第8話 襲撃
アストリアも片手を差し出して、自分に差し出されたクアトロの手を握った。そして、アストリアはもう一方の手も重ねて、クアトロが差し出した片手を自分の両手で包み込む。
アストリアが明るい茶色の頭を少しだけ下げて俯いた。
そして、少しの時が流れる。
アストリアは自分の両手で包み込んでいたクアトロの手をゆっくりとクアトロの方に押し戻す。
「ありがとうございます。私もあなた方と冒険者になれたのなら、どんなに楽しいかと思います。冒険者になって、色々な冒険をしながら困っている人を助けて。ええ、きっととても楽しいでしょうね」
「では俺と行こう」
アストリアは、明るい栗色の頭を左右に振った。
「私はもうすぐ、ジスガリタ王国の王と婚姻を結ぶのです」
「婚姻……」
思いもよらない言葉が出てきて、思わずクアトロの声が跳ね上がる。
それを見てアストリアが少しだけ微笑む。
「驚くほどの話ではないのです。私も既に十二歳。王族や貴族の婚姻では珍しくもない年齢です。それに婚姻といっても、相手の第六妃になるだけです」
「第六妃……」
「私の婚姻は互いの国同士で思惑が合致した証です。簡単に言うと同盟のための人質ですね。もっとも、側室の子で第四皇女の私に人質として、どれだけの価値があるのかは分かりませんが」
アストリアが少しだけ自嘲気味に微笑む。浮かべたその微笑みは、クアトロの胸を確実に抉ったようだった。
「アストリアはそれでいいのか?」
いいはずがないというのが分かりながらもクアトロはそう訊いた。
「皇族に生まれた者の役目だと思っています。だからこそ今まで、何不自由もなく育てられてきたのですから……」
不意にクアトロは片手でアストリアの言葉を制した。迂闊だった。どうやら既に囲まれているようだった。人数は三人か四人といったところだろう。
魔導師がいると厄介だなとクアトロは瞬時に思う。既に呪文の詠唱が始まっているかもしれなかった。自分一人であればどうとでもなるが、魔法攻撃から他者を守るのは難易度が高い。魔法を得意とするマルネロやスタシアナがいればよかったのだが。
幸い一撃目の攻撃は魔法ではなかった。宙を三つの影が舞い、それぞれの手には短剣が見える。クアトロは一人を宙で片手から放った炎系魔法で吹き飛ばす。火炎の球を受けた影は絶叫を上げながら後方へと吹き飛んで行く。
炎系魔法を放つと同時にクアトロはアストリアの片手を掴むと、即座に場所を移動する。残る二つの影は着地すると、一歩、二歩とクアトロたちを追って走り出す。
三歩目の時、クアトロは振り向きざまに長剣を一閃した。一つの影が絶叫と共に肩口から一気に斬り下げられる。それを見て、残る最後の影が後方へと飛んで間を取った。
「クアトロさん!」
背後にいるアストリアが短く叫ぶ。
左手を見ると、氷の刃が向かって来ている。
「爆炎!」
その瞬間、クアトロの右手側から炎の渦が出現し、クアトロとアストリアに向かって来ていた氷の刃を全て飲み込んだ。氷の刃は瞬時に蒸発する。
「あらあら、少し腕が鈍ったんじゃないかしら?」
どこか間延びした、それでいて芝居がかった声がする。やがて茂みからマルネロが姿を現し、クアトロとアストリアの前へとやって来る。次いでスタシアナも、とてとてと歩きながら姿を現す。
「いちゃいちゃしてるから、後をつけられてることも、囲まれていることにも気がつかないのよ」
マルネロのその言葉に反論できないクアトロだった。スタシアナは、むーっといった顔でクアトロを見ている。
「マルネロ、来るぞ!」
取り敢えずマルネロへの反論は置いておいて、クアトロが注意を促す。再び左手から今度は爆炎が迫って来る。
「うっさいわね! 爆炎はこうするのよ」
マルネロは一声だけ叫ぶと、迫りくる爆煙よりも二回りは大きい爆炎を放った。その爆炎は迫りくる爆炎を難なく飲み込み、そのまま術者ごと飲み込んでしまった。
術者の絶叫が辺りに響いた。その絶叫が終わると同時にスタシアナが、とてとてと残る一つの影に向かって無造作に進んで行く。
「スタシアナさん、危ないです!」
アストリアは思わずそう叫んでしまったようだった。
残された最後の影が近づくスタシアナを目がけて、手にしている短剣を横に払った。
「クアトロを虐めるのは駄目なんですよー」
その短剣をスタシアナは軽く上半身を逸らすだけで難なく避けて見せた。
「……消滅!」
叫ぶ間もなく最後の影は金色の光に包まれる。そして、金色の光が霧散した後には僅かな煙以外はそこに何も残っていなかった。
「……まあ、こんなもんよね」
マルネロはそう言うとアストリアに顔を向けた。
「皇女様、お怪我はなかったでしょうか」
「大丈夫です。ありがとうございました。お二人共、とても強いのですね」
「まあ、大したことはないわよ」
アストリアが称賛する言葉に興味がなさそうな顔をしながらマルネロは言葉を続けた。
「襲撃者に心当たりは?」
「おそらくはジスガリタ王国との同盟に反対する者達たちかと。私を亡き者にすれば、同盟も成立し難くなるでしょうから」
「そうですか。色々と一筋縄ではいかない事情があるようですね」
マルネロは変わらずに興味がなさそうな顔をしている。実際、人族の争いなどに興味はないのだろうとクアトロは思う。
「アストリア、お前はこれでいいのか?」
クアトロが長剣を鞘に収めながら、アストリアにそう尋ねた。
「この先もこうして狙われて続けるのか? 嫌なら俺たちと来い」
クアトロは再びその手を差し伸べた。
「はあ? クアトロ、あんた何を言い出すの。皇女様に向かって」
マルネロが非難の声を上げる。
「ありがとうございます、クアトロさん。あなたに会えて、私も少しは強くなれた気がします。マルネロさんもスタシアナさんも助けて頂いて、本当にありがとうございました」
アストリアはそう言って頭を下げた。クアトロは差し伸べて行き場がなくなった手を宙で固く、固く握り締める。
「彼らをこのままにもできませんね。後のことは私にお任せ下さい」
月明かりの下で、ベラージ帝国第四皇女は更に言葉を続けてクアトロたちにそう言ったのだった。
「ちょっとクアトロ、まだ落ち込んでるの?」
相変わらず何をしても、ふにゃふにゃしているクアトロにマルネロがそう言った。
あの夜以来、ギルドで三つの依頼をこなして一ヶ月近くが経過しているのだったが、クアトロはずっとこのような感じだった。はっきり言って全く役に立っていない状態だ。
今日も何か依頼がないのかといつもの食堂に来たのだが、クアトロはいつもの如くこのような状態だった。
「あれだけなりたがっていた冒険者になったんでしょう? それなのにこれじゃあ……」
「うるさい。俺はもう駄目なんだ。会ったばかりの女の子に二回も振られたんだぞ」
「女の子って……まだ子供じゃない。このろりこん王は……」
マルネロがそう言ったものの、クアトロはそれまでのようにいつもの言葉を返してはこない。ふにゃふにゃしているだけである。
スタシアナはと言うとそんなクアトロを相変わらず、むーっといった顔で見ている。
駄目だ、こいつらはとマルネロは思う。
そんな状態だったクアトロが不意に口を開いた。
「マルネロ、帝都はここから遠いのか?」
その言葉にマルネロは嫌な予感を覚える。この感じは馬鹿ちん王が考えることを止めた瞬間だ。
「駄目よ、クアトロ! 下手なことをしたら、魔族とこの国のとの戦争になるのよ。クアトロは魔族の王なんだからね。戦争なんかになったら、ヴァンエディオに目茶苦茶怒られるわよ!」
冷たい顔をしたヴァンエディオの姿がマルネロの脳裏に浮かぶ。マルネロにとっては、それはある種の恐怖といってもよかった。
「うるさい、行くぞ。もう考えても分からん!」
「あっ、ちょっと待ちなさいよ!」
どんな捨て台詞よとマルネロは思いながらも慌てて立ち上がる。スタシアナも次いで立ち上がって、むーっといった顔で、とてとてとクアトロについて行ったのだった。
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