祖父の書庫

@HighTaka

本編

 祖父がなにをやっていたひとかはわからない。だが、広壮とまではいえないがしっかりした作りの家を持ち、分厚い扉の書斎を持っていたことからして、まずもって名士であったことは間違いない。

 だが、その扉は厳重に封され、中に入っては行けないといわれてきた。

 少年は、双子の妹と物心ついたころからこの家に住んでいた。父親は村の書記であり、村の歴史とこれまで生まれ死んでいった村人たちの全部の記録を保管し、ついでに村役場の帳簿の管理もやっていた。母は遠く都の学者の娘であったという。これまた手芸や医療で村に貢献していた。

 少年は父の学問をつぎ、少女は母の手技をひきついで村に貢献するものと期待されていた。

 そのために二人ともいずれ都に遊学し、あるいは奉公にあがることが定められていた。

 二人ともそのことに不満はない。しかし、少年には気がかりがあった。

 父は自分のこじんまりした書斎に、都からとりよせた書物が届くたびに嬉々として加えているが、なぜ祖父の書斎の膨大な書物に手を出さないのだろう?

「あれはもう読んでしまったからね」

 父はそういって少し疲れたような顔をした。

「では、僕が読んでもいいですか? 」

「いや、だめだ」

 固い固い返事だった。

「だが、都の遊学から帰った時にまだ読みたければ考えてもいい」

 大きな手が少年のもじゃもじゃの髪をなでる。

「だからそれまで我慢しなさい」

 その日は近い。彼は都のことを思うと期待で胸がいっぱいとなり、書斎のことは忘れた。


 父につきそわれて少年は都へと旅立った。妹も一緒であった。旅路は楽しく、初めて見る数々に少年は完全に眩惑されていた。妹もたいしたことはないと見栄をはっていた。

 しかし、よい出会いばかりでもなかった。

 哀れな声で慈悲を乞う罪人がいた。罪人はさらし台の上に手足を釘付けにされ、その傷口は腐敗して蛆がわいていた。しかし骨ごと縫い付けられているため自由になることはできないのだ。

「かわいそうだが、水も食べ物もあげてはいけないよ」

 父は警告した。

「さもないと、同じ目にあって死ぬまでほっておかれるからね」

 きれいな飴を見せて手招きする青年がいた。父がちょっとその場にいないときだった。

 迷っているとおりよく父がもどってくるのであれは誰かときくと、青年はそそくさと姿を消す。

「おおかた人さらいであろう。おまえたちを捕まえてうるつもりだったのだ」

 外の世界は危険だらけで、そこに漕ぎ出していかなければならないことは兄妹は思い知った。

 都の大門で彼らは役人に呼び止められた。

「学院にはいるものはみな調べを受けることになっておる」

 何の調べかと少年は問うた。少し不愉快であった。父の顔を見ると固く、何があるかは知っているようであった。

「久しいな」

 入ってきたのは老齢の域に達した高級官僚。職分をしめす腰飾りと派手ではないが上等の官服にそぐわない武器を下げている。

「まだ現役でしたか」

 父親が驚いた声をあげる。その懐かしさと畏怖のこもった響きに若い父の都での生活にかかわりのあった人と知れる。

「そろそろいとまをもらうころあいだが、これだけは見届けておきたくてな。して、これがご子息か」

 老官僚は少年を見て目を細めた。

「よう似とる」

 誰に似てるかは言わなかった。ただ、荷物をあけられ、目をのぞきこまれ、上半身はだかにされて何か音を聞く器具を押し付けられた。ひやりとした感覚がいやであった。これらの検査は御大ではなく、もう少し若い官僚と官印を帯びた医師が行った。

 不思議なのは、入学する少年ではなく父も妹も検査されたことだった。少女は露骨にいやな顔をしていたが、ものものしさに黙ってはいた。

「隠してもってはおりません」

 若い官僚が報告した。

「侵食はございません」

 医師も報告した。

 老官僚は大きく安堵のため息をついた。

「わしは今日、覚悟をしてきた」

「でしょうな」

 父の応えは冷ややかだった。

「感謝する。辛い思いはせずにすんだ」

「今でも、なにもかも覚えております。あなたの覚悟は承知しておりました」

 ここで父親が微笑したので子供たちはびっくりした。

「それに、道は一つではないのです。この子がどんな道をたどるか、それも楽しみです」


 少年はすくすくと育った。友情をはぐくみ、ちょっとした敵対を最終的には和解におさめ、図書館の膨大な書物に埋もれてすごした。

 その物語は個々では割愛する。

 やがて少年は青年となり、学業を終えるときが来た。帰郷し、数年ぶりの我が家。

 父は少し老いてあの扉の前でまっていた。

「さあ、どうする。もうわかっていると思うが、後戻りはできない。とても辛い思いがまっているかもしれない」

 青年は少し考えてからこう言った。

「焼き払いませんか? 災いしかもたらさないと思います」

「できるのか?」

 長い葛藤があった。わずか数秒だが数時間にも思える葛藤が。

「できません」

 父は再び微笑んだ。

「私の蔵書は好きによんでいい」

 青年は感謝の言葉をのべた。

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