第11話 魔王の花嫁

 部屋を出ると城内はアストリアの想像以上に酷い有り様だった。いたる所が崩れ、煙を上げ、負傷者で溢れていた。既に動かない者も視界の中に容赦なく入ってきた。特に建物の外、城門付近は酷かった。城全体でどれ程の負傷者と死者がいるのか想像もつかない。


 あまりの惨状にアストリアは自分の血の気が引いて行くのが分かる。助けを求める負傷者に手を差し伸べる者などはなく、まさに地獄と呼べるような惨状だった。

 

 跡形もなく破壊された城門の前でアストリアは足を止めた。アストリアの手を握っていたクアトロの足も必然的に止まる。


「クアトロさん、これは……」


 アストリアの声が震える。


「すまなかった。アストリアの国をこんなことにしてしまって。穏便にとはいかなかった」


 クアトロは顔に苦渋の色が浮かんでいる。

 アストリアはそんなクアトロの手をそっと離した。


「ごめんなさい。私は一緒に行けません。これを目にして、それを無視して一緒に行くことなどはできません」


 アストリアは固く唇を噛み締める。そうでないと涙が溢れてしまいそうだった。

 クアトロと一緒に行けないこと。自分のせいで城の者たちが傷つき、死んでしまったこと。城のあちらこちらが破壊されてしまったこと。それらの思いやこの光景がアストリアの頭の中で渦を巻いている。


 でも、クアトロを一方的に非難できないのも分かっている。クアトロは自分を助けるためにこの惨状を生み出したのだ。それこそクアトロも命を懸けて。

 

 そのようなアストリアを見てクアトロがゆっくりと口を開いた。


「……アストリアはそう言うだろうと思っていた」

「何を思っていたと言うのですか?」


 自分の口調がクアトロに対して非難めいたものになってしまう。それがアストリアは嫌だった。だがこの惨状を目の当たりにしてしまうと、そう言わずにはいられなかった。


「スタシアナ、すまない。力を貸してくれ」


 クアトロは自分の背後を振り返り、そう声をかけた。背後からスタシアナが、とてとてと現れる。次いでマルネロも姿を現す。

 

アストリアの前に現れたスタシアナは、むーっといった顔でアストリアを見ている。そのスタシアナの背には漆黒の翼があることにアストリアは気がついた。


「ぼくとしてはかなり複雑なんですよー。でも、クアトロがそうして欲しいと言うから仕方なくするんですからねー」

「すまないな、スタシアナ」

「これを使うと三日は立てなくるんですよー。クアトロがしっかりとぼくの面倒を看るんですよー」

「ああ、分かってる。宜しく頼む」


 クアトロはそう言って、視線をアストリアに戻した。


「アストリア、安心してくれ。彼女は堕天使だ」


 先程、気がついたばかりなのだったが、確かにスタシアナと呼ばれる少女の背中には前に会った時にはなかった漆黒の翼が揺れている。


「堕天使ゆえに、元天使だから使える魔法がある」


 その言葉が終わると同時にスタシアナは呪文を唱え始める。やがて、スタシアナの体を黄金色の光が包み込む。同じく神聖魔法を使うアストリアには分かる。これは紛れもなく神の力だと……。


「蘇生……零式」


 スタシアナを包んでいた黄金色の光がスタシアナを中心にして一気に膨れ上がった。そして、その光は城全体を包み込む。

 やがて黄金の光が薄れると同時にスタシアナが崩れ落ちる。それをクアトロが優しく抱き止めた。


「……流石だな。ありがとう、スタシアナ」


 クアトロは抱き止めたスタシアナに、優しく語りかける。クアトロの腕の中で金色の頭が僅かに頷いたようだった。

 やがて少しずつであるが、動き始める人の気配があちらこちらで感じられる。


「これで傷ついた者たちの傷は完治したし、死んだ者たちもこれで復活する。もつとも復活した者たちは暫く立ち上がれないだろうがな」


 広範囲に渡る回復と蘇生の魔法。それは紛れもなく神の力を代行すると称している天使の力だった。


「皆が無事にとは言え、俺たちがアストリアの国の人々を傷つけ殺したのは事実だ。本当に申し訳ないと思っている」


 クアトロがそう言って頭を下げた。アストリアは溢れてくる涙を堪えて嗚咽を漏らしながら、頭を左右に振るのだった。





 「だから、何でお前までついて来るんだよ!」


 クアトロ一行は自分たちの国、エミリアス王国へと戻る途中だった。クアトロとしてはもっとアストリアの側にいて彼女と色々な話をしたいのだが、それを何かとダースが邪魔をしてくるのだった。

 

 そもそも、クアトロはダースについてきてよいなどと言った覚えなどはなくて、知らない間に勝手についてきやがってとの思いがクアトロにはある。


「私はアストリア様の護衛騎士だからな。アストリア様について行くのは当然だ」

「護衛騎士? 金魚の糞の間違いだろう」


 生真面目に答えるダースにクアトロが憎まれ口を叩く。


「糞とは何だ。騎士を糞呼ばわりするな。失礼だぞ!」

「この、う○こ騎士」

「う、う○ことは何だ。貴様、叩っ斬るぞ!」

「面白い。やるのか? う○こ騎士!」





 先頭の二人が言い合いをしているのをアストリアは苦笑しながら見ていた。そんなアストリアにマルネロが声をかける。


「アストリア、本当にいいの? 皇女の地位を捨ててあんな馬鹿ちん王の花嫁になるとか言って。今、う○こを連呼してる、史上最低の国王なのよ」


 そう言われてしまうとアストリアは苦笑を返す他にない。そして、花嫁と言われると頬が上気するのが自分でも分かる。照れや羞恥はあるが、自分の中でそれに対する後悔といったものは一切ないと思っていた。


「はい。私は魔族の王の花嫁となるために一緒に来たのですから」

「そっかあ。これで本当にろりこん王の誕生よね」


 クアトロがろりこんと言われて否定したいのだが、その一因が自分にあるのでアストリアに返す言葉がなかった。

 気がつくと堕天使のスタシアナが、むーっといった顔で自分を見ている。


「えっと、スタシアナさん、目が怖いんですけど……」


 アストリアが、あたふたと両手を上下に振る。


「クアトロは、ぼくのことが大好きなんですよー」

「はい……」


 アストリアが、しゅんとなる。


「ちょっと、スタシアナ、あまりアストリアを虐めちゃ駄目よ」

「マルネロはアストリアの味方なんですねー。ふん、いーっ、だ!」


 スタシアナはそう捨て台詞を残してクアトロの方へ、とてとてと駆けて行く。そして不意に振り返るとマルネロに向かって叫ぶ。


「マルネロのお化けおっぱいー。ばかー。う○こー」


 マルネロに怒られたのが悔しいのかスタシアナはそう叫んで再び、とてとてと駆けて行く。


「あのろりこんばばあ……」


 アストリアの隣でマルネロが怒りを噛み殺しながら呟いている。


「嫌われてしまいました……」


 とてとてと駆けて行くスタシアナの背を見ながらアストリアはそう言った。新参者としては皆と仲良くしたいとの思いがあったのだけれども……。


「アストリア、あまり気にすることはないわよ。スタシアナは、あざといだけだから。あのろりこんばばあの半分は演技よね。いえ、ほぼ全部が演技かも。見た目は十歳、言動は五歳、実際の歳は……って感じだからね。あの堕天使は……」


 マルネロはそう言って、笑いながら片方の目を瞑って見せた。


「あ、危ね! お前、本当に剣を抜きやがったな。やる気か? やるのか。やれんのか。このう○こ!」

「貴様、せめて騎士をつけろ!」

「うるせえ。この、う○こ、う○こ、う○こーっ!」

「あーもう、あんた達、うっさいのよ! いつまで子供みたいな喧嘩をしているつもりよ」


 マルネロがそう言って、先頭で子供のように揉めている二人の下へと駆けて行く。

 何かと騒がしいのだけれども、本当に楽しい旅だとアストリアは思う。王宮にいた頃には想像できなかったぐらいの楽しさだった。


 正直、魔族はまだ少しだけ怖いし、その魔族の国に行くことに不安もある。でも、マルネロやスタシアナ、護衛と称してついて来てくれたダースがいれば大丈夫だとも思う。


 そして、何と言っても傍には自分を救ってくれた魔族の王、クアトロがいるのだ。

 

 気がつくと少しだけ遅れたアストリアを心配してのことなのか、クアトロが足を止めて自分に手を振っている。そんなクアトロの姿を見ながら優しくて綺麗な赤い瞳だとアストリアは思う。そして、アストリアはそれに笑顔で応えて遅れた足を早める。


 そう、私は魔族の王、魔王の花嫁となったのだ。

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