第9話 帝都襲撃

 帝都に着いたアストリアはすぐに謁見の間へ呼ばれたのだった。玉座の前で跪く娘に皇帝がかけた言葉には、何者かによる刺客に襲われた娘を労るものは一つもなかった。父が娘にかけた言葉は不用意に出歩いたことへの叱責と、婚姻の時まで自室で謹慎という言葉だけであった。


 自室に戻ったアストリアは小さく息を吐き出した。アストリアの背後には彼女を護衛する騎士のダースが控えている。


「ダース卿、大丈夫です。父上が仰いましたように婚姻の時まで、この部屋から出ることはありません」


 アストリアは背後を振り返らずにそう言った。ダースが今、どのような顔をしているのか。アストリアには手に取るようにそれが分かった。そして、更に言葉を続ける。


「ダース卿、そのような顔をしなくても私は大丈夫ですよ」


 アストリアは微笑み、背後を振り返る。


「アストリア様……」 

「ダース卿、私は大丈夫です」


 父親が自分に冷淡なのは今に始まった話ではない。物心がついた時から父親に抱かれた記憶すらないアストリアだった。父親からの愛情などは遥か昔に諦めている。


 宮中で給仕として働いていたというアストリアの生母。皇帝に見初められたと言えば聞こえは良いが、実際は皇帝の戯れに手をつけられただけのことだったのだろう。


 自分を産む際に不幸にも命を落としてしまったが、実の母親が生きていれば少しはこの状況も変わっていたのだろうかと思う時もある。

 母が生きていれば、父親が六十歳を超える相手に第六妃として娘を差し出すことを止めてくれたのだろうか。


 第六妃などは人質としての価値がほぼないに等しい。ベラージ帝国にしても、ジスガリタ王国にしても事が起これば、自分達の都合で何の躊躇いもなく同盟を破棄してしまうだろう。そして、その結果として殺されるだけの存在でしかない。


 アストリアはそこまで考えると小さく一つだけ息を吐き出した。


「皇族としての務めは心得ています。ですからダース卿、私は大丈夫です」


 もう一度そう繰り返すアストリアだった。





 「ねえ、やめようって。絶対にヴァンエディオに怒られるわよ。人族との戦争になるかもしれないのよ。クアトロ、ちょっと聞いてるの!」


 クアトロたちは今、帝都リドルの中心に位置する城の城門にいた。城門は当然固く閉じられており、城門の前に数名の衛兵がいる。


「ねえ、止めようって。ちょっと、スタシアナもクアトロを止めてよ」

「あの皇女のことには納得してないですけど、ぼくはいつでもクアトロの味方ですよー」

「ですよーじゃないわよ。戦争になるのよ!」


 スタシアナは難しいことは分からないといった感じで首を傾げてる。

 こいつら駄目だとマルネロは思う。クアトロは言い出したら聞かないし、そもそもスタシアナはクアトロの言うことならば、いつでも全面支持の存在だ。こうなってしまうと言うだけ無駄だった。


「マルネロ、派手にやってくれ」


 クアトロが城門を指差す。


「どうなっても知らないからね!」


 マルネロは半分自棄になってそう叫んだ。絶対にヴァンエディオに怒られると思いながら……。


「爆炎!」


 突き出されたマルネロの両手から炎の渦が迸った。





 ベラージ帝国騎士団長ヴェリアスはその日、午後のひと時を大好きな紅茶を飲みながら過ごしていた。


 場所は中庭。ジスガリタ王国国王とアストリアとの婚姻も決まり、正式な同盟も決まっている。これで長く続いていたジスガリタ王国との小競り合いも暫くは落ち着くこととなるのだろう。


