8限目同好会(2)

「初めまして。私は5-eの鼓ヶ浦つづみがうら知愛ちあだよ」


 二人が僕の座る机の横で立ち止まると、中川なかがわさんに連れられて来た女子生徒は早速自己紹介を始めた。身長は高めで、髪は肩にかからない程度の長さ。眼鏡をかけており、ブレザーをきっちりと着用している彼女からは、そこはかとなく知的な雰囲気を感じる。


「海水浴場が有名な鼓ヶ浦に、知るを愛すると書いて知愛だ。厳密には、知るを愛するだと愛知あいち、フィロソフィアだけどねえ」


 フィロソフィアは確か哲学用語だったか。雰囲気通り、話の内容からも怜悧さが伺えた。


「ともかく、よろしく頼むよ、南ヶ丘みなみがおか総路そうろくん」


 そう言って彼女は右手を伸ばしてきた彼女の意図が読み取れず、僕は首を傾げる。そもそも、偶然出会っただけのその場限りの関係なのに、何をよろしくするのかという気がする。


「もしかして、ハグをお望みかい?」

「い、いえ、握手で十分です」


 苦笑しながら彼女が続けた言葉を聞いて、僕は席から立っておずおずと右手を差し出す。


「よろしくお願いします……」


 その手を取ってもう一度「よろしく」と言った彼女は、とても満足気な微笑みを浮かべていた。

 一方、彼女と目線を合わせたことで、正面から顔を見ることとなった僕は、その容貌に見覚えがあることに気づく。しかし、彼女自身「初めまして」と言ったのだから、お互い面識は無いはずだ。


「『初めましてなのにどうして見覚えがあるんだろう』って疑問に思ってますね? それは、知愛せんぱいが中学時代に生徒会長をやっていたからだと思いますよ」


 僕が疑問に思うや否や、ありがたいことに中川さんがそれに対する答えを教えてくれた。貫綜かんそう学園は生徒会活動がそれほど活発な学校ではなく、生徒会長の存在感もあまり大きくないので、朧気おぼろげにしか記憶に残っていなくても仕方のないことだ。


「生徒会長が名前すら覚えてもらえていないっていうのは如何いかがなものかとは思ったんだけどね。やろうとしたことがほとんど生徒会顧問の教員たちに握りつぶされてしまって、結局できたのは変わり映えのしない年中行事だけだったなあ」


 女子の靴下の自由化くらいはできると思ったんだけどねえ、と鼓ヶ浦先輩は嘆かわしげに呟いた。本学の校則の不人気ランキングでトップを争うのが、今挙がった女子の制靴下だ。女子は制服がスカートのため靴下が見えるので、学校指定されているのだという。一方の男子は、スラックスで靴下が隠れるからか、特に指定はない。そういえば、生徒会長就任の所信表明演説でも彼女は制靴下について語っていた気がする。徐々に当時の記憶が蘇ってきた。


「生徒会長って、意外と決定権ないんですね」

「中高で生徒会が分かれてるから、学園全体に影響のあることは基本的に生徒会に決定権ないんだよねえ。全学で生徒会を統一すればいいのにね」


 鼓ヶ浦先輩が見せた、諦めにも似たうれいを帯びた表情は、非常に様になっていた。


「そういえば、疑問に思ったんですが」

「『どうして名字しか教えていないのに、いつの間にかフルネームを知られているのは何故か』ですね?」


 生徒会の話に区切りがついたので気になったことを聞こうとしたところ、再び中川さんに質問内容を暴かれた。さっきから彼女には思考を読まれてばかりな気がする。南ヶ丘は何を考えているか分からない、と言われることの方が多い気がするのだが、彼女はどうしてここまでピンポイントで僕の思考を読んでくるのだろう。


「中川さん、エスパーでも使える?」

「無理に決まってます。そんなに不自然に思うなら、あたしが読み取れるはずもないことを考えてみてくださいよー? 文脈から全く外れた突飛なことは、さすがに読めませんから」

「分かったよ。何か考えてみる」


 何か言いたげにしている鼓ヶ浦先輩を余所よそに、僕は彼女の挑戦を受けることにした。とはいえ、いきなり突飛な発想が思い浮かぶこともない。どうしたものかと考え込んで下を向いたところ、視界に入った光景に些細ささいな違和感を覚えた。


 口に出したいことを必死に押し留めている様子の鼓ヶ浦先輩は、黒タイツを履いており足は完全防備。11月になって少し肌寒くなってきたので、特に違和感はない。ちなみに、靴下と同じくタイツも学校指定のものが決まっている。

 一方の中川さん。スリッパから見えている足を包むものは何もない。すなわち、素足である。――はい? 体育の授業の後ならば靴下を履かずにしばらく過ごすことももしかしたらあるかもしれないが、授業が終わって1時間近く経過しようとしているこのタイミングで裸足とはいかに。

 そもそも今パーカーを着ているということは、放課後になってから彼女は着替えをしたということだ。制靴下があるくらい服装の校則が厳しいうちの学校で、パーカーを着たまま授業を受けることが認められるはずがないのだから。で、もし着替えたのであれば、仮に一時的に靴下を脱いでいたとしても、普通はそのタイミングで履き直さないだろうか。タイツを履く人がいるほどの肌寒さなのだから。

 そう考えると、彼女は敢えて靴下を履いていないということになる。もしかすると、彼女は靴下を履くのが嫌いな人種なのかもしれない。そういえば、さっき制靴下の話が上がった時も、まるで興味がないとばかりの様子だった。制靴下は、あくまでも履くなら指定があるというだけで、履かない分には問題がないのだろうか。

 待っている間手持無沙汰なのか、中川さんは足指を軽く動かしていた。裸足なのでその様子がつぶさに目に入る。彼女の足の指は丸っこくてそんなに長くないというのに、よくもまあこれだけ器用に動かせるものだ。指の股を開いたり閉じたり、指同士を擦り合わせたり――

 刹那、何かゾクゾクとしたものが身体の奥から脳まで這い上がってきているような感覚を覚えた。『女の子の足の指って、すごくえっちなんだなあ』。


「どうだ、分かるか……!?」


 それが明らかに文脈から推測できない思考だろうと気づくや否や、僕は抱いてしまった感情を抑えて得意げに尋ねた。こんなことを想像しているなどと分かれば、きっと中川さんは羞恥を覚えているに違いない。ちなみに僕の方は、何とか言動に出さずに抑えきれているはずだ。


「えっと、『今年のクリスマスもクリぼっちかなあ』とかですか?」


 しかし、勝利を確信して顔を上げた僕を待ち受けていたのは、恥じらいの欠片も感じさせない真剣な表情を浮かべた中川さんだった。


「違うって……」

「え、一緒に過ごす当てがいるんですか?」

「いないよ……」


 まさかの敗北に呆然とする僕をからかう中川さんは、たははと上機嫌に笑っていた。

 そしてひとしきりからかって満足した中川さんが口を閉じたのを見計らって、ずっと発言を我慢していた鼓ヶ浦先輩がようやく口を開いた。


「あのね、そもそも、仮に依宣いのりが南ヶ丘くんの思考を読み取れていたとしても、依宣はそれを正直に告げるとは限らないんだよなあ。つまり、君の勝利は最初から無かったという訳だよ」


 彼女はそのことを最初から指摘しようとしてくれていたのだろう。落ち着いて考えてみればすぐに分かることだが、エスパーという超常現象を前に僕は冷静さを欠いていたのだろう。

 しかし、結果的に今回僕が考えた内容は、単なるよしなしごとではなかった。彼女が口先で何を言ったとしても、思考を読めてしまった時点で何かしらの反応を示すはずだったのだ。


「でも、もしあの思考が読まれてたなら、中川さんはもっと恥ずかしそうにしてたはずなんだって! だから勝てると確信した!」

「あのー、もしかして、あたしをえっちな妄想のオカズにしたりしました……?」

「…………」


 言い訳をしておきたいんだが、すべては中川さんの足指がエロかったせいなんだ。オカズとかそういうつもりは決してなかった。


「ソーロせんぱい、あたしに興味なさそうな雰囲気でしたけど、実は意外とあたしのこと気になってたりします?」

「……そういえば、鼓ヶ浦先輩はどうして僕のフルネームを知っていたんですか?」

「強引に話を戻さないでくださいよー」

「はいはいちょっとは気になりましたよー」

「何その真実をはぐらかすような棒読み。あたしエスパーじゃないですから分かんないんですってー!」


 そう言って中川さんは僕の腕にすがり寄ってくる。ようやく勝利気分を味わえたぞ。


「まあまあ依宣。その辺にしておきなよ」


 中川さんを僕から引き離しつつ、鼓ヶ浦先輩は苦笑交じりに話を続けた。


「で、どうして私が君のフルネームを知っていたかと言えば、君のことは美旗みはたから何度か話を聞いていたからだよ」

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