第6話 皇女アストリア
クアトロたちが孤児院に戻って来たのは、出発してから二日後のことだった。
確かに目当ての薬草を入手することはできた。僅か一握りではあったが。これで足りるのかどうか。クアトロとしては少しだけ不安になる。
……しかも、何か凄く疲れた。
それがクアトロの率直な感想だった。
たかが薬草を採りに行くだけで、薬草が生えていた丘の形状が変わり、途中にあった森の五分の一が消滅。四分の一が焼失した。
四将の魔導師と堕天使が通った跡は、ぺんぺん草も生えていないという噂は本当なのかもしれないと思うクアトロだった。
孤児院の前は以前に来た時と違い、物々しい雰囲気となっていた。孤児院の敷地内や外が兵士で溢れているのだ。その数、三十名程だろうか。兵士が身につけている紋章を見ると、どうやらベラージ帝国の正規兵で間違いはないようだった。
「何の騒ぎだ、これは?」
不用意に近づくこともできず、遠巻きにそれを見ていたクアトロがマルネロに向かって言う。
「さあ? でも孤児院で何かあった感じではないわよね」
確かに兵士達は整然と並んでおり、これから何かの行動を起こすような様子は見られない。
そんなことを二人で話していると、孤児院から院長のケイトが出てくる。
「あ、院長さんなのですー」
スタシアナがクアトロの横で、ぴょんぴょん跳ねながら手を振る。院長のケイトもそれに気がついて、こちらに手を振り返した。
「皆様、無事にお戻りになられたのですね」
「はい。先ほど着いたばかりです。薬草も僅かですが、採ってくることができました」
クアトロはそう言って、薬草を差し出した。ケイトが礼を言いながらそれを受け取る。
「これだけあれば十分です。これであの子、エドも大丈夫です。報酬が銅貨一枚だというのに依頼を受けて頂いて、本当にありがとうございました」
ケイトが重ねてクアトロたちに礼を言う。
「いや、依頼自体はそれほど大したものではなかったですしね。礼などは不要です。それよりもこの兵士達は……」
「あ、そうですよね。私ったら何の説明もなく……」
ケイトがそこまで言うと、孤児院の中から三つの人影が出て来た。中央の人影は左右を騎士と思しき者に挟まれている。
「院長殿、外で何かありましたか?」
中央にいる人影がそう言う。人影は明るい栗色の髪と深緑色の瞳を持つ少女だった。歳はスタシアナより少し上に思える。十一、十二歳といったところだろうか。着ている服からして貴族などのかなり身分が高い者のようだった。
「アストリア様、先程お話し致しました冒険者の方々です」
アストリアと呼ばれた少女はそれに軽く頷くと、深緑色の瞳を真っ直ぐにクアトロに向けた。
「私はアストリアと申します。あなたたちが薬草採取に行って下さった冒険者なのですね。話は院長殿から聞いております。私からもお礼を言わせて下さい。この度はありがとうございました」
アストリアはそう言って栗色の頭を下げた。高貴な身分にもかかわらず、どこの者とも知れない冒険者に対して頭を下げることには抵抗がないようだった。
「いえ、畏ってお礼を言われるほどのことではないです。私はクアトロ。そして、冒険者仲間のマルネロ、スタシアナと申します」
クアトロに次いでマルネロも頭を下げた。スタシアナも少しだけ遅れて、ぴょこんと金色の頭を下げる。
「アストリア様、彼らが採って来て下さった薬草がここに」
「そうですか。よかったです。これであの男の子も大丈夫ですね」
アストリアは小さな両手を胸の前で重ねて、安堵のため息を吐いた。
「アストリア様は帝国の第四皇女でいらっしゃいます。近くの教会で公務があり、その足でこの孤児院にも様子を見に頂きまして……」
「急な訪問で迷惑を掛けてしまいましたね」
「いえ、迷惑などと……」
ケイトがそこまで言うと、左右にいる騎士の一人が口を挟んで来た。
「アストリア様、外では何かと不都合が。兵たちも落ち着きませんので、中に入られてはいかがかと」
「ええ、そうですね。大変失礼致しました。皆様、どうぞお入り下さい」
騎士の言葉に院長のケイトが慌てたようにそう言うのだった。
孤児院の食堂と思しき部屋に皆は通された。院長のケイトが申し訳なさそうに頭を下げる。