 十二歳というアストリアの年齢とアストリアが置かれる第六妃という立場を考えると不憫に思わないでもないが、これも王家に生まれた者として仕方がないことだと思っていた。


 少女の犠牲の上にある束の間であろうこの休息を感受しようと、改めて紅茶を一口飲み干そうとした時だった。爆音と共に城の城門の方角から爆煙が上がる。

口に含んでいた紅茶を思わず吐き出して騎士団長ヴェリアスは激しく咳き込んだ。


「な、何ごとか」


 紅茶で濡れてしまった顎を拭いながら、ヴェリアスがそう言う。近くの者もそう訊かれたところで答えられるはずもなく、青い顔をして立ち昇る爆煙を見上げている。


「鎧をすぐにここへ。行くぞ!」


 ヴェリアスは、そう命じるのだった。





 鎧を纏い長剣を帯びたヴェリアスが城内の城門前に着くと、そこは信じられない光景で満ちていた。


 まず城門は跡形もなく吹き飛ばされていた。何がどうなればベラージ帝国が誇るあの固く巨大な城門がこのような状態になるのだろうかとヴェリアスは思う。巨大な邪竜でも暴れない限り、こうはならないだろうといった城門の惨状だった。


 次いで城門内は逃げ惑う者たちと、剣を取って駆けつけようとする者と、継続的に起こる爆炎と爆音、そして熱風とで満ちていた。


 この爆炎は一体どこからくるのかと思い、ヴェリアスがかつての城門近くを見ると赤い髪に黒い服の者がまるで無秩序の如く爆炎魔法を連続で四方に放っていた。


「……女か?」


 ヴェリアスは呟く。


「逃げろ、消えてなくなるぞ!」


 次いでそんな悲鳴が起こり、ヴェリアスはその悲鳴の方へと視線を向けた。そこには十歳程にしか見えない少女が宙に浮かんでいる。そして、その背には黒い翼が生えている。


 少女が両手を前方に差し出す度に、そこから金色の光が発せられ、その光が消えた後には人の姿形が消失してしまう。後に残るのは湯気のようなものだけだった。


「……神聖魔法なのか?」


 ヴェリアスは呟いた。


「ジスガリタ王国の手による者たちでしょうか?」


 近くの者が震える声でそう言う。いや、違うなとヴェリアスは思う。同盟が成立しようとしている今、このような襲撃をしてくる意味が全くない。同盟に反対する勢力だとしても狙うべきは皇女アストリアであって、このような襲撃では意味がないのだ。


 それでは別の勢力か。彼らの背後には、既に奴らの味方である大軍が控えているのだろうか。

 そんな馬鹿なとヴェリアスは思う。そんな大軍が今まで誰にも感知されることもなく、帝都に近づくことなどできる筈がないのだ。


 では一体、奴らは何者で何を目的に暴れまわっている? ヴェリアスはそこまで考え、彼らの中心で長剣と魔法を振るう者に目を向けた。

 暗い灰色の髪と濃い赤色の瞳。まさかと思いヴェリアスはもう一度、爆炎魔法を連続で発している乱入者に目を向けた。


 ゆったりとした黒い服に包まれているにもかかわらず、あり余る存在感を示しているたわわな胸。燃えるかのような赤髪とその瞳……。


 次いでヴェリアスは、宙を飛翔する少女へと再び目を向ける。金髪と碧眼、そして漆黒の翼を持つ少女……。


「間違いない。あれは魔族、エミリアス王国の四将の魔導師マルネロと堕天使スタシアナだ。そして中央にいるのは魔族を統一したという国王の魔王クアトロだ」


 近くで付き従っていた騎士がその言葉を聞いて唖然とした顔をしている。そんな顔をしたいのはこちらの方だと、それを見てヴェリアスは思う。


 なぜ魔族の王がいきなり攻めてくるのか。確かにベラージ帝国は魔族が住む地域と隣接しているため、魔族との争いは遥か昔から断続的に続いている。しかし、この十数年は互いに領土を侵攻するような大規模な争いなどなかったはずである。


 それがなぜ今、王自らがそれもたった三人で攻めてくるのだ?

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