太源に帰す

@HighTaka

本編

 禁書三冊の存在を知ったのは大図書館の館長からであった。いや、正確には館長の友人であり支援者でもある伯爵より聞いたのであった。

 この人は領地での二世代にわたる長い紛争をへて叙任された人であり、物心ついたときから戦場にあって読み書きをきちんと学ぶことができなかった。そのため、私のような祐筆を数人召使っている。そして今は文化、学問のパトロンとなり、中央政界で存在感を示している。

 大図書館の館長は泥酔して口をすべらせたらしい。翌日にはそんなことを言ったことも忘れていたそうだ。だが、伯爵は覚えていて私に明かしたのだ。

 伯爵は察していたのだろうか。恐ろしいほどの洞察力と忍耐力、そして決断力の持ち主だ。

 利用できそうな間はともかく、害となるなら処理されるだろう。それでも私は探求をやめることはできない。そんな狂気を。

 禁書三冊のうち一冊は既に失われているらしい。それによって生まれたのが二冊の禁書で、一つは所在がわからないがもし見つけた時は絶対に開いてはいけないとされている。今一冊は大図書館の奥深くに厳重にしまわれていて、図書館長にして尋問官の長、そして国主の助言者である唯一人しか読む事を許されていない。

「どれでもいい、一冊読んでみたいとは思わないか」

 伯爵は私をそそのかした。

「それは国法に触れることでしょう。それに、おいそれと手にすることはかないますまい」

「そうかね。それは賢明なことだ」

 伯爵はじっと見ている。すべてお見通しだったのだろう。私は聞かずにはおれなかった。

「館長はその、禁書の一つを読んでいるのですよね」

「文字も言葉使いもあまりに古くてよくわからんかったとぼやいておったわ」

「読める人はおりましょうに。ああ、禁書ですから見せるわけにはいかないのですね」

「そういうことらしい。目は通したが、ちんぷんかんぷんで苦痛であったらしい」

「なるほど、禁書はいずれも古いものなのですな」

「一千年は昔のものというておった。さすがに原本は残っておらず、今あるのは写本らしい」

「それはそれは。予備の写本などそのへんにあったりしませんか」

「さがしてみるかね」

「どこぞの屋根裏からひょいと出てくるかもしれませんな」


 その日から、私は古語の研究を始めた。禁書を読むためには古語が読めなければいけない。千年も前なら政治の中心も経済の中心もずいぶん様子が違っているし、言語もいまではなくなったものや、原型をとどめぬほど変わったものもある。今は話すものはおらず、儀式用にのこっている言葉、それが古代学問語と呼ばれる雲龍語である。雲龍族は伝説の時代の賢者たちで、ほとんどがいずこかへ姿を消し、わずかな残留者が割拠した王たちに仕えていたという。

 その雲龍語の原型に近い言葉で禁書は書かれているに違いなかった。もしかすると雲龍族の血と知識を伝えた者が著者かもしれない。

 古語の世界は、踏み込んでみるとこれはこれで奥深いものだった。一つのものだと思っていたそれは初期と中期以降でがらっと違ったものとなっており、初期には使われなかったたくさんの単語が入れ替わって使われるようになった。これは過去の研究者もよく認識しており、考察の中には我々の祖先に征服されて祖先の言葉を受け入れたのだろうと書いている人もいる。だが、この単語は現代に似たようなものがまったくなく、雲龍族が征服されたのが事実としても、我々の祖先ではないようだ。彼らともども消えていった名も知らぬ民族か。あるいは。

 その手がかりといえるのが、中期以降の言葉がどうも二種類にわけられることだ。根拠は弱いが仮に北方系、南方系と呼ぶ。初期の単語を多く見かけるものが北方。それが少なく北方系では使われていない単語がかわりに混じっているのが南方系。

 もしかすると、征服者は雲龍族のほうで初期古語の使い手は名前も残らぬ民族にして、今に連なる文化の先達だったのかも知れない。そして、南方系古語に言葉をとどめた人々も。

 そんな見解をちょっとおまけにつけ、文書の時代別に読み方のポイント、単語の相違をまとめたものを二年かけてまとめた。当初の目的をすっかり忘れるくらい面白い研究だった。これも祐筆の仕事に余裕が出るよう計らってくれた伯爵のおかげである。

