第七話
「でもさ、もういなくなっちゃったし」
そう言った言葉は、ケンに向けたものというより、自分に向けた言葉でもある。だって、あのおじさんは私の夢に出てきた人で、あまりよく覚えてないけど、なんか嫌な感じがするからだ。
だからあのおじさんの事は偶然が重なった、かなり稀な確率で会うだけだと思いたかった。それなのに……。
「そんなもん、どっかで隠れてるだけかも知んねーじゃん」
ケンは私の不安を、さらに煽ってくる。
「なんでそんな、怖い方向に話を持っていくかな。あの人って今朝倒れそうになった私を助けてくれたんじゃなかったっけ?」
ってか、そう教えてくれたのはケンなのに。
「ってか、しまった! それならちゃんとお礼言えてないし」
私はあのおじさんがいなくなった曲がり角に視線を向けなおして、追いかけるかどうか悩んだ。今まだ近くにいるかどうかも分からないのに追いかけていってお礼言うのもどうなんだろう……そんな風に思って。
「なんか変なんだよな。あのおっさん明らかにつけてる感じだったし。お前、夢で見たとかなんとかいってたけど、あれ本当はどっかで会ったことあるのを夢だと思い違いしてるんじゃねーの?」
「えー、そうなのかなぁ……?」
つけてたかどうかは別にして、夢であのおじさんを見たのは確かだ。夢の内容は覚えていなくても、今朝あのおじさんを見た時に私はあの人を今朝の夢で見たって確実に思ったし。
今朝の方が夢の記憶がクリアだったわけだから、あの時そう思ったのなら間違いない。あのおじさんとは確実に夢で会ってる。
けど、以前にあのおじさんを見かけたことがあるかどうかについてはさだかじゃない。だって、私が意識して見てなかっただけで、あの人とは毎日通学路で会ってた可能性はあるわけで……。私の脳が認識してたかしてなかったかの話なだけで、実は何度か会ってる可能性はある。
「むしろそうだとしたらケンこそあの人に見覚えないの? 今朝の話だけじゃなくって、以前にどこかで見たって覚えある?」
私達はほぼ毎日一緒に登下校してるから、私が見たことある人ならケンだって知ってるはずだ。
「知らねーよ。俺周りの景色なんかキョーミねーし」
「景色というか、あんたは歩きスマホするのやめなよね。あれ、危ないんだから」
「してねーじゃん。たまにしか」
「たまにもダメなんだって、ケンママにも言われてるでしょーが」
そうだった、そもそもケンは周りの景色にも人にも興味ない人だった。全く話にならない。
「二人ともどうかしたの?」
あまりにも私とケンがコソコソ話してたせいで、ことりちゃんは不思議そうな顔で覗き込んできた。背の低いことりちゃんは、私とケンに挟まれるような立ち位置で首を傾げてる。
「今朝、学校来る前に道端で会ったおじさんが、またいたの」
「そうなんだ、それってすごい偶然だね」
「だよね、私もそう思う」
ほらやっぱり偶然って思うのが普通だよね。ケンは時々考えすぎなところがあるから。普段はリアリストなくせしてゲームのしすぎなのか、脳みそが時々SFチックなんだよね。
私はことりちゃんにつられて笑った瞬間、綿毛のようにふわふわとした笑顔の天使が、今度はニヤリとほくそ笑みながら話を続けた。
「もしくはその人、カヨちゃんのストーカーだったりしてー?」
冗談めかした表情でそう言うけど、ことりちゃんの言葉を聞いたケンは、再び真剣に考え込むような顔を見せた。
「えっ、何? ストーカーっていうか、カヨちゃんのファンって感じで言いたかっただけだし、本気にしないでよー。冗談だよー」
ケンがあまりに真剣な表情をしたからか、ことりちゃんはケンに向かって慌てて弁解の言葉を付け足した。だけど——。
「大丈夫、分かってるって。カヨのストーカーとか、むしろ物好きすぎてそいつのメンタルの方が俺は心配になる」
「なに真剣な顔で、さらっと失礼な事言ってんのよ」
騙された。私も一瞬不安になっちゃったじゃん。
「で、そのおじさんはどこにいるの?」
ことりちゃんは私の背後を確認するように、あたりをキョロキョロと見渡した。
「今はもういないよ。単に偶然だっただけなのか、もしくは私が露骨にそのおじさんを見てたから気まずかったのか知らないけど、さっきあの角曲がって行っちゃったからね」
「そうなんだー」
「けど、気をつけるに越したことはないかもな。俺ちょっと見て来るから二人はそこにいて」
「えっ、ケンちょっと——」
私が引き止める間も無く、ケンは駆けて行ってしまった。
「大久保くんって意外と心配性なんだね。優しいなぁー」
だね、なんてことりちゃんには相槌を打ったけど、あの様子だとケンはかなりあのおじさんの事をを疑ってると思う。なんでって聞かれると困るからことりちゃんには言わなかったけど、これは幼馴染の腐れ縁による勘だ。
それにケンみたいな省エネ男子がわざわざ確認に行くなんて、相当疑ってなければしない行動だし。
「でもさ、大久保くんって、ここぞって時には頼りになるんだね」
ぼそりと呟いたことりちゃんの言葉も、私の耳には右から左へと流れていくだけだった。
なんだろう、なぜかとても胸騒ぎがする。今日の空の景色とはうって変わって、私の心の中はどす黒い何かが嵐の中でうごめいているような、そんな感覚が私の気持ちを不安にさせる。
大通りを抜けた住宅街。大通りに比べると人気はぐっと減っている。私はケンが戻ってくる様子を見て、少しホッとした。
「どうだった?」
私の問いに、ケンは数回首を横に振った。
「いや、もういなかった」
「じゃあやっぱり偶然だったんだね! きっと偶然同じ方向だったんだよー」
ことりちゃんらしいいつもの伸びやかな声であっけらかんとそう言った。だけどケンは、どこか腑に落ちなさそうな表情で口を開いた。
「けどさ、それならどうしてあいつはずっと俺らの背後を歩いていたのかが分からない」
「それは相手も歩調が遅かったとか? 私達3人もいたから追い越しづらかったんじゃないかなぁー? だってほら、ここの道って結構細いでしょ?」
ケンはそれ以上何も言わなかったけど、私はケンがまだ疑問に思ってることはあいつの顔を見れば一発だった。
ケンが言ってることはよく分かる。そもそも私達の足取りは遅いわけで、偶然同じ方向に用があるとしても、大人の男性だったら私達なんてとっくに追い越せるはず。だけど、それをしなかった。
ケンがあの人に気づいたのが学校を出てすぐなんだったら尚更、そのチャンスはいくらでもあったはずなのに。
『学校を出てこの小道に入るまで、ずっと大通りを歩いていたのに? 大人の足で俺達がゆっくり歩いてるのを追い越せないわけがない』
ケンはきっとこう思ってるはず。だけど——。
「そうだね、もういない訳だし」
私は自分の考えを振り切るようにして、ことりちゃんとケンに向かってそう言った。
「カヨちゃん、大久保くん、二人とも方向違うのに駅まで送ってくれてありがとうね。ここで大丈夫だよ」
駅に着いたけど、改札は階段の上だ。しかも結構な段数があって、足を引くようにして歩くことりちゃんにはかなりの難関だ。
「この駅ってエレベーターないの?」
「あっちの乗り場からなら、エスカレーターがあるぞ」
そう言ってケンは、横断歩道を渡った先の入り口を指差した。
「じゃあ、あっちまで送るよ」
「えー、いいよいいよ。もうすぐそこだし」
「ここまで来たら、横断歩道渡ろうが渡るまいが一緒だから」
そう言って、ケンの背中を押した。ケンはまだことりちゃんの荷物を持ったままだ。
「あっ、カヨちゃんの靴紐ほどけてるよ」
ことりちゃんに言われてふと足元に視線を落とすと、今朝切れた方とは逆側の靴紐がほどけていた。
「あっ、ほんとだ」
私はその場にしゃがみ込み靴紐を結び直そうとした時、ことりちゃんが叫んだ。
「カヨちゃん危ないっ」
その声にハッとして顔を上げたら、私のすぐ近くにスマホ片手に自転車に乗った他校生が私めがけて突っ込んで来てた。何が最悪って、その男子はスマホで動画を見ながらしっかりイヤホンまでしてる。
私の体は固まったようにこの状況をじっと見てた。なぜか分からないけど、動けなかった。
周りの景色はゆっくりと動いているように見えて、私が慌ててその場から逃げれば事は免れそうなのに、なぜだか私にはそれができない。脳がダメだって言ってる。
ゆっくり動く世界は私がじっとしてることが条件で、その条件を満たさなければ通常の動作に戻る……そんな風になぜか思えて、私は微動だにせず、どこか冷静にこの状況を見ていた。
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