Lesson2: 七色の神音に隠された幻

唐突に起きたこと

重いハーモニカの音色と突然の来客

 二月も半ばを迎えた藤沢駅前。空には分厚い灰色の雲が覆い被さっていて、どこかずしりとした空気が漂っていた。最近こんな天気ばかり続いているが、ようやく稀に春の暖かい日差しが入れ混ざるようにもなってきている。ただ本格的な春を迎えるには、もう少し時間がかかりそうだ。

 俺の奏でるハーモニカも、その天気の不安定さをうまく表現しているかのようだった。思い描く音色を出すことができず、少しだけ苛々してしまう。あまりに音が鳴らずどうしようもない時は、即興で作曲をしてそれを奏でるようにしている。多少音楽が暗くなってしまっても構わない。どうせ誰も聴いてなんていないのだから。自分の思うがままに、ただただ無心にハーモニカを吹くんだ。


 いつからだろう、そういえばこんな日々がずっと続いている。

 きっかけは間違えなくあの日から。

 華音に曲を作るって、そう答えてしまったあの日からだ。

 そんな約束、本当に良かったのだろうか?

 間違うと俺は、華音を傷つけることになるかもしれない。

 そんなこと、俺は。あいつの泣き顔など絶対に見たくないのに――


 ハーモニカを即興で吹く程度であれば、俺にもまだ作曲できる力が残されている。

 理由は恐らく、譜面として残ることはないから。誰かが聴いてるわけでもないので、録音される心配もない。俺自身は吹くので精一杯だし、思いつくがままに流れるメロディーなど一々覚えていることもない。

 そもそもこんな即興が作曲だなんて、笑いにもほどがあるんだけどな。


 だけど、そう。この曲が残ることさえなければ、大丈夫だということ。もっとも、そんなくだらないことを拠り所にする自分が情けないのは間違えない。ただし、形さえ残らない俺の音楽であれば、誰かが傷つくこともないというのもそれは事実だ。喜びも哀しみも、俺一人で背負う分には一向に構わないのだから。


 俺の曲で誰かが傷つくのなんて、もうまっぴらごめんだから。


 膝下にあった鞄の中でスマホがぶるぶる震えていることに気づいたのは、そんな時だった。駅前の喧騒に着信の音が掻き消されてしまっても、光と振動で俺に通知してくれる。


『あ。大河? 今あんた駅前よね? ちょっと頼みがあるんだけど』

「頼み? なんだよ頼みって」


 電話の主は有理紗だった。俺の居場所を断定的に宣言してくるのはやや納得いかない向きもあるが、それ以上にめんどくさい頼みを押し付けられる方が億劫である。


『ちょっと人が訪ねてくるらしいのよね。だからあんたに迎えに行ってもらおうかと』

「は? そんなの有理紗が……」

『あたしは嫌よ。そんなめんどくさいこと』

「めんどくさいって……そもそも誰が訪ねてくるんだよ?」


 めんどくさい来客ってことだろうか。少なくとも有理紗の生徒ではなさそうだ。


『あ、先方には大河の電話番号教えておいたから』

「は!??」

『駅着いたら大河の番号にかけてくるってさ。そんじゃ〜よろしくね〜』

「っておい!! 有理紗……」


 ちゃんと文句を言う前に、スマホからはプープーという無情な音が聞こえてきていた。せっかく人がハーモニカを吹いていたところを見事なまでに邪魔されて、それだけでも十分納得がいかないというのに。

 そもそもその来客っていつ来るんだ……? 誰なのかさえもわからない相手からの電話を待ちつつ、俺はここで待ってなきゃいけないということなのだろうか。いくら俺が有理紗の部屋の居候とは言え、この仕打ちはなかなか酷いものである。


 腕時計の針は十六時を少し回った辺り。暦は二月にもなり、いくら日が沈むのが遅くなってきているとは言え、あと一時間ほどすればいよいよ暗くなってくるだろう。あまり寒い中ここで人を待つのは嫌なんだけどな。仕方ないので喫茶店でも行ってようか。もうハーモニカという気分ではなくなってきているし。

 そう思って駅前広場のベンチを立ち上がろうとしたところ、間もなくスマホのベルが再び鳴った。スマホには知らない数字が並んでいる。想像していたよりずっと早かったので、俺は少しだけ安心してその電話を出たんだ。


『ちょっとあなた。どこにいるのよ? 早く迎えに来てくれないかしら』


 ……と、まさか電話に出た瞬間、知らない人間からこうも怒鳴られるのはさすがに想定外だったが。いったいどれだけめんどくさい来客だというのだろう。

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