「申し訳ございません。失礼かとは思うのですが、この人数が入れる部屋がここしかなく……」
「大丈夫です。こちらこそ外の者達も含め、この人数で押しかけてしまい申し訳ありせん」
アストリアは気にする素振りを見せることもなくそう言った。アストリアの左右には、二人の騎士が難しい顔で立っている。
アストリアは深緑色の瞳をクアトロに向けると、再び頭を下げた。
「クアトロ様、今回の一件、本当にありがとうございました」
「いや、もうお礼は十分ですよ」
クアトロは片手を上げて左右に振る。
「いいえ。本来であれば、政を行う我々が行わなければいけないことなのです。孤児院の運営にしても教会に任せておくのではなく、我々から十分な援助をしなければいけないのだと思っております」
「ご立派な考えでいらっしゃいますね」
マルネロがアストリアに対して感心したように言う。どこかの王に聞かせたいとばかりにうんうん頷き、クアトロをちらちらと見ている。
「いいえ……」
そんなマルネロに対してアストリアは明るい栗色の頭を左右に振った。
「そう思っているだけです。実際は何もできてはおりません」
「アストリア様、そんなことはありませんよ。アストリア様はことある毎に私たちの窮状を訴えて頂いております。少しずつですが、改善しております」
アストリアを庇うように院長のケイトが言う。
「ありがとうございます。院長殿にそう言って頂けると、私も少しは心が軽くなります」
アストリアがそう言って少しだけ微笑む。
「今回の一件も私が個人的に薬やお金を与えるのは、そう難しいことではないのです。ですが、この孤児院だけに援助をすることはできないのです。個人的にこの孤児院を援助するのであれば、同じように帝国全土の孤児院も援助しなければなりません。そして、私にはそこまでの力がないのです」
「聡明なお考えですね。政を担うのであれば、確かに公平性も必要かと」
マルネロがそう言うと、そこで初めてアストリアは楽しそうに笑った。
「マルネロ様は先程から私のことを褒めてばかりですね」
アストリアはそう言うと、思い出したように両手を胸の前で軽く叩いた。
「そうだわ。ご迷惑でなければ、こちらを差し上げます」
アストリアはそう言って首につけていた首飾りを外し、クアトロの前に差し出した。アストリアの瞳と同じ深緑色の石が嵌っている首飾りだった。
クアトロは宝飾品に詳しい訳ではないのだが、安物ではないことが分かる代物だった。
「アストリア様、冒険者のような者にそのような行為をなさるのはいかがなものかと……」
アストリアの右側にいた騎士が諫めるかのように割って入ってきた。
「ダース卿、これは今回の報酬ではありません。それに、冒険者のようなといった言い方は失礼です。クアトロ様たちはこの孤児院にとって大恩がある方々なのですよ。相応の礼を持ってしかるべきです」
アストリアにそう言われ、ダース卿と呼ばれた二十代半ばぐらいに見える騎士が苦虫を噛み潰したような顔をする。
「先にも言いましたように、これは今回の報酬ではありません。首飾りはこの孤児院に限らず、他の孤児院でも今後、同様の依頼があった時のために差し上げたいと思います。その時には、率先してその依頼を皆様に受けて頂ければと思います」
「……分かりました。そういうことであれば、受け取らせて頂きます」
クアトロはそう言って首飾りを受け取った。魔族の王であるクアトロが今回のように、冒険者組合で孤児院からの依頼を受けることなどは二度とないと思う。
同じようにアストリアも、自分の眼前にいる冒険者が再び孤児院の依頼を受けることがあるとは思っていないだろう。
ただそれでも、この行為により少しでもこの少女が抱えている思いが軽くなるのであれば、それでいいとクアトロは思ったのだった。
人族の皇族に生まれたアストリアが日々の中でどのような葛藤をしているのか。クアトロには分からない。それでもこの短い邂逅の中で、少女が優しい心の持ち主であることは十分に感じられた。
そんな思いと共にクアトロは少女から首飾りを受け取ると、そっと袋に入れたのであった。
そして、それにしても美しい少女だと改めて思うクアトロだった。
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