第7話 邂逅
クアトロたちはその日、孤児院で一泊することになった。あてがわれた部屋の寝台に転がって、マルネロは大きく伸びをしている。その横ではスタシアナがちょこんと座って、ベッドの外側で宙に浮いてる足をぶらぶらさせていた。
「それにしても立派な皇女だったわね」
マルネロが感心したように言う。
「そうだな。あの歳で大したものだったな」
クアトロも頷く。
「そうですね。立派だったんですよー」
スタシアナもそう感じたようだった。感心したように頷いている。
「綺麗な皇女だったな。明るい栗毛色の髪が輝いていたな。あの深緑色の瞳に見つめられた時など……」
クアトロはそこまで言って、マルネロが口をあんぐりと開けているのに気がついた。スタシアナは、むーっとした顔でクアトロを見ている。
失言をしたらしい。クアトロは軽く咳払いをして言葉を続けた。
「まあ、あれだ」
「どれよ?」
「どれなんですかー?」
たちまちマルネロとスタシアナが言葉を重ねて来る。
「……立派な皇女だなという話だ」
「そっちだったかー」
マルネロが両手を上げ、声を張り上げる。
「てっきり、ろりこんふらぐは孤児院のユナちゃんだと思ってたのに、あの皇女だったとは……それともまさかの両方……怒涛の展開なの?」
「何を言ってる? 俺はろりこんなどではない。だから、そんなふらぐは立たん!」
「はあ……」
深い溜息と共にマルネロが赤い頭を垂れた。スタシアナは変わらず、むーっといった顔でクアトロを見つめている。
いや、本当にろりこんではないんだぞ。多分、ろりこんなんかではないんだぞ、とクアトロは思う。
「……少し散歩に行ってこようかな」
クアトロはそう独りごちて部屋を後にした。
「ろりこんさん、変なことをしては駄目よ。衛兵さんに捕まるんだからねー」
クアトロの背後からそんなマルネロの声が聞こえて来た。
孤児院を出て特に行くあてもなく歩いていると、クアトロは小川にぶつかった。ここまで来るとかなり街の外れになるのだなとクアトロは思う。魔獣に遭遇することもあるかもしれない。
それにしても、この夜は綺麗な夜空だった。月光も明るくて神秘的に周囲を照らしている。
人族の世界に来たのは初めてだったが、魔族のそれと何ら変わることはないなと思う。勢いのままに魔族の王などになったのだったが、このまま人族の世界で冒険者として暮らすのも悪くないのかもしれない。
こんなことを言い出したら仲間たち、四将と言われている仲間たちに叱られてしまうのだろうなとも思う。彼らが自分を王にする為に様々な苦労をして来たのをクアトロは知っている。時に苦しみ、時に傷ついて来たのだ。
だが、王となって自分は何をやるのだろうか。今は王の身であるにもかかわらず、気儘に人族の世界などに来ているが、いずれは建国時の混乱も収まって自分は王としてあの国に縛りつけられるのだろうか。それが自分の望んでいたことなのだったろうか。
ただ一方で例えあの国に縛りつけられたとしても、ヴァンエディオがいればこれまで通り自由気儘にやれる気もする。
「分からないな……」
そこまで考えてクアトロはそう呟いた。分からないことは考えない。それがクアトロの主義だった。決して馬鹿な訳ではないぞとも思う。
それ以上考えることをクアトロが放棄した時だった。右手にあった茂みが僅かに揺れる。
クアトロは赤い瞳を茂みに向けて腰の剣に手を置く。強力な魔獣がこのような街の近くに現れるとも思えないが、油断はしない方がいい。
やがて茂みから現れたのは小さな人影だった。人影は胸の上で両手を重ねていた。
「クアトロ様だったのですね。少しだけ、びっくりしました」
びっくりしたのはクアトロも同じであった。茂みから現れたのは昼間に会ったアストリア皇女だったのだから。
「皇女様でしたか。どうしてこのような所に。お一人ですか?」
クアトロが最もと言うべき疑問を口にする。アストリアは少しだけ恥ずかしそうに俯くと、散歩にといった言葉を口にした。
「お一人で散歩とは少々危険なのでは?」
「そうですね。でもこの辺りでは魔獣が出ることもないでしょうし、私も少しぐらいの心得はあります」
そういう問題でもないだろうとクアトロは思ったが、それを口にすることはなかった。
「クアトロ様は何をなさっていたのですか?」
「私も散歩です」
まさか仲間たちにろりこん、ろりこんと責められるのが嫌で部屋から逃げて来たと言えるはずもなく、クアトロは芸のない言葉を返した。