 同じく伯爵の紹介でこれが大図書館に収納された。

 図書館長から呼び出しを受けたのは、決して計算の上のことではない。

 彼が私の著書を見るであろうということは予想できたが、呼び出して話を聞きたがるとまでは思わなかったのだ。

「よい本をかかれましたな」

 大図書館の長にして、おっかない尋問官たちの上司にしては実に謙虚な人で、こういう人はむしろ手厳しい批判をまるのまま飲み込んでおける度量がありそうだ。

 なぜかこわいと私は思った。

「恐縮です」

「あなたのことは伯爵から聞いております。古語の文献に興味があるとか」

「恥ずかしながら乱読家でして」

 言葉を選びながら私は答えた。

「古書にも手を出してみようかと」

「ちょっとした図書館かと思うくらいもっておられますね。書の魔に汚されていない本をあれだけ集めたのには感心しました」

「お調べになりましたか」

「部下は大変職務に忠実です。どうかご無礼を許されよ」

 ただの直感だが、この人の指示に間違いない。やはり油断ならない人物だ。

「私もお調べになりますか? 」

 尋問官に引き渡されるのだろうか。過去、都に上った時に一度調べを受けたがあまり愉快なものではなかった。

「書の魔に汚された者は清めた本も再度汚します。それを考えれば無用のことです」

「それは聞いて安心しました」

 書の魔とは、書物から人へ、人から書物へと伝搬していく呪いである。聞くところによれば、書物の著者と直接話すことができるという。中毒性が高く、害が大きく、そして伝搬性が高いがゆえに禁じられ、取り締まられている。幸いというか人間は一度処置すれば二度とかからないらしい。

 私の場合は、父の慎重さと教えのたまものでこれまで汚されることからは守られてきた。

「そうだ」

 館長はいいことを思い付いたように手をうった。芝居じみている、と思った。

「古書を一つ読んでみませんか? 珍しい本ですよ」

「珍しい本、ですか」

 知られている古書はせいぜい十数冊。その中で珍しいといえば。

 いや、まて。

 警戒心が動いた。

「どう珍しいのです? 私の書庫を見ればおわかりになったと思いますが、国法に触れるようなことをするつもりはありませんよ」

「その点は大丈夫。ただ、貸し出すわけにはいかないので、泊まり込んで読んでいただくことになりますが」

 大丈夫? 本当だろうか。とはいえ、これで断る理由がない。なにより警戒心を好奇心がしのぎはじめていた。

「では、一度戻って伯爵のお許しをもらってきます」


 あとで思えば、ここで逃げておけばよかったのだ。


 館長の公邸の地下、百年の歳月熟成されている瓶の並ぶ酒庫の隠し戸をあけたむこうにその部屋はあった。

 これまた重厚な時代ものの机があってその上に唯一置かれた文箱と燭台がある。部屋にあるのはあとは蝋燭の箱が数個、そんなものだ。

「帰ります」

 私の声は思わず裏返った。

「おや、ここまできてなぜですかな」

「あれは、読んではならぬものではないのですか」

「ほほう、そんなことをどこで知りましたか」

 あなたが酔っぱらってしゃべったんだろう、私は叫ぶところだった。

 もしかして、知っていることがすでに罪なのだろうか。罠の可能性に口をつぐむ。

「さあ、これを逃せば二度と機会はありませんぞ」

 黙り込んだ私に館長がささやく。

「読んでみたかったのでしょう? 」

 思うより先に体が動いていた。机に歩み寄るとどすんと腰をおろし、軽く埃にむせたあと文箱をあけた。

 革装丁の古い本が現れた。表題を箔押ししていたようだがもう読めぬ。おしいただくように取り出すと、丁寧に最初のページを開いた。

 表題はなんとか自力で読んだと思う。太源に帰するを忌む、と読めたと思う。

「かつてすべての知識と経験を共有する方法を見いだしたものたちがいた。そなたは知っておろう」

 恐ろしいほどの存在感を湛えた声が頭上よりふってきた。一段高いところに赤い、古風な長衣をまとった老人がたっていた。

「これは、」

 そして察した私は叫んだ。

「書の魔!? 尋問官の長たるあなたが私を書の魔にそめたのか」

 ここで「私」の意識は一度途絶えた。


 自分を取り戻したのもあの閲覧室だった。

 緊張した面持ちの年配の男がそこにいた。私は自分をとりもどしはしたが、何をすべきかはしっかり覚えていた。

「明日よりそなたが図書館長だ。古語にはくわしいか」

「恥ずかしながら浅学にて」

「そこに手引きとなる書をおいてある。一冊は古語の解説書、今ひとつはその禁書の解説書だ。いずれもわしが書いた。わかっておると思うが、解説書とはいえ禁書は持ち出し禁止である」

「心得ましてございます」

「古賢のお考えを理解し、よくよく勤めよ」

「おさらばでございます」

 すっかり老いさらばえてしまった。あのあと書の魔を落とす処置を受けたらしいが、直接触れた私はすっかりあの古代の賢人になりきってしまって、館長の後を継いで相当厳しく取り締まりや改革をやってのけたらしい。

 まんまと伯爵に売られたというわけだ。だが伯爵家も代替わりして恨み言は墓にでもいうしかない。

 さて、残りの人生何をするか。

 我に返った今、なすべきことは一つだけだった。

 残りの禁書を探すのだ。

 そのタイトルと、著者のことも今は知っている。あとは探し方だけだ。

 当面のすまいへと馬車で運ばれながら私はきっと狂気めいた笑みを浮かべていたに違いない。

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