第六話

「本当に、一人で大丈夫だよー」


 放課後、クラスメイトが帰宅やら部活行く準備をしている中、私はことりちゃんを確保した。


「だーめ、そんな足で一人で病院行けないじゃん」

「行けるよー。あたし元陸上部だし、体操だってしてた事があるんだよ? これくらいの怪我には慣れてるんだから」


 ことりちゃんが柔らかそうな二の腕でぎゅっと力こぶを作って見せた。ふっくらとした二の腕の筋肉は、小さな山を作っていた。本当に見た目によらず筋肉があるんだな、なんて感心しながらも、私はことりちゃんのその腕を掴んだ。


「ことりちゃんって電車通学だったっけ? それならせめて駅まで送るよ」

「えー、そんな大ごとにしなくて大丈夫だよー。カヨちゃんってば意外と過保護なんだね」


 誰に対しても過保護にするわけじゃない。もちろんことりちゃんだからに決まってる。とにかくことりちゃんがクスクスと笑っている間に、机に掛けられていた指定のリュックを掴んで、近くでずっとスマホに見入っているケンに渡した。


「ほらケン、荷物持ちよろしくね」

「なんで俺なんだよ。しかも、俺も行くとは言ってねーけど」

「でも私と一緒に帰るんでしょーが。私がことりちゃんを送って帰るんだから、あんたは自ずとついてくるでしょ」


 ケンの少し長くなった前髪の奥で細い目尻がさらに尖った。私はそれに気づかないフリをしてことりちゃんの方を見やる。


「じゃ、帰りましょうか」

「あたし、大丈夫だよ。大久保くんに悪いよ」

「気にしない、気にしない。さぁ行こう」


 私より頭ふたつ分くらい低いんじゃないかと思えるほど小さなことりちゃんの肩を、後ろから両の手で掴んで押しやった。

 まだ申し訳なさそうに小さな肩をさらに小さく竦めることりちゃんに、思わず抱きしめたい衝動が走ったけど、それをグッとこらえて私達は教室を後にした。


「そういえばカヨちゃん、その靴どうしたの?」


 緩んできた靴紐を縛り直していた時、ことりちゃんは本物の小鳥のように首を小さく傾げながら、私の足元に視線を落としている。


「今朝靴紐が切れちゃって。マンガみたいでしょ?」


 私は思わず苦虫を噛み潰した。あははっ、なんてから笑いしながらも、内心では不吉なイメージが再び私の脳内を支配し始めていた。


「すごいねー、靴紐が切れたなんて実際初めて聞いたよ。切り口見せてー」

「えっ、うん、いいけど……」


 ことりちゃんが意外と関心を寄せてくるのが意外だった。物珍しい気持ちはわかるけど、興味津々に大きな瞳を宝石のようにキラキラと輝かせている。そんなことりちゃんに押されるように、私は一度靴の中に入れた靴紐の先を取り出した。


「わー、プッツリいったねー! なんか引きちぎられたみたいな切れ方してるー」

「そんなに感動しなくても……縁起悪くない?」

「えー、むしろ逆にラッキーなんじゃない? だってこんな切れ方するのとか見た事ないよー?」

「確かに、そうだけど」


 ことりちゃんの発想に私は目玉飛び出すかと思った。いや、本当に。

 だって夢に続いてこれだもん。しかもこれだって悪夢の内容と同じ出来事な訳だし、縁起悪いって思っても仕方ないと思ってた分、ことりちゃんの発想には少し救われた気がした。

 もちろんことりちゃんに夢の話はしてないし、靴紐の事だけ考えたらそう思うこともあるかもしれないけど。


「でも、何にしても靴紐は買って帰った方がいいね。そのままだとあたしみたいになるかもしれないよー。あはっ」


 そう言ってことりちゃんは自分の膝を指差した。今も痛々しく包帯が巻かれた足は、まだ引きずるようにぴょこぴょこしてる。

 私はまたその様子を見て……というかことりちゃんにそんな風に言われて一瞬何か違和感というか、既視感を覚えた。

 ……なんだろ、この変な感じ。何か思い出せそうで、思い出せない。知ってるようで、知らない。もう少しでそれに手が届きそうで、届かない——そんな感じがした。

 これもデジャヴになるのかな。でも今朝の出来事のように確実な記憶がない。

 ただ、この状態をどこか知ってる気がするっていうだけ。


「カヨちゃん、どうかした?」

「えっ、あ、うん。なんでもないよ。昨日あんまりよく寝れなかったから、ちょっとぼーっとしちゃった」


 風になびいた髪を手櫛でとかしながら、私はあははっ、と誤魔化すように笑った。


「ってかケン、ケンこそどうかしたの?」


 話題を変えようと、私達の後ろからことりちゃんの荷物を持ってついて来てるケンに目をやると、怪訝そうに眉根にシワを寄せたケンが背後をチラチラと見てた。


「あんたまさか、まだ機嫌悪いの? 荷物持つくらいでそんなに怒ることないじゃん。それなら私がここからは持つし」


 肝っ玉の小さい奴だな。いつからそんなちっさい奴になったんだ。ってか私が今朝怒ってた時は、生理前だのなんだの言ってうるさかったクセに……なんて思って、ケンが肩から下げるようにして持っていたことりちゃんのリュックを掴んだ、その時だった。


「カヨ、あいつって今朝会った男じゃね?」


 耳打ちするようにそう言ったケンの言葉。思わずケンと目を合わせた瞬間、ケンは目線でその相手の位置を知らせた。

 太陽がまだ高い位置にある夕方。夕日がそろそろ辺りを朱に染めてもいいくらいなのに、まだ日は高い位置に力強く君臨している。

 そのせいか、私はケンの目が指し示す方向をなかなか見る事が出来ないでいた。だってそこはちょうど太陽がバックに神々しくも輝いているところだ。私はスッと目を細めて、じっくりとその位置を確認した。

 ——あっ。

 ケンのちょうど肩先から覗く顔、それは今朝横断歩道で会ったあのおじさん。そして、今朝の夢で見た人だった。

 秋とはいえ日中は特に気温が高いというのに、見ているだけで体温が上がりそうなほどむさ苦しい無精髭と長い髪。私が露骨に見すぎていたせいか、おじさんは物陰に隠れるようにして、角を曲がっていった。


「あいつ、さっきからずっと、俺達と同じ方向を歩いてたんだ」

「えっ、そうなの?」


 私が純粋に疑問を口にした間も、ケンは怪訝そうな顔であのおじさんが曲がった先を見てる。


「胡散臭いと思わねー? 俺らが学校を出たあたりからずっとだぞ?」

「それって、単に偶然、同じ方向だったんじゃない?」


 純粋に疑問を口にしたにも関わらず、私は自分の言葉に違和感を覚えた。ケンがどうしてこんなに怪訝そうな顔をしているのか。

 それにケンは言った、私達が学校を出たあたりからずっと同じ方向を歩いてたらしい。

 学校を出てからだったら、少なくとも10分は経ってる。ことりちゃんの歩調に合わせてゆっくり歩いてるとはいえ、ずっと同じ方向なのはちょっと胡散臭いと感じても仕方がないと思う。

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