ケンは再び歩き出した。
だよねー。そうですよねー。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます