声優ってなんで歌わなきゃいけないんだろね!?
鹿野月美
Prologue
新しい街
静寂に包まれた本屋に、キャリアケースのキャスター音がころころと鳴り響く。
持ち主は、ポニーテール姿の女子高生。その小柄な体型とキャリアケースの大きさがあまりにも似つかわしくなく、どちらが引き回されているのか判別つかなくなっている。さらに彼女の背中には青色のリュックサックがぶら下がっており、見ようによっては巨大な荷物が二つ、あちらこちらへ勝手に歩いているかのよう。これでは読書の邪魔と言わざるを得ない。もっとも本屋は読書する場所ではないけれど。
彼女はラノベが並ぶ本棚の目の前でふと足を止めた。藤沢駅北口の目の前にある家電量販店、その最上階が本屋となっていて、ここは彼女も大好きなアニメの聖地でもある。彼女の頭上、本棚の一番上には、とある有名な作家さんのサイン色紙が異彩を放っている。まるで神棚にお供えされているかのようだ。憧れの作家のサインを目の前に、彼女は思わず笑みを溢した。はて、これは本当にサインと呼べるのだろうか。一見誰にでも描けそうな、落書きのようなサイン。彼女はその摩訶不思議な模様から、その作家の世界観を見出していた。本当に可笑しくて仕方なかったらしく、間もなくサイン色紙のすぐ下に置かれていた最新刊を手に取り、レジの方へと歩き出した。
彼女は再び藤沢駅北口の広場にやってきた。まだ見慣れない光景に思わず足がすくんでしまう。駅からバスということだけは聞いているのだが、どこでそのバスに乗れるのか全くわからないのだ。
すぐ下がバスロータリーになっている駅前広場では、この寒い冬空でも多くの人が行き交っている。待ち合わせをしているのか、時計をずっと眺めている人もいる。絨毯のような芝生が敷かれている場所もあって、ここで日向ぼっこなどをしても良さそうだ。ベンチもあるので、さっき買ったラノベを読むのもありだろう。
ただし今はやはり寒い。それにこんな冬の日であれば、あと一時間もすれば日も落ちて真っ暗になってしまう。それまでに目的地へたどり着かねば。暗闇の中、知らない街を歩くのはごめんだもんね。そんな焦りが彼女の心の内側を奮い立たせていた。とはいえ、どこへ向かえばいいのだろう。重くて大きな青いリュックサックと、巨大な赤いキャリアケースが、右へ左へと行ったり来たりする。
音の旋律が聴こえてきたのは、その時だった。
ハーモニカの音。寒い冬空を暖かめてくれそうな、ストーブのような温もり。居心地の良さ。そっと包み込んでくれそうな優しさ。彼女は胸をぎゅっと鷲掴みされたかのように、その音の方へと吸い込まれていく。
どこかで聴いたことがあるような、そんな気もした。懐かしい想いだ。
だけど音の中には冷たい部分も含まれていて、そこだけには絶対触れてはいけない気がした。悪寒。そう表現するのが正しいか。
それでも足が勝手に、自ずと動いてしまう。自分が聴いてはいけないもの、直感的に拒否反応を示しているもの、なのに彼女はそんな真逆の心を押し切って、自分の意志でその音色に導かれていったのだった。
目の前にいたのは、彼女と同じ年くらいの男の子。
少年は彼女の姿に気づいているのか、まだハーモニカを吹き続けている。
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