「そうですか。それでは私と同じですね」
アストリアはそう言って微笑んだ。月明かりに照らされた明るい栗色の髪は黄金色に輝いており、アストリアをより一層、神秘的に見せているようだった。
目が眩むぐらい美しいんだけど。
この世の者とは思えないんだけど。
クアトロは心の中で呟く。こんなことを少女に思う自分はやはり、ろりこんの変態なのだろうか。
自分がろりこんである証拠を突きつけられたようで、何だか泣きたくなってきたクアトロだった。
「クアトロ様のその瞳、クアトロ様は魔族の血を引いているのですか?」
そう訊かれて、クアトロは軽く頷いて肯定を示した。
「……魔族は嫌いですか?」
アストリアは月光を受けて金色に光る頭を左右に振った。
「綺麗な赤い瞳だと思います。素敵だと……」
そう言ってアストリアは自分の言葉の意味に気がついたのか頬を赤らめた。
「ありがとうございます、アストリア様。瞳の色を褒められたのは初めてです」
「クアトロ様、丁寧な言葉を無理に使うことは不要かと。今はあなたと私の二人だけです。誰に文句を言われることもありませんので。失礼ながらクアトロ様は丁寧な言葉を使うと、顔がいつも引き攣っておられるようなので……」
アストリアが微笑みながらそう言った。クアトロはそんな表情をしていたのかと苦笑する。
「それでは遠慮なく。堅苦しいのは苦手なので」
「はい。私のことはアストリアとお呼び下さいね」
「では、俺のこともクアトロと呼んでくれ」
そう言って二人は微笑み合った。そして小川の斜面に二人で腰を下ろす。
クアトロが隣に座るアストリアに目を向ける。アストリアは正面に深緑色の瞳を向け、風で揺れる明るい栗色の髪を片手で押さえていた。
美しいなとクアトロは思う。この光景でそれ以外の言葉が出てこない程に美しいと思った。
「冒険者とは自由なのでしょうね」
やがてアストリアが口を開く。
「まあ、そうだな。自由だな」
実際は冒険者が本職ではないし、しかも初心者なのだったが、そうクアトロは頷いた。
「羨ましいですね」
「アストリアは、自由ではないのか?」
一国の皇族なので、当然それなりの縛りはあるのはクアトロにも想像はできた。実際、クアトロ自身も国王であり、こうして自由気儘に過ごしていても先程のように息苦しさを時に覚えるのだから。
「私には行いたいことが沢山あります」
クアトロの問いには直接答えずにアストリアはそう言った。そして、言葉を続ける。
「孤児院の件もそうなのですが、皇族の身でありながら、間違っていることを何一つ正すことができません。皇族だからこそ正さねばならないことを何一つとして正せないのです。行いたいことが沢山あっても、できないことばかりなのです」
アストリアがまだ幼いから。いずれはそれが可能な立場になれる。そのようなありきたりな言葉をアストリアは求めていない気がした。
「……そうか。だが、できないと自分で決めつけることはない。できないなどと自分で限界を決めつけないで、それをやり続ければよいと俺はそう思うな」
「何度、駄目だったとしてもですか。どのように考えても駄目だと思ってしまっても?」
「そうだ。諦めなければ、限界などありはしない」
そう言いながら、マルネロが聞いたら脳筋の理屈ねと一蹴するだろうなとクアトロは思う。
「クアトロさんはきっと強い方なのですね」
「強くはない。ただ頭がよくないのでな。考えるのは苦手だから何度駄目でも、間違っていても、失敗しても、それをやり続けるだけなのだろうな」
クアトロがそう言うと、アストリアは優しく微笑んだ。
「私もクアトロさんのように自由になれたらと思います。そうすれば、クアトロさんのように強くなれる気がします」
……自由に。
クアトロは心の中で呟いた。確かに皇族の身分であれば、自由などといった言葉はどんなに言葉を重ねても絵空ごとでしかないのかもしれなかった。
ならば……。
「ならば、俺がアストリアをさらってやる。俺と一緒に来い。俺がアストリアを自由にする。強くする。そして、アストリアは自分が望むことをやればいいさ」
クアトロはそう言って、アストリアに片手を差し出した。
この少女を助けたいと思った。
この少女を守りたいと思った。
そして……愛おしいと思った。